おお せつなやポッポー 友部正人の「乾杯」と浅間山荘事件

乾杯 取り残されたぼくに
乾杯 忘れてしまうしかないその日の終わりに
乾杯 身もと引き受け人のないぼくの悲しみに

おお せつなやポッポー
500円分の切符をくだせえ
友部正人「乾杯」

1972年に発表されたこの曲は、同年の連合赤軍浅間山荘事件を取り上げた、トーキングブルースです。
あさま山荘事件は、1972年2月19日から2月28日にかけて、長野県北佐久郡軽井沢町にある河合楽器の保養所「浅間山荘」において連合赤軍が人質をとって立てこもった事件です。
機動隊の人質救出作戦が難航し、死者3名(うち機動隊員2名、民間人1名)を出しました。10日目の2月28日に部隊が強行突入し、人質を無事救出、犯人5名は全員逮捕されました。
2月28日は酷寒の環境における警察と犯人との攻防、鉄球での山荘破壊など衝撃的な経過がテレビで生中継され、NHK・民放を合わせたテレビの総世帯の視聴率は午後6時26分に89.7%に達し、国民のほとんどすべてがテレビを見ているという空前の出来事でした。
わたしはこの頃、フーテンのような暮らしから小さな町工場に就職して2年がたった頃で、ようやく仕事にも慣れ、極度の対人恐怖症も工場の中では少しずつ解消されてきた頃でした。
この日は仕事が終わった後、普通ならすぐに帰るところ、卓球をしながらテレビの中継を見ていました。そして、自分がこの社会のどこに立っているのか自問しつづけました。
というのも、自分がお茶の間で、仕事場で、町の電器屋のテレビの前で、現実に今起こっている事件を卓球しながら、コーヒーを飲みながら、酒を飲みながらまるでドラマを見るように機動隊員の死までも傍観し、人質の女性の安否を気遣い、犯人たちの非道をなじる側の人間に洗脳されていく、もう少し正確に言えばそのようにふるまわなければならないと実感したからでした。
テレビ報道は、「安全な場所」にいるわたしたちに犯人逮捕までの長い道のりを映しつづけることで、正義とやさしさをもって反社会的な行動を極悪人と断罪することを要求していました。
思えば、今数多くの芸能人が時事評論家になり、「真実」より「印象」やパフォーマンスで大切なことがかくれたまま、薄明るい闇に次々と消えていくニュースバラエティが席巻していますが、あさま山荘事件の報道はその最初のひとつでした。
この事件以来、マスコミ報道は事件をさまざまな角度から検証し真実にたどりつくことより、わたしたちをひとつの方向に誘導し、国や社会が「善良な市民」と認める人間になる「洗脳教育」をするようになったと思います。

この事件から45年、わたしたちは見事に傍観者、サイレントマジョリティとして愛される存在とみなされるようになってしまいました。しかしながら、サイレントマジョリティという大衆がすでに崩壊してしまったことも事実で、分衆から孤衆へと追い詰められたわたしたちはサイレントマイノリティとして復活する時が近づいている予感もあります。
たとえば、「世界の終わり」というバンドに集まる若い人たちにとって、このバンドは世の中の暴力から身を守るシェルターの役割を果たしていますし、高橋優に集結するひとたちもまた、自分の肉声であるべき人生をもとめていると思います。「エレファントカシマシ」もまた、ますます過酷になって追い詰められたわたしたちが、「さあ、がんばろう」と疲れた体を奮い起こす応援歌を歌いつづけています。
45年も前に、友部正人の「乾杯」は、そんなメディアバイパスのもとで傍観者であることの危険を説得力のある語りで表現しています。そして、1970年代初め、まだ激しかった政治の季節のほてりが冷めやらぬ頃、考えるよりもまず行動することにあこがれた青春の青さを一気に凍らせた浅間山荘事件の人質が、実は「ヤスコ」さんだけではなく、テレビを見ていたわたしたち全員が国家の人質であったのだと、気づかせてくれたのでした。

おお せつなやポッポー
500円分の切符をくだせえ
この歌詞は高田渡を中心に結成されたジャグ・バンド「武蔵野タンポポ団」の「ミッドナイトスペシャル」から引用されたもので、もともとアメリカ民謡を1934年にレッドベリーが作詞したものです。
さらに、「500円の切符をくだせえ」という歌詞はラングストン・ヒューズの詩「75セントのブルース」から来ていて、浅川マキの「夜が明けたら」もこの詩に触発された歌だと思います。
木島始の訳詞で紹介されたこの詩をわたしに教えてくれたのは寺山修司でした。黒人差別とたたかったラングストン・ヒューズのこの詩は海を越え、高度経済成長の華やかさの陰で鬱屈し、心を閉じ込めないと生きていけないと思ったわたしの1972年に届きました。
「どこへいくかなんて 知っちゃあいねえ ただもうこっからはなれていくんだ」
ヒッピーでありませんでしたが、この世の中のすべてから脱出したい…。その思いはわたしだけではなく、たくさんの人々が持っていた感情で、友部正人は傍観者の心情を歌うだけでなく、傍観者から脱出する汽車に乗り込んだのだと思います。
そして、今もまだ「銀河鉄道の夜」のカムパネルラのように、大人になったジョバンニを探して旅を続けているのだと思います。

おお せつなやポッポー
500円分の切符をくだせえ

友部正人「乾杯」

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