島津亜矢「大利根無情」 NHK「うたコン」に久しぶりに出演しました。

9月20日、NHKの「うたコン」に島津亜矢が久しぶりに出演しました。
「恋旅&股旅 歌でつづる人生の旅路」特集ということで、わたし個人としては「瞼の母」を期待しましたが、「大利根無情」を歌いました。
番組冒頭は股旅ものの寸劇で始まりました。その寸劇に島津亜矢も登場し、一般に思われている「力持ち」のイメージで今回は剣をもち、バラエティーに即した殺陣を披露し、それなりの笑いをとっていました。
それはともかく、今回の放送もバラエティー満載かと思っていたところ、寸劇の終わりから島津亜矢が「大利根無情」を歌いました。寸劇は本番前の「余興」で、島津亜矢の歌で番組がはじまったという印象です。
わたしは必ずしも歌番組にバラエティーが入ることが間違いだとは思っていません。テレビ番組にエンターテインメイント性が求められる以上、当然のことだと思っています。
それでも昨今の歌番組のバラエティー化に疑問を持つのは、ニュースから天気予報までバラエティーで覆い隠すことで社会の数々の課題を「笑い」でごまかそうとする世の中の危険な匂いを感じるからです。それでは「笑い」を突き詰める芸人さんとわれるエンターテイナーに失礼だといわざるを得ません。さかのぼれば「狂言」から、好き嫌いは別にして立川談志、亡くなる直前まで反骨精神をなくさなかった永六輔など、本来の「笑い」は社会の理不尽をするどく見抜く批判精神を「笑い」で表現した素晴らしい文化であったはずなのです。
ですから、歌番組に限らずですが、反逆精神もなく世の中が認める「笑い」で覆い隠して人気をとろうとする煽情的で暴力的ともいえる今のテレビ番組のバラエティー化には心が暗くなってしまうのです。バラエティーの元祖と言われた「夢であいましょう」を制作したNHKだからこそ、バラエティーをごまかしの道具とせずきちんと制作してほしいと願っています。
それはさておき、歌番組のバラエティー化にはとんでもない副作用があります。それは、視聴者が落ち着かず音楽をしっかり聴くことが難しくなってしまうことです。さらに誤解を恐れずに言えば、歌い手さんの方も歌うことよりも場を盛り上げるための「余興」のような歌唱に陥っているのではないかと思うことがしばしばなのです。
ですから、島津亜矢がバラエティーの後で歌い始めた時、聴くほうが「余興」として聴いてしまうのではないかと最初は心配でした。ところがどうでしょう。寸劇からそのまま歌いだした島津亜矢は見事に寸劇の流れも切らず、本番のトップバターとして見事な歌唱を聴かせてくれたのでした。観ていてわからないほどその転換はスムーズでしたが、どうしても本人自身も切り替えが難しく、バラエティーの雰囲気に流されても不思議ではない場面でしっかりと歌える歌い手さんはそんなにいないと思います。
「大利根無情」は三波春夫が1959年に発表した名作で、天保15年、大利根河原で起きた大利根河原の決闘で飯岡助五郎との大利根河原の決闘に笹川繁蔵方の助っ人として参加し、闘死した平手造酒を題材とした楽曲です。講談「天保水滸伝」をはじめ浪曲や歌舞伎、映画にもなった任侠物の定番を歌にしたもので、三波春夫は浪曲歌謡の草分けらしく、物語の進行としてのナレーションと登場人物のモノローグを見事に融合させています。
島津亜矢は2003年のカバーアルバム「亜矢・三波春夫を唄う」にこの歌を収録した他、コンサートや音楽番組でもたびたび歌ってきました。「元禄名槍譜 俵星玄蕃」をはじめとする三波春夫の歌謡浪曲は島津亜矢のオリジナルをもまさる彼女の定番になっていましたが、今はなぜか歌えなくなってしまったようでとても残念です。
ともあれ、島津亜矢が歌う「大利根無情」は、純な気持ちを心の奥深くにたたみ、殺伐とした世間を生きるしかなかった平手造酒の孤独な青年像が浮かんできます。純情であるために傷つき、ひとを傷つけてしまうことでまた傷ついてしまう青年、違う人生を送ることもできたかも知れないのに身を滅ぼす不器用な生き方を選び、死に急ぐ平手造酒の心情が乗り移ったような彼女の歌を聴くと、わたしの1960年代、JR吹田駅前の安アパートの一室に黄ばんだTシャツとともに青白く荒ぶれる青春を捨ててきた、わたしのあったかもしれないもうひとつの人生の行方に思いをはせてしまうのです。「勝手にしやがれ」のジャン・ポール・ベルモンド、「昭和残侠伝」の高倉健、「ブエノスアイレス」のレスリー・チャンに自分の人生を重ねた「夢見る人生」の行きつく果ての寒々とした待合室で、もうひとりのわたしは島津亜矢の「大利根無情」を聴いているのでした。

この日の「うたコン」は島津亜矢の「大利根無情」をきっかけに、出演した歌い手さんがしっかりと心を込めて歌っていて、とてもいい番組でした
わたしの好きな「いきものがり」の新曲「ラストシーン」は、別れてしまった恋人の切ない気配や記憶からいま、ほんとうにサヨナラしようとする純な心がいとおしい、いきものがかりというか水野良樹の「新しい歌謡曲」で、この瑞々しい歌心からあふれる楽曲を島津亜矢に提供してほしいとあらためて思います。もっとも、このひともほかの歌い手さんに楽曲を提供しそうもないのですが…。
キンキキッズの新曲で「THE YELLOW MONKEY」の吉井和哉が作詞作曲した「薔薇と太陽」は繊細でこわれやすい感性と、時には暗くよどむ激しい感情をストイックなブリティッシュロックに高めながら、そのロックサウンドに哀愁漂う昭和歌謡のテイストをしのばせる吉井和哉らしい楽曲でした。それは同時にジャニーズの中で唯一といっていい歌謡曲路線にロックやポップスを漂わせるキンキキッズに送る最上のエールでもあったことでしょう。
吉井和哉自身の言葉にあるように、「大人になった硝子の少年」がテーマのこの曲もオリコン一位となったようです。
そして、ボーカリストとして島津亜矢に匹敵する歌唱力を発揮したのはJUJUの「六本木心中」でした。2004年デビューの彼女はJポップのジャンルでは比類のボーカリストとしてその地位を固めた感があります。ジャズシンガーを目指していただけにジャズのスタンダードナンバーをはじめ、歌謡曲からポップスまで幅広いカバーソングを歌っている彼女を、わたしは島津亜矢ファンにもJUJUファンにも叱られることを承知で「ポップス界の島津亜矢」と思ってきました。しかしながら、JUJUはさすがに演歌は歌わないようですから、島津亜矢のボーカリストとしてのレンジの広さは特筆ものとあらためて感じました。

そんなわけで、たしかに45分の番組に出演者も多くバラエティーも入るとなると目まぐるしさ忙しさは仕方ないことでしょうが、今回の放送で「うたコン」を見直しました。
願わくば日本の歌姫・島津亜矢の出演をもっと増やしていただければと思います。

島津亜矢「大利根無情」

いきものがかり 『ラストシーン』Music Video

KinKi Kids 「薔薇と太陽」

JUJU「六本木心中」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です