クレーの線は泣いていた

日付がかわってしまいましたが、今日、パウル・クレー展を観に京都の国立近代美術館に行ってきました。
豊能障害者労働センターが製作しているカレンダーの作者の松井しのぶさんと箕面の友人Mさんと3人で行ってきました。街は桜が満開ですし天気もよかったので、歩いて岡崎公園に行くことにしました。
地震で外国からの観光客は減っているのでしょうが、京都は今年の春最高の人出だったと思います。わたし自身、昼間の京都に来たのはかれこれ10年ぶりぐらいになります。また地震以後、近くの公園にも出かけられずにいたので、ひさしぶりに心が解放されました。ゆっくりと桜の花の下を川のせせらぎにそって歩いていると、時間も春の陽気に浮かれて遊んでくれるのでした。
どこのお店も行列でしたが、なんとか昼ご飯を食べて、さあいざクレー展へと足を運びました。

松井さんはもとよりMさんも絵を描いていたこともあり、描く手法や素材などとてもくわしくわかってとても勉強になりました。クレーの絵は高校時代からなんとなく見ていて、滝口修造が日本で結構早くに紹介していたことなどを思い出していました。高校の時は絵本になるようなきれいな色と線ぐらいしか思っていませんでしたが、今ひとつのかたまりでクレーの絵を見ていると、ロボットのような幼稚とも思われる人物の線も抽象的な線も、どこかとぎれそうになりながらつながっていて、その線をたどっていくと悲しい音楽が聞こえてくるように感じました。クレーの線は泣いていました。
地震のことがあるからそう思ったのかも知れませんが、ナチに退廃芸術と弾圧され、1933年にドイツから逃れ経済的にも不遇な日々を過ごし、また難病に悩まされながら膨大な絵を描きつづけ、1940年に亡くなってしまう彼の人生は、いい時代だった1910年代から20年代の時の絵にもすでに陰りのようなものを映し出していたのかも知れません。

最近にない素敵な時間を過ごせて幸せな気持ちで河原町にもどると、なんと京都の障害者運動の方たちが募金活動をされていて、思わず涙が出てきました。40人ぐらいおられたでしょうか、車イスを利用されている人を中心に一生懸命募金の呼びかけをされていました。いただいたチラシはゆめ風基金のチラシをアレンジされていて、裏にはゆめ風基金の八幡理事の写真とともに障害者救援活動が紹介された新聞記事が印刷されていました。きっと今日に限らず全国のいたるところで、障害者救援活動への救援金をよびかける募金活動が行われていることを確信しました。
そして、今日もゆめ風基金の事務所につめている人のことも思い出し、自分が今日一日お休みして遊んだことを申し訳なく思いましたが、気分もリフレッシュして、固くかたまりそうになる心がやわらかくなったことも事実で、それはそれとしていい一日でした。

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