「楽隊は、あんなに楽しそうに鳴っている。生きていきましょうよ!」桜の庄兵衛

9月29日、いつも楽しみにしている「桜の庄兵衛」ギャラリーのコンサートに行きました。
豊中の阪急岡町駅から商店街を通り抜けたところにある「桜の庄兵衛ギャラリー」は、和室の大広間の梁や柱と白壁が演奏者とお客さんを包み込み、ここで年に何回か催される落語からクラシック、ジャズなど幅広い催し物で、毎回特別の時間を用意してくれました。
今回もまた開演時間になり、いつものように日常の時の流れに逆らわないリラックスした雰囲気で、サクソフォン四重奏団「トゥジュール・サクソフォンクァルテット」が登場しました。
ソプラノサクソフォンの辻本剛志さん、アルトサクソフォンの森下知子さん、テナーサクソフォンの岩本雄太さん、バリトンサクソフォンの山添悟さんによるサクソフォン四重奏が奏でる音は、わたしがサクソフォンに持っていた重厚で荒々しく、それでいて「すすりなくような」大時代的なイメージを破ってくれました。
なんと軽やかで優しく繊細で楽しく時にはせつなく、その上にコミカルな音色が4本のサクソフォンから重なり結ばれ、励まし合い助け合い、気が付くと心がウキウキ、ワクワク、うれしい胸騒ぎまでしてくるのでした。
あれ、よく聴く弦楽四重奏やジャズとちがう? どこがちがうの?…、そんなことを想う間もなく、わたしは初めて聴くサクソフォン四重奏に心を奪われてしまいました。
サクソフォン四重奏は4人のボーカリストがサクソフォンと合体した肉声で歌っているようで、それはアカペラによるハーモニーに近く、聴く者の心もまた歌いだし、歩き出し、踊りだしそうにさえなるのでした。これは楽隊なんだ!!と、わたしの心が叫びました。
そして、サクソフォンという楽器があらゆるジャンルで重宝がられるのは、この楽器が人間の声にもっとも近い楽器の一つであり、それは金管楽器のようで実は木管楽器であるのとも関係があるのかなと、素人感覚で納得してしまいました。

わたしがサクソフォンという楽器を知ったのはずいぶん昔、1968年ごろだったと思います。その頃、わたしはともだち6人で家を借り、共同生活をしていました。時代は大学紛争、70年安保闘争、ベトナム反戦運動と、同年代の若者による戦後体制への異議申し立ての街頭デモや街頭演説などが連日連夜行われていました。
わたしといえばもっぱらその頃流行ったヒッピーにかぶれ、寺山修司の「政治革命は革命のほんの一部でしかない」というご託宣にしがみつき、結局のところ人前でしゃべる勇気も実力行動に出る覚悟もないまま過ぎていく時間に身をゆだねていました。
そんなわたしでしたが、当時の学生運動の大学生が泊まりに来て、よく彼らのいう「革命」や政治状況について時には朝まで熱心に語りあったことを思い出します。
そのうちのひとり、Iさんはわたしたちの家に泊まった翌日、決まってわたしを街に連れ出し、ジャズ喫茶に誘ってくれました。その店でIさんはいつもジョン・コルトレーンの「至上の愛」のB面をリクエストし、それがかかる順番を待ちながらわたしに言いました。「あんたらは腰が重いけど、一度立ち上がったら何かするひとたちと思うよ」…。
コルトレーンのテナーサックスはわたしの心を抱きしめ、「だいじょうぶ」となぐさめてくれました。
Iさん、その後どうしていますか? 風のうわさで故郷に帰り、おやじさんの書店を継いだと聞きました。わたしもまた、わたしの人生をそれなりには必死で生きてきたのですが、あなたの言った「なすべき何か」をしたという自信はありません。
時がすぎ、あれだけ激しく吹き荒れた政治の季節風が微熱だけを残して去って行った1970年、わたしは豊中の庄内の町工場で働くことになりきした。近くに音楽大学があり、「ブルーノート」という喫茶店がありました。店の名前に惹かれてお店に入ると、店長のおじさんがお客さんと将棋を指していて、コーヒーを注文されるのが迷惑そうでした。お店の中にはウッドベースとサックスが置いてありました。古いレコードがたくさんあり、ジャズがかかっていました。
何度かそのお店に入ったある日、わたしはおそるおそるおじさんに話をしました。わたしはそんなにジャズのことは知らないけれども、昔友だちに教えてもらったジョン・コルトレーンの「至上の愛」というレコードをかけてもらうわけにはいかないものかと…。
すると、おじさんは言いました。「はじめて聴いたジャズがコルトレーンで、しかもこの曲だなんて、あんたはかわいそうなひとやな」。わたしが「なぜですか?」と聞くと、「こんなすばらしい曲を最初に聴いてしまったら、他の曲を聴く楽しみがなくなってしまう」。
そう言いながら彼はにっこりと笑い、愛おしそうに古びたジャケットからレコードを取り出し、「至上の愛」をかけてくれたのでした。

第1部は静かにサクソフォンの妙なるハーモニーを聞かせてもらいましたが、2部に入るとほんとうに楽隊が路上で歩きながら演奏しているようで、わたしの心もスィングしました。
2部に登場したピアニスト・大島忠則さんの軽やかなおしゃべりに爆笑しながらも、4人の後ろから聴こえる彼のピアノ演奏はとてもしなやかでやさしく、ピアノが描く街並みを4人の楽隊がたくさんの街の人と、いま桜の庄兵衛さんにいるわたしたち90人を街の果てへと連れて行ってくれるのでした。
2部の演奏曲は大島忠則さんの編曲で、どの曲もより楽しく軽やかでしたが、特に「日本縦断!どんなんでんねん?弾丸ツアー」は北から南へ日本の歌謡曲を吹きまくりました。短い一節からワンコーラスまで、サービス精神満載の演奏は、サクソフォンという楽器がどれだけ大衆の心をわしづかみにする稀有の楽器であるかを教えてくれました。

「楽隊は、あんなに楽しそうに鳴っている。
あれを聞いていると生きていこうという気持ちになるわ。
わたしたちの生活は、まだおしまいじゃないわ。
生きていきましょう、生きていきましょうよ!
もう少ししたら、なんのために私たちが生きているのか、なんのために苦しんでいるのか、わかるような気がするわ。
それがわかったらねえ、それさえわかったらね!」
(チェーホフ「三人姉妹」)

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