理念の共有を熱い心に求める、「国難」に立ち向かう救国救民の政治的結集。

小池氏が民進党議員に希望の党の公認条件に「憲法改正」や「安全保障」、「外国人参政権」など10項目の政策協定書を作成、署名を求め、リベラルな候補者を排除することが明らかになり、その動きから枝野氏がリベラルな候補者の結集軸として「立憲民主党」を結成しました。
共通の理念を求める小池氏たちの行動は当たり前のことなのかもしれませんが、民進党候補者に混乱と反発を招いただけでなく、数多くの人たちに違和感を与えたのも事実だと思います。
もちろん、民進党内で前原氏が説明した「全員参加」と話がちがったことが大きな要因だと思いますが、わたしはそれ以上に小池氏や若狭氏の発言や「踏み絵」から、「安倍一強」体制よりもさらに危険なファシズムのにおいがして、とても不快に思うのです。
とくに若狭氏が政策協定書を提出する候補者に対して「私は検事、永く人の嘘を見抜いてきた。私が面接する」という発言には驚きを通りこして恐怖を覚えます。
徳川幕府によるキリスト教信者への「踏み絵」に例えられる「面接」に、民進党の候補者がどれだけの屈辱感を隠してその「踏み絵」を踏んだのか、想像すると胸が痛くなります。
党の理念は党の綱領に示され、その綱領のもとで党員が結集してこそ政党が成り立つはずが、わざわざ政策協定書を提出させるだけでなく、面接までして「嘘を見抜く」と言い放つ若狭氏の発言は、会社の新入社員の採用試験どころか容疑者の取り調べ以外の何物でもありません。そんな傲慢な発言ができるのも「小池旋風」に酔いしれているからで、民進党の候補者を上から目線でしか見ず、これからともに戦う仲間として受け入れようとは思っていないのが明らかです。
そして、このような暴力的な選別・排除は、踏み絵を踏む候補者を応援する人々と、なによりも前職の候補者の場合は彼女・彼に投票し、「国の未来」を託した人々が本人の後ろに前にそばに周りにいることを無視しています。
それは、安倍さんが都議選の街頭演説で、政権に批判的な聴衆に対して「こんなひとたちに負けるわけにはいかない」と発言したこととつながっています。
「こんなひとたち」とは、リベラルな候補者を応援したり、そのひとに一票を投じるひとたちであり、小池さんや若狭さんが排除したものは、リベラルな候補者だけではなく、彼女・彼とともに安倍さんや小池さんとはちがう理念を政治に求めるひとたちも排除したのではないでしょうか。
枝野さんは、小池氏のリベラルつぶしがあからさまになり、自民党にも希望の党にもくみせず、共産党や社民党と連携するリベラル政党を熱望するひとびとの声に後押しされて、ほんとうにぎりぎりの段階で決断し、「立憲民主党」を立ち上げたのだと思います。わたしはその勇気に敬意を表したいと思うのです。
また、立憲民主党の立ち上げにすかさずエールを送り、共闘をよびかけた志位さん率いる共産党にも、同じく連携する社民党にも敬意を表します。
希望の党が政治理念を共にする仲間とするのに綱領では物足りず、政策協定書に頼るのに対して、立憲民主党も共産党も社民党も理念の共有を熱い心に求める、これこそが日本の民主主義も日本国憲法も風前の灯にある「国難」に立ち向かう救国救民の政治的結集であると思います。
立憲民主党の立ち上げ発表後、ツイッターのフォーロー数は10月6日現在で約13万4千に達し、政党の中でトップに躍り出ました。民進党から希望の党に多数が合流する中、安全保障関連法反対などの主張を変えない政治姿勢がフォロワーの急増に結びついたとみられています。一方、希望の党のフォロワーは約4900にとどまっています。
衆院選で実際の得票につながらないかも知りませんが、「小池旋風」のようなハードな風に対して、地道ながら国の未来と民主主義の危機にひそやかに行動を起こそうするサイレントマジョリティの静かな風に一縷の夢を託し、ほんとうの「希望」を求めたいと思うのです。

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