恋する農園・番外編 恐怖の稲刈り

10月19日、2列目の畝ができあがり、3列目を大まかに耕しているうちに4時になり、妻の母親がデイサービスから帰ってくるまでに家に戻る仕度をしていると、畑の大家さんで、竹パウダーの共同事業のパートナーでもあるIさんと親しい農家の人が、すぐ横の田んぼのそばで何やら話し込んでいました。 話の内容から、どうも稲刈りのことらしいと見当が付きました。まわりの田んぼどころか、わたしが通ってくる間のどこでもすでに稲刈りは終わっていて、Iさんの田んぼだけがまだ稲刈りをしていません。田植えが遅かったこともあるのですが、それが理由ではなく、稲刈りをする人手も機械もないということらしいのです。 妻が言うには、ずっと前から稲刈りを手伝ってほしいとIさんから頼まれているのに、「いつやるの?」と聞くと、「それは人間が決めることではなくて、自然が決めることや」と、もっともらしい理由でなかなか日程を決めることができなかったようです。 いくら自然が相手とはいえ、もともと自分と家族だけでははかどらないところを少ないボランテイアのひとに頼って稲刈りをするのなら、あらかじめ予定を立てて手伝いを頼まないとまずいと思うのですが、Iさんは現金収入を得るために今年の春から介護の仕事をしていて、そのことで頭が回らないようなのです。 そうこう言っている間に、農家の仲間の人から「もう刈らないとだめになる」と言われ、Iさんが困っているのを横で見ていたら、ついつい、「ぼくにできることがあったら手伝おうか」と言ってしまうじゃありませんか。それに、Iさんの畑のボランティアを熱心にしている若いひとも見かけるので、他にも手伝ってくれるひとが結構いるような印象もありました。 「明日は日曜日だから〇〇さんは仕事が休みだけど、雨だからできないし」とIさんは言い、ぼくはまたまた「それならもし雨でもするのなら電話してくれ」と言ってしまったのでした。 翌日の朝、やっぱり電話がかかってきました。「雨が小ぶりの間に少しでもしておきたい」という話でしたので9時に行く約束をして、いそいでIさんの家の横の田んぼ、つまりわたしが借りている畑の隣に向かいました。 ちょうどIさんと息子さんが田んぼに入ろうとしている時で、わたしも雨合羽と長靴の格好で田んぼに行き、「さあ、生まれてはじめての稲刈りだ」と意気込んでいくと、Iさんがとてもややこしい話を始めるのでした。 「実は、田植えの時、わたしは仕事に行かなければならず、ボランティアのひとにまかせたために、もち米と普通の米が混じってるんです。それで、普通の米だけを刈り取るんですわ。その見分け方は…」。 「エーッ!!、そんなご無体な」。初めて田んぼに入る人間にそれを見分けるのは難しすぎる、無茶苦茶や、と思い、「ぼくは束ねる方をしますわ」と、もっぱらIさんと息子さんが刈り取ったものを束にする仕事をさせてもらいました。 息子さんは高校生なんですが、とても寡黙なひとで、もくもくと稲を選別して刈り取っていき、農家の子どもとはいえ、偉い子やなと感心しました。 ともかくこの日は午後3時で昼ごはんも食べずに雨の中の作業を続けましたが、こんなへんで堪忍してと帰らせてもらいましたが、彼女たちはご飯も食べずにやりつづけたことでしょう(?)。

 そして、あくる日、Iさんは「8時になったら仕事に行かないと行けないので、その後の段取りを説明するので7時に来てくれたらうれしい」ということで、なんとか7時過ぎに行きました。 前日に刈り取った稲の束をかける、専門的には「はさがけ」というのですが、家のまわりに竹を3段にぶらさげたり、ちょっとした場所を利用して竹を渡したりしました。 「今日は3人のボランティアさんが来てくれる」と聴いて、神様仏様と思いました。それにきょうは妻も来てくれるので、昨日のような悲惨な目には合わないだろうとほっとしました。 しばらくして、その3人がやってきました。この人たちも一度も田んぼに入ったことがない人たちでしたが、ほんとうにいい人たちでした。Iさんはわたしたちを引き合わした後、やはり3人にももち米と普通の米が混在していると説明し、その違いも説明し、そそくさと仕事に行ってしまいました。 果たして、何も知らない、はじめてのボランティアだけで、それももち米に混在した普通の米だけを稲刈りするという、無茶苦茶な仕事が始まりました。 わたしは選別に自信がなく、3人のうちのひとりともっぱらはさがけに徹していたのですが、後の2人は結構稲刈りをしていて、「すごいな」と思ったのですが、後で聴くと「この範囲はすべて刈り取っていい」と聴いていたということでした。 昼休みを取り、妻が弁当を買い込んできたものをみんなで食べながら、Iさんとのかかわりをそれぞれ話しました。「こんな無茶苦茶なボランティアの求め方もないですよね」と言いながらも、どこかIさんの行き当たりばったりの中にも一生懸命に無農薬の作物をつくり、一生懸命に短大に通う娘さんと高校生の息子さんを育てている姿を見て、なんか応援しようと思ってしまうそれぞれの気持ちが伝わってきました。 実際のところ、少ない人数ですが、ここにあつまってくる人たちはみんなとてもいい人たちで、誰かの私有の畑とか、誰かの収穫だとか、そんなことよりも、Iさんを応援しながら、Iさんの家の代々続いてきた田畑をみんなで守っていきたいと思ってかかわっている人たちばかりです。 わたしもその仲間に入ってしまったのだと思うのですが、最近ずっとこだわっているアントニオ・ネグリの「コモンウェルス」(共の富)の、つつましやかな実践であると納得しています。 ふりかえれば豊能障害者労働センターでの16年間も、障害者問題から始まる「共に生きる社会」への挑戦であったことを思いおこします。その時間がなんだったのか、つまりはわたしの人生はなんだったのかと問うにはまだ早いのかも知れません。その結果が貧乏であることしか残さないのか、これからの新しい人生から少しは答えが得られるかも知れないと思っています。  午後も同じ作業をつづけましたが、せめてサクサクと稲刈りできたらストレス解消になるのにと思いました。帰る時間になり、田んぼを見るとほんの一部しか刈り取れない状態です。この後、いったいどうなるんでしょうね。普通の米だけを刈り取ったら、残りは機械を貸してもらって一気にするという話もあるのですが…。 それに台風が来て、はさがけした稲が雨に濡れて重くなり、風も吹くと、素人がつくったものなのでひもが切れてつぶれてしまわないかと心配です。

最後に少し時間をもらい、妻はわたしたちの畑の方に移り、わたしが作った畝にいちごを植えました。一冬をこの畑で過ごし、春に家の方に移すそうです。イナゴの餌食にならないように、すぐに網をかけました。3列目の畝は少しおそくなってもいいものをと、えんどう豆や玉ねぎなどを植えるそうです。わたしにはそこのところがさっぱりわからず、勉強しなくちゃと思います。本来の畑仕事に入る前に、Iさんの田んぼの稲刈りの手伝いが入るかもしれません。

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