島津亜矢「BSにっぽんの歌」

15日、「BSにっぽんの歌」を観ました。島津亜矢は「大利根無情」と「おまえに惚れた」を歌いましたが、どちらもあたりまえのことですが素晴らしい歌唱力で、28日の神戸のライブが待ち遠しいです。
「大利根無情」は以前にも少し書きましたが、島津亜矢は滅びて行く若者の心情を歌うと絶品で、「行かねばならぬ、行かねばならぬのじゃ」と声を絞り出す名セリフに、あの「天保水滸伝」の映画がよみがえります。
正月にたまたまテレビで東映映画「瞼の母」と、天保水滸伝を題材にした「血闘水滸伝・怒濤の対決」を続けさまに観ました。わたしの子ども時代はまだテレビがなく、映画が娯楽の王様でした。市川右太衛門、片岡千恵蔵、中村錦之助の東映、石原裕次郎、小林旭、朝丘ルリ子の日活、長谷川一夫の松竹など、多彩な映画が次々とわたしの町の映画館にも押し寄せていました。
わたしの母はバラックで一膳飯屋をしながらわたしと兄を育ててくれたのですが、ある日、映画館のおじさんが店の前に映画のポスターを張るかわりに月4枚のタダ券をくれることになりました。そのおかげでわたしは東映の映画はいつも観ていて、今でもテレビでその時代の東映映画を観る時、岩にあたって波しぶきを上げる海と東映の三角マークを観ると胸があつくなります。
さて、今回観た2本とも中村錦之助が出演していて、子どもの頃にたくさんの女性ファンが胸ときめかせた理由がよくわかりました。「瞼の母」は主役の忠太郎を演じているのですが、目の動き、立ち姿、そしてすこし前のめりだった若い頃のセリフ回し、どこをとってもぞくぞくっとする色気が漂っていました。
加藤泰監督の「瞼の母」は日本映画史に残る名作です。今見ても斬新な映像で、忠太郎を中央に映しながら場面の隅で、江戸の町で暮らすひとびとの息遣いや立ち振る舞いをみごとに描いています。そして、瞼に浮かぶ母親を訪ねる忠太郎のせっぱつまった純な心と、わが子を心の中では抱きしめたいと思いながらも、やくざになった忠太郎を認めることができず、そうさせた自分自身を責めるように冷たい言葉を吐き出す木暮実千代ふんする母親とのやり取りは、切ないという言葉では表せず、観客はどっと出てくる涙を抑えられなかったことでしょう。
わたしが以前に島津亜矢の「瞼の母」について思ったことの原型はこの映画にあったことが分かりました。境遇はちがいますが父親がいない家で、母と兄と私の3人が必死にその日その日をかいくぐっていた子ども時代にこの映画を観ていて、中村錦之助の忠太郎がずっと心に焼き付いていたのだと思います。
母を慕う人情劇として昨今の演歌でも大衆芝居でもとりあげられることが多い「瞼の母」ですが、わたしは中村錦之助と島津亜矢は共通して滅びの美学というか、世間で言うまともには生きられなかった若者のささくれ立った心と純情な心とのアンバランスな葛藤を見事に表現していると思います。

長谷川伸原作の「瞼の母」は、飯岡助五郎一家と笹川繁蔵一家との抗争がその背景にあり、その抗争を描いた芝居はたくさんのあるのですが、「血闘水滸伝・怒濤の対決」もそのうちのひとつで、東映スターが総出演するこの映画はわたしが子ども時代に観ていた役者が勢ぞろいでした。市川右太衛門が笹川繁蔵、片岡千恵蔵が国定忠治、悪役俳優の新藤英太郎が飯岡助五郎、大友柳太郎が平手造酒を演じました。そして若山富三郎、東千代之助、里見浩太郎、美空ひばり、月形龍之介、大河内傳次郎などの大スターが競演していました。
この映画でも、中村錦之助のぞくっとする色気に圧倒されました。錦之助ふんする政吉は飯岡一家に属しながら渡世人の義理と人情に厚く、親分の悪どい縄張り拡張に反対し、利根川を挟んだ決戦では敢然として正義を貫こうと笹川一家を助けるが、飯岡一家の鉄砲に打たれ一命を絶つという悲壮な最期を遂げます。
非道で功利的な親分の筋目の通らない無理難題に耐え、それでも「任侠の正義」の道を進言し親分にうとまれ、最後にはおのれの仁義を通し、自分の親分が抗争相手の笹川一家を闇討にかけようとしているのを知らせて死んでしまう。もっとちがう生き方があったのではないかと思うのですが、渡世の義理というしばりによって政吉が不条理な運命を進まざるを得なくなるという、ここでも滅びの美学を中村錦之助が見事に体現していました。
そして、肝心の平手造酒ですが、わたしは東映の俳優では片岡千恵蔵についで、大友柳太郎が大好きでした。このひとの魅力は不器用な演技と言うか、棒読みのようなセリフ回しと存在感のある「目」にあります。わたしが大人になってからも往年の大スターでありながら若い監督による冒険的な映画にもよく出演していて、東映時代劇時代を知らない若い映画ファンにも愛され、尊敬されていました。
平手造酒の役どころは彼にぴったりでした。繁蔵が「やくざのけんかに先生の剣を使ってはだめ」という配慮と病気をおもんばかって知らせなかったものを、自分のいのちをかけても笹川繁蔵への恩返しをすることが自分の生きてきた証であると決闘の河原にかけつけた平手造酒は、この時にすでに死を覚悟していたのでした。
不器用な生き方しかできない平手造酒の心情が大友柳太郎のセリフまわしによって生き生きと描かれているのですが、この心情を島津亜矢はありあまる説得力で歌っています。彼女の場合は三波春夫やこの映画の大友柳太郎よりも若く、凛々しく表現されているのが魅力で、最近でも「忠治侠客旅」、「亜矢の三度笠」を歌っていますが、侠客ものは差し控える傾向にある中で、彼女の侠客ものには得難い魅力があり、歌い続けてほしいと思います。
さて、今回も島津亜矢を通してわたしの子どもの頃の話に終わってしまいましたが、「BSにっぽんの歌」でびっくりしたのが渥美二郎でした。前からそれなりにいいなと思ってはいましたが、この時の彼はもしかすると一番のできだったのかなと思います。
そして、スペシャルステージの小林旭は圧巻でした。その中でも阿久悠作詞・大滝詠一作曲の「熱き心に」はすばらしく、以前島津亜矢がBSでこの歌を歌っていました。島津亜矢にはどこか大陸的なスケールの大きな魅力があり、この歌や小椋佳作詞・堀内孝雄作曲の「山河」はそんな島津亜矢にぴったりだと思います。
「悠悠」で阿久悠の世界を見事に歌ってくれた亜矢さんにこのような楽曲が提供されたら、どんなにうれしいことでしょう。いろいろな名曲をカバーで歌うだけではない、彼女のほんとうの魅力が最大限に発揮されるのではないかと期待しています。

島津亜矢「大利根無情」

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