映画「大鹿村騒動記」

先日、大阪千里中央の映画館で「大鹿村騒動記」を観ました。ご存じのように昨年、この映画の公開直後に主演の原田芳雄が亡くなったことでも話題になった映画です。
かつてテレビドラマで、長野県の山村・大鹿村を訪れ、300年以上も伝わる「大鹿歌舞伎」の存在を知った原田芳雄が呼びかけ、「どついたるねん」、「亡国のイージス」、「顔」の阪本順治監督とそのスタッフ、そして長年の友人の俳優たちがつくり上げた群像喜劇です。
伝統の村歌舞伎が受け継がれてきた山村で食堂を営む男のもとに、駆け落ちした妻と友人が現れたことから始まる騒動が軽妙なタッチで描かれています。
18年ぶりに駆け落ちしたまま行方がわからない妻が認知症になって村に戻るなど、一大事件にちがいありません。ましてや約530世帯、1200人ほどの小さな村ならなおさらのことでしょう。妻だけではなく、登場人物それぞれ悩みや秘めた恋や事情をかかえ、またリニア新幹線工事の是非を巡る村の紛争など、ほんとうは深刻で重いものであったりするのですが、登場人物たちがそれらにまじめに向かい合えば会うほど、とてもこっけいでおかしく愛おしく、映画もまた村歌舞伎の本番の舞台へと向かう一週間を登場人物たちといっしょにおろおろしているようなのです。
舞台本番の前日、18年前に妻が駆け落ちした日と同じく台風がやってきて激しい風雨のさ中、妻がまた居なくなり、みんなで探すのですが、その時に小野武彦演ずる宿屋の主人が「一度目は悲劇で、二度目は喜劇」と、マルクスの言葉をもじったりします。結局は見つかり、男は「こんな状態じゃ芝居はできん」と言うと、妻が突然、昔相手役をしていたセリフを言うのでした。
そして当日、大勢の観客の前で昔のように舞台に立つ2人と村人たちのいろいろなもめごとや個々の事情は、もつれたひもがほどけるように歌舞伎を演じる中で昇華されるのでした。演じられている歌舞伎は「六千両後日文章 重忠館の段」といい、男は平家のヒーローである悪七兵衛景清を演じています。歌舞伎は景清の台詞である「仇も恨みも、是まで、是まで」というセリフで幕となります。
共演には大楠道代、岸部一徳、佐藤浩市、三國連太郎、石橋蓮司、でんでん、小野武彦、などベテランに松たか子(どちらかな?)、瑛太、冨浦智嗣という若い俳優が絡むことで、ベテラン俳優たちの子どもっぽさにも嫌味がなく、よりコミカルな演技をひきだしています。その中でも原田芳雄はとてもセクシーで、そういえば昔、つかこうへいの「寝盗られ宗介」を若松孝二が映画にした時の原田芳雄も、せつなくておろかな男の色気にあふれていたことを思い出しました。あの時に彼が歌った「愛の賛歌」に涙が出ました。
いま改めて原田芳雄の出演した映画のリストを観ると、わたしが観た映画もたくさんありました。その中でも寺山修司の「田園に死す」、「さらば箱舟」、黒木和雄の「父と暮せば」、鈴木清順の「ツゴイネルワイゼン」は印象深い映画でした。「ツゴイネルワイゼン」にも大楠道代が共演していました。またNHKのテレビドラマ「火の魚」では直木賞も受賞したことのある一人暮らしの老作家の役柄で、尾野真千子演じる若い女性編集者との出会いと、彼女の死を予感させる別れを見事に演じ、話題になりました。
ほんとうにいい俳優でした。残念です。

この映画の題材の「大鹿村歌舞伎」は日本各地の村歌舞伎のひとつだそうで、この映画を観るまで知りませんでした。歌舞伎の起源は1603年(慶長8年)に出雲阿国がかぶき者の風俗を取り入れた「かぶき踊り」をはじめると、たちまち全国的な流行となり、のちの歌舞伎の原型となったと言われています。かぶき者とは、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて、江戸や京都などの都市部で異風を好み、派手な身なりをして、常識を逸脱した行動に走る者たちでした。彼らが時の権力にあらがい、次第に追い詰められていく過程で、「かぶき者の演劇」を標榜する歌舞伎もまた弾圧を受けます。
まず最初に女歌舞伎の禁止、次いで若衆歌舞伎の禁止という流れになります。どちらも売春などで風紀を乱したから禁止された面もありますが、かぶき者対策が真の理由だともいわれています。
元禄時代になり、規制はあるものの歌舞伎は江戸や京都の都市部の庶民にとどまらず、農村から所用や旅で出てきた者たちの娯楽としても大変な人気だったといいます。
村歌舞伎は、全国各地の農民が都市部で芝居を学び、自分たちの村でも歌舞伎を上演しようとする動きに加えて、都市部から排除されたかぶき者が旅芸人となり、村歌舞伎の成立に力を貸したのではないかと思います。
村人たちが演じる村歌舞伎も、風紀がみだれることや百姓仕事がおろそかになることや、人が集まることで暴徒化することなどを恐れ、時の権力は明治初期でも弾圧しますが、村人たちはそれをかいくぐり、歌舞伎の舞台をつくり、演じてきたのでした。
それはきびしい暮しと息がつまる小さな村のコミュニティから逃げることができなかった時代に、想像力や芸能表現によって心が解き放たれる「もうひとつのコミュニティ」をつくることだったのではないでしょうか。そうならば、地方の農村から都市に出てくることでつくられてきた「近代化」が行き詰まる今日、都市集中型の経済、政治、文化から、古い因習にしばられた前近代として見放され、過疎化がすすむ小さな村や町を新しいコミュニティとして再生していくことは必要かつ現実的なのかも知れません。
ラストのエンディングにかかった忌野清志郎の「太陽の当たる場所」がかかると、なぜか突然涙があふれてしまいました。

風の中に聞える 君の声が聞える
よみがえるよ 遠いさすらい
さがし求める 太陽の当たる場所

この映画は決して派手ではありませんが、人生のこっけいさにあふれた喜劇というだけではなく、これからわたしたちがどんな社会をつくることを選ぶのかを考えるヒントをくれていると思います。

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