恋する農園番外編・恐怖の稲刈り2

10月28日の月曜日、一週間ぶりに畑に行きました。というより前回の続きで、Iさんの田んぼの稲刈りの続きです。 前回、先週の日曜日と月曜日の稲刈りの様子を書きましたが、あれから台風があり雨も降り、作業がとまっていたところ、わたしは参加しなかったのですが日曜日に前回一緒に作業したSさんたちとIさん、そしてIさんの息子さんが作業し、かなり進んだようです。妻が様子を見に行き、「明日少しでもやっとくわ」と約束したそうで、その結果、わたしも行くことになりました。 ほんとうは借りた畑の仕事をしたいのですが、稲刈りが終わらなければ畑どころではないと思ってしまう自分がトホホのホで、今日は絶好の稲刈り日和と張り切って作業を始めたのでした。 実は稲刈りする田んぼは2つあり、今日はわたしたちの畑のすぐそばのもち米ばかりの田んぼの稲刈りをすることにしました。前回の田んぼのように迷うことなく、すべての稲を片っ端から刈り取ればよいので、サクサクと気持ちよく稲刈りができました。 もっとも、雨のせいもあって下がぬかるみで、場所によってはかなり深く長靴がはまってしまって歩きづらいのが難点で、時々足をとられて尻もちをついてしまい、泥だらけになってしまいました。 なんとか順調に稲刈り作業は進んだものの、妻の母親がデイサービスから帰ってくるまでに家に戻る時間を逆算していくと、このあたりで束ねていかないと干すところまでいかないと判断しました。刈り取った稲を束ねてひもでくくり、それをかける所も用意しながら作業していくと、ぎりぎりの時間になってしまいました。 ふりかえって田んぼを見てみると6分の1ぐらいしか刈り取れませんでした。もう一つの田んぼも3分の1ぐらいしか済んでいないので、まだまだ先が長いと感じました。

本来は小さな田んぼでも機械で刈り取る予定だったのですが、田植えの段階でもち米と普通の米が混じってしまったこと、機械を知り合いの農家から借りることになっていたのがうまくいかなかったこと、それに機械が借りれたとしても天候が悪くて田んぼがぬかるみ状態で機械が入りにくいことから、結局は昔ながらの手作業ですることになってしまいました。 Iさんが働きに出ていることもあって稲刈りの計画を立てることができず、少ないながらも熱心なボランテイアの人たちがかかわっているにもかかわらず応援を頼むのが遅れてしまったことなど、いろいろな事情が重なってしまった結果が今の現状で、これを教訓にして、これからはIさんとボランティアのひとたちが早くからいっしょに計画を立てて行ければいいなと思いました。

それでも、わたしだけでなくボランティアのひとたちみんなが田んぼに入るのがはじめての経験で、農家のひとたちの大変さを身に染みて感じることができました。 ひとつの作物が自然の力を助けにしながら、同時に自然の力に逆らえないという逆説的な真実は、人間社会のありようを教えてくれていると思います。わたしはある時期、機械メーカーに勤めていた頃、「こうあったらいいな」と思う人間の欲望や夢を現実の機械や道具によって実現できることをすばらしいと思ってきました。今でもそれ自体はすばらしいことで、社会はそのようにして昨日よりも今日、今日よりも明日と進化してきたのだと思います。 しかしながら、その一方で地震などの災害によって突然築き上げてきたものが破壊され、運不運や偶然で命が奪われ、命が助かるという、説明のできない理不尽で不条理な現実を前にして、ひとの夢や欲望の実現は何になるのか、幸せとは何なのか、そして、奪われた命と生き残った命のちがいは何だったのかと、大きな悲しみの中で次々と質問があふれるように押し寄せてきます。 もとより、わたしはその質問に答える術をもちませんが、ひとつだけわかったと思うのは、人間の社会でもまた自然とのかかわりでも、自分の思い通りに物事は行かないこと、さらに言えばその「自分の思い」はほんとうに自分の思いなのか、良くも悪くも他者や社会や、もっと大きな命のリレーから託された伝言なのかも知れないと実感したことでした。 長い間、人間の社会は工業的な考えやシステムで歴史をつくってきました。日本という社会に目をやっても工業化と近代化は一つのものでした。そして、農業などの一次産業は産業の中心から周辺へと追いやられてきました。さらに農業の再生は工業化しかありえないと大規模化や遺伝子組み換えなどが推奨され、TPPが日本全体の経済成長につながると言われます。 しかしながら、能勢の誇る棚田農業など「小さな農業」は地産地消の担い手であり、食糧自給率が4割にも満たず、米などの穀物にいたっては3割にも満たない危機的な現状を救う担い手でもあると思うのです。 さらに、わたしが最近こだわっているアントニオ・ネグリとマイケル・ハートによれば(あまり理解できていないのですが)、工業が社会のシステムの中心であった時代はすでに終わっていて、家事労働や介護労働や、感情や情緒などこれまでの近代化が追いやってきたものが社会のシステムの中心となっていくとされています。 彼らの主張もまた、多少インターネットなどへの期待や夢の部分が多いかも知れませんが、わたしは世界の食糧メジャーが「種」を支配し、時には略奪しているという話を聞き、身近な暮らしの中で少しでも自分の作ったものを食べ、足らない部分の方が大半であっても作っている人の顔が浮かぶような農業の大切さを知るようになってきました。 ここ何週間の、まったく予想もしなかった「恐怖の稲刈り」を体験しながら、こんな肉体労働をしながら無農薬有機農業にこだわるIさんをエライと思いました。

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