大阪都構想は成長神話というアベノミクスの負債を背負わされる地獄への旅

 8月2日、大阪都構想に反対する街頭行動に参加しました。大阪都構想は2015年の住民投票で否決されましたが、2019年4月の大阪府知事選で吉村弘文氏、大阪市長選で松井一郎氏が圧勝、統一地方選でも維新の会が躍進し、大阪府・大阪市特別区設置協議会(法定協)において審議が進み、11月1日にも2度目の住民投票が実施される見通しになっています。
 「二重行政をなくすことで無駄をなくし、大阪の成長をより進めるためにと維新の会が主張する都構想は、冷静に考えれば大阪市を4つの特別区に分割し、大阪府に権限を一本化するという話で、政令指定としての権限も税金も縮小され、大阪市民にとって行政サービスの低下の心配はあってもなんの得にもならない話です。
ましてや今、コロナ禍のさ中、保健所や医療機関の縮小が事態を深刻にしてしまったことに学ぶならば、政令指定都市・大阪が国や府の及ばない医療体制の強化と町の経済を救う役割を果たさなければならない切羽詰まった状況なのではないでしょうか。
 しかしながら、「身を切る改革」として公務員や教職員の人数を減らすなど公的サービスをカットし、大阪市営交通の民営化など行政改革を進めてきたことを成果とする維新政治と、最近の吉村知事の異様な人気からでしょうか、大阪の成長を信じて東京中心の政治経済に対抗する都構想に賛成という声が大きいのも事実です。
 「身を切る改革」を維新の会の実績とするのは宣伝のたくみさで、大阪市の場合は2003年から2007年までの関淳一市長時代の改革を橋下氏及び維新の会が引き継いだという事情があります。2004年、大阪市の職員厚遇問題(カラ残業や、ヤミ年金・退職金の積み立て等、不正な金の流用)が発覚、関市長は上山信一氏ら外部有識者の助言を得て市政改革に取り組みました。橋下氏と維新の会の実績とするものの中味は、すでに関市長時代に実行されたり計画されていたものも数多く含まれています。しかしながら関市長時代は行政内部における抗争だったものを、橋下氏と維新の会は広く市民の支持を背負い、「既得権益を打ち破る正義の味方」とイメージづけることに成功したのでした。
 維新の会の政治理念は選挙と多数決の民主主義で、誰にも文句のつけようがないもののように思えます。しかしながら、それは時には他者への妬みすら道具とする「刹那的多数決民主主義」で、税金を納めている人々だけを構成員とする民主主義でもあります。
 公務員への「粛清」のあとは、生活が苦しくなる一方の市民の不満が生活保護をはじめとする福祉を必要とするひとや在日外国人へのヘイトにすり替えられる一方、自己責任を強いられ相互監視の中で心を縮ませて生きるこの社会では、大人だけでなく未来をたくす子どもたちですら、自殺に追い込まれてしまう悲惨な現実があります。
 「身を切る改革」と言い換えて小泉政権の聖域なき構造改革も自らの手柄にし、インバウンドに支えられた「成長」も自らの実績とする維新の会のたくみさには恐れ入ります。
 しかしながら、大阪維新の会もその支持者も都構想が実現し、2025年の万博とカジノで大阪の経済がもっと良くなると信じているとしたら、そのことの方が恐怖と言わざるをえません。コロナショックと消費税増税で安倍政権の成長戦略が破綻した今、維新の会がかかげる「大阪の成長」はアベノミクスの負債を背負うことにならないという保証はありません。
 コロナ恐慌の中で日本経済の一段の破綻が現実のものになる不安が渦巻く今、観光と浪費をあてこんだ万博イベントとカジノ・IR建設の地が、後の世にふたたびぺんぺん草に覆われた廃墟と荒野になってしまわないかとても心配です。
 コロナショックが教えてくれたことは、東京をはじめとする都市集中型のより早くより遠く、格差を広げるだけの無茶な成長戦略を捨て、さけることができない人口減少と経済停滞の社会になっても、助け合いと分かち合いによって「こんな暮らしもありか」と誰もが思える構造改革こそ今から準備しなければと思うのです
 むかしから大阪には東京にない「なにわ人情」があります。大阪は隣町の堺市をはじめ関西・近畿をゆるやかにつなぎ、政治的な制約を受けないで自由な文化を育てあってきた文化があります。維新の会は東京と張り合い、大阪を政治的な町にするため、関西の人権文化を切り捨ててきました。大阪都構想はそれに追い打ちをかけるように大阪のほんとう の元気の素を壊してしまうことになるとわたしは思います。
 その意味において、大阪都構想の是非を問う住民投票が再度あるとすれば、その選択は大阪市民だけにあるのではなく、わたしたちの心の中に巣くう「成長神話」を捨てられるかどうか、そして40代以下の若い世代による人口減少を当たり前とする新しくしなやかな日本経済、GDPで測れない豊かでやさしい経済に裏付けられた社会をデザインできるのかを試されるきわめて重要な選択になると思うのです。

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