戦争の記憶‐大阪大空襲

26日の「戦争の記憶‐大阪大空襲」を開催する直前になりました。
東京-10万人、大阪-1万5000人、全国の空襲による犠牲者は50万人とも60万ともいわれます。そして米軍の爆撃だけでなく、「逃げずに火を消せ」、「避難の禁止」などを定めた防空法制と、「空襲は怖くない」などとする情報統制によって犠牲が拡大しました。
「国民・市民・住民」ではなく「国体」を守るための「防空法」によって多くの命と財産、そして人権が奪われた事実を学び、国が緊急時ということで国民の暮らしや行動を規制することがどれだけ危険であるかを、みなさんとともに考えたいと思います。
みなさのご参加を心よりお待ちしています。

戦争の記憶‐大阪大空襲
講 演 大前 治さん「空襲下で禁じられた避難」
2016年9月25日(日)
14時 -17時
淨るりシアター小ホール
参加費500円
映 画 「大阪大空襲‐焼き尽くされた大阪の街」35分
講 演 大前 治さん「空襲下で禁じられた避難」
座談会 戦争体験から
★同時開催★
写真展 「大阪大空襲‐市民の生活」11時-17時
会 場 淨るりシアター小ホール(入場無料)

講演してくださる大前治弁護士のプロフィールと、著書の紹介をします。
大前治
1970年生まれ。京都市出身。
大阪大学法学部卒業。
2002年弁護士登録。大阪弁護士会所属。
大阪京橋法律事務所所属。
自衛隊イラク派兵違憲関西訴訟、大阪空襲訴訟、大阪市職員思想調査アンケート国賠訴訟などに取り組む。教育基本条例に対する意見書を発表し、発言する保護者ネットワークfrom大阪にも参加するなど、教育問題にも取り組んでいる。

著書
『検証 防空法─空襲下で禁じられた避難』
(大前治・水島朝穂共著 法律文化社 2800円+税
この本はこの訴訟との関わりなしにこの時期このタイミングでは世に出なかったものである。東京大空襲10万をはじめとする全国で60万以上の空襲被害者のなかには、「逃げれば助かったのに、現場にあえてとどまったために亡くなった人たちがいたのではないか」という疑問を、当時の法制度の検討から構造的に明らかにしようとした。
*空襲被害者は米軍の爆撃によって生まれただけではなかった。そのなかには、国によって作られた「逃げられない仕組み」があった。それが防空法である。防空法は日中全面戦争の年、1937年4月5日に制定され、当初は「防空演習」に法的根拠を与えることに主眼が置かれた。
防空法の目的はあくまでも国家体制の防護であって、国民の生命・財産の保護ではない。防空義務の強化により、国民は「命を賭して各自の持ち場を守る」ことを求められ、空襲から逃げることが許されない状況に置かれる。防空法制の末端組織である「隣組」も実質的な効果をあげた。実際に逃げたことで処罰された例はないが、罰則をもって禁止されたこと自体が、住民に対して強度の威嚇効果をもたらしたことは明らかだ。事実、1945年7月28日の青森空襲では、米軍の伝単で爆撃予告を知った市民が避難したところ、県知事が配給を停止すると脅して、避難者を青森市に戻した。その日の夜にB29が予告通り来襲し、728人が死亡している(本書12~15頁)。
*避難したのに無理やり連れ戻されて死んだ人々。ここに、「守るべきものは何か」をめぐる防空法の思想が端的にあらわれている。
特に若い世代に本書が読まれることを期待したい。これは70年前の「過去の話」ではなく、「いま」の問題である。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です