能勢の自然は先人たちが100年200年農林業を営み、守り抜いてこられた宝物

40年以上も前になると思います。豊中市北部の少路地区にある自然の宝庫・羽鷹池が埋め立てられるという話があり、「羽鷹池を守る会」が結成され、わたしも参加させていただきました。その頃、よつば牛乳の会員だった私の妻が箕面にはじめてつくられた産直センターでアルバイトをしていた関係で、産直センターグループや能勢農場の人たちと親しくなり、グループの長老の一人だったSさんに誘われたのでした。
会には豊中で書店をされていた野鳥の会のひとや粉石けんの運動を進めていたひとなど、自然保護に尽力されている地域のひとたち二十人ほどが集まりました。
最初の集まりで、これまでの経緯の説明を聞きました。周辺ではすでに宅地開発が進み、マンションもたち始めていました。高度経済成長からバブルの時代で、豊中市に限らずどこの市町村で沼や池を埋め立て、公共施設の整備のための土地を確保していたようです。
また、もう一つの切実な理由として、羽鷹池は農業用水地で周辺の田畑への水の供給の役割をになっていましたが、後継者不足と土地バブルで農家が農地を手放し、開発業者によるマンション建設など開発ラッシュのさ中でもありました。
少路地区は豊中市の中でもまだ開発の手が入らず、農村時代の豊中の姿をそのまま残していました。わたしはその頃、少し離れた野畑小学校や野畑保育所、野畑図書館などの近所に住んでいて、たまたま羽鷹池周辺に行った時、まだ人間の手が入らず豊かな自然が残っていてびっくりしたことを思い出します。
この運動は、豊中市の阪急電車の駅や北大阪急行の千里中央駅などでパネル展示をしたりチラシをまいたりする一方、何度も現地に行き、また豊中市との交渉をつづけました。
そして、今まさに池に砂が入った瞬間に、埋め立ては中止となりました。
わたしはこの運動にかかわり、最初は羽鷹池の自然が残されることのみを願っていたのですが、周辺の農地が宅地開発された時点ですでに羽鷹池は自然の宝庫ではなくなってしまったことを知りました。そして、この池の自然を守ってきたのは他ならぬまわりの農家の人たちで、農業を営むことで少しだけ自然を壊し、反対に自然に脅かされながら共生してきた彼女彼らの何百年もの暮らしそのものだったのだと教えられました。農業の将来に希望を持てないまま後継者不足に悩む農家の人たちが土地を手放すことになってしまう苦渋の心情に思いをはせることもなく、自然を守ることが正義のように思ってしまっていたわたし自身を恥じました。
もちろん、それはわたし自身の思慮のなさから来るものであって、長年自然環境を保護し守ることの難しさと向き合い、一生懸命活動されてきた人たちにとっては自明のことだったにちがいありません。
ともあれこの運動がきっかけになり、豊中市行政と市民との協働で羽鷹池の自然を活用した環境保全型の公園として整備することになりました。池周辺には、既存の樹木を生かしつつ幅3mの散策路を設置し、ユーカリ材を使った木舗装のデッキや水辺が望める休憩場を整備するなど、池周辺をゆったりと散策できるようになっていて、自然に配慮した公園になっているようです。

つい最近になって、日本の棚田百選に選ばれている長谷の棚田の下の「岐尼ん田」と呼ばれる水田に、面積5ヘクタールのスプラウト工場をつくる計画があることを知りました。スプラウトとは主に穀類、豆類、野菜の種子を人為的に発芽させた新芽で、発芽野菜または新芽野菜ともいいます。
この水田地域は能勢でもっとも優良と言われる農地ですが、高齢化と後継者不足が深刻で、農作業を肩代わりする人材を確保することも困難な状況です。そこで、国の制度変更で農地を農地のままで工場をつくることができるようになったため、能勢町は国の地方創生推進交付金を活用した「能勢町高度産業化推進プロジェクト」を立ち上げ、この計画を進めています。
水田をコンクリートでかためて工場をつくる計画を知った町民からの見直しの声が上がる中、農家の後継者不足を解消しかつ税収獲得をねらい、能勢町はこの計画を皮切りに農地を使った企業誘致を進めようとしています。
わたしはこの計画を知り、40年前の豊中の羽鷹池のことを思い出したのでした。

能勢を訪れた誰もが感動する豊かな自然は、先人たちが100年も200年も自然の脅威とたたかい、また自然に助けられながら田畑を耕すことで守り抜いてこられたおかげたと思います。
しかしながら、高齢化や後継者不足で、個々の農家の努力だけでは農業がなりたたなくなった今、個々の農家の農地を含む能勢町の自然財産の保全を町行政と住民が協働して担わなければならないと思います。能勢町は国の地方創生推進交付金を活用する農地の転用による企業誘致を打ち出しましたが、コロナ禍のもとで企業活動の在り方が大きく変わり、今後企業誘致はますます困難になると思います。
むしろどの企業もテレワークを進める方向にあり、それならば都会の職場に通勤するよりも自宅で仕事をして、豊かな自然環境で子育てをしたいと郊外への移住を考える現役世代が増えつつあります。能勢町は大阪市内から1時間という立地条件から今後、移住先として注目を浴びる可能性があります。また、能勢町の農家にとっても新規に農業をしたいという若者にとっても、週に何日かは企業活動、後の何日かは農業をすることが可能になります。現在でも、能勢には若い就農者が近隣の地域よりも多いと聞いています。
企業誘致に力を入れるよりも移住と定住を支援し、後継者不足に苦しむ農家の田畑を就農を希望する若者に肩代わりするための支援と、農産物の販路の拡大への支援策が求められるのではないでしょうか。
地域の問題と向き合い、解決していく担い手を能勢の若い人たちにゆだね、町行政はそれを全面的にバックアップする施策の方は時間がかかり、また町の経済効果もすぐには表れないかもしれませんが、企業誘致よりも「顔の見える改革」として、これからの日本社会の地域創生のひとつの道筋になるのではないかと思うのです。
農業を営むひともそうでないひとも能勢町行政も、能勢の農地を守るために共に汗をかき、能勢の未来づくりに参加、投資する仕組みをつくりだしたいものです。

「心の四季」より「4.山が」「5.愛そして風」「6.雪の日に」「7.真昼の星」
豊中混声合唱団第53回定期演奏会 2013年7月6日 ザ・シンフォニーホール

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