ポップスと歌謡曲が融合された新しい日本のブルースを求めて 島津亜矢

9月29日、NHKBSプレミアム放送の「演歌フェス」を見ました。この番組は9月9日、NHKホールで開かれた「演歌フェス2019」の模様を9月22日、29日、10月6日の3週間に渡って録画放送されたものです。
初めての試みとして、演歌ファンに大いに期待されたイベントでしたが、予想通りの企画演出で、はっきり言ってこんなイベントが本当に求められているのかと疑問を感じました。もっとも、多くの演歌ファンは最近のNHKの音楽番組への違和感もあるかも知れず、こういういわば「ガス抜き」の番組を求めているのかもしれません。
わたしは演歌ファンではありませんが、少なくともJポップとはちがう音楽的な冒険を求める「新しい演歌」が誕生することを待ち望んでいます。
古くは明治の音楽教育のひずみをひきずったまま戦前戦後を潜り抜けてきた歌謡曲から1970年前後、フォーク、ニューミュージックなど自分の歌う歌は自分でつくり、また自分の聴きたい歌は自分たちが企画構成演出する草の根ライブなどの新しい風が吹き始めました。それまでのレコード会社を頂点とするピラミッドがくずれ、音楽事務所が大衆音楽をけん引することになり、Jポップへと音楽シーンが変遷し、今に至っています。
その潮流の中で、1970年を境に「ニューファミリー」という共同幻想のもとで個人の幸福幻想と社会の経済成長幻想が手をつなぎ、「家族ファースト」と呼べる社会現象が広まると、それに盾突く文化もまた生まれました。
「演歌」のルーツをどの時代に求めるかは諸説あるかもしれませんが、わたしは藤圭子に代表される70年安保前後に生まれたか、もしくは生まれ変わったのだと思っています。ちなみに60年安保の時は西田佐知子の「アカシヤの雨にうたれて」が象徴のように言われました。
70年代はしいて言えば藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」があげられますが、むしろ藤圭子の存在を時代のアイコンとして、グループサウンズや高倉健、藤純子の東映任侠映画、アングラ文化、「明日に向かって撃て」などのアメリカン・ニューシネマなどが世界の若者のムーブメントとともに疾走し、70年安保の挫折と高度経済成長のベルトコンベアからふるい落とされた若者たちの鬱屈した精神的・文化的はけ口として「演歌」もその一端を担い、若者の心情に寄り添ったといえます。
五木寛之や寺山修司、竹中労などの「左翼運動家」が演歌を好んだと言う人もいますがそれは誤解だと思います。彼らはいわゆる左翼運動家ではなく、社会的な現象を政治や学問で語るのではなく、演歌・歌謡曲や映画・アングラ演劇などの大衆文化から時代をとらえようとしたひとたちで、わたし個人は子供のころに親しんだ歌謡曲を、寺山修司によって一つの思想というか、生き方として教えてもらいました。
寺山修司が挑発的エッセイ「書を捨てよ、町へ出よう」で、畠山みどりの「出世街道」の歌詞にこじつけて、地方から東京に出てきたどもりの若者が「口には出せず」を「口には出さず」と言い変え、自分の人生を変えようとする…、そこにはどんな革命理論よりも歌謡曲が手ごたえのある革命への道しるべになると言い放つ時、鬱屈したわたしはなぜか根拠のない勇気がわいてきたのでした。
この時代に活躍し、「責任者出てこい!」の決めせりふが人気だった人生幸朗・生恵幸子の漫才は、歌謡曲・演歌の歌詞をネタにして世相を語るボヤキ漫才でした。今思えば寺山修司の歌謡曲論もほぼこの漫才とかわらないものでした。
それからまた時代は変わり、歌謡曲や演歌の歌詞から世相を語る漫才も評論もなくなりました。大衆音楽が「大衆」から遊離し、個人的な恋や夢が時代的・社会的背景を気にせず直接的な感情を歌にする、のちのJポップへと移り、時代の鏡としての歌謡曲の役割が終わりゆくプロセスから、阿久悠や松本隆が時代にあらがって刺激的な歌謡曲をたくさんうみだしたのもまた70年代後半から80代のことでした。
わたしが残念なのは、大きな潮流がJポップへと流れていく中で演歌は時代を映す鏡としての役割をなくし、耐え忍ぶ女と捨てる男というような女性差別も甚だしい時代錯誤な恋愛観を押し付ける歌や、70年代のような混然とした時代背景を描けないままに「男の正義」を押し付ける歌など、時代の移り変わりに無頓着で変化を求めなくなってしまったことです。昔の歌にはそれぞれの時代背景のもとで息づくひとびとの夢や希望や絶望を表現していて、懐メロと言われる以上の時代の記憶を持っていますが、最近の歌にはそれがなくなってしまったと言わざるを得ません。もちろん、それはJポップもそうで、大衆音楽全体が停滞し、それぞれのファンのためだけにライブや音楽配信を繰り返しています。
演歌フェスはその状況を打ち破るどころか、演歌のジャンルに残るランクのようなもので演歌歌手を縛るだけで、フェスティバルと呼ぶだけの実験的な試みを貪欲にしようとする意気込みは感じられませんでした。
演歌フェス全体についてはネガティブな間奏になってしまって申し訳ないのですが、島津亜矢自身は最近のポップスへの「道場破り」に疲れた心を休めることができたのかもしれません。これからまた異分野の世界に冒険を求め、求められる場に赴くことになる彼女にとって、振り返ると苦しい場面も多々あったもののやはり古巣に戻ったようで、とても楽しそうでした。
演歌は短歌のような定型詩で、ルールに縛られることでより官能的な歌づくりの可能性を持ち、島津亜矢はその定型詩と特有のメロディーの拘束によって鍛えられ、蓄えられた才能をポップスの世界でも花開かせました。
そして今、島津亜矢は今をときめくアーティストたちがひしめき合うポップスの世界で「歌を詠む力」をさらに育て、いつかはポップスと歌謡曲が融合された新しい日本のブルースを誕生させるとば口に立っていると思います。
中島みゆきの「ヘッドライト・テールライト」の歌詞のように、「行き先を照らすのは、まだ咲かぬ見果てぬ夢、遥か後ろを照らすのは、あどけない夢、ヘッドライト・テールライト、旅はまだ終わらない、ヘッドライト・テールライト、旅はまだ終わらない」。
旅はまだ始まったばかり、島津亜矢は稀有な声量と美しい声色、圧倒的な歌唱力があるかゆえに陥りがちな自己撞着、名曲主義、絶唱至上主義をかなぐり捨てて、かつて演歌のジャンルでさらなる時代の僻地にまで疾走したように、ささやかな泉で喉と体を潤し、音楽の荒野を駆け抜けていってほしいと切に思います。
演歌フェス2019に話を戻すと、既成のゆるがないランクに縛られた構成では、若手の歌手の活躍をもぎ取っているようで、彼女彼らをかわいそうに思いました。
確実に育っている若手の歌い手さんのためにも、またさらなる高みを求めるベテランと言われる歌い手さんのためにも、たとえばJポップのアーティストや作詞家・作曲家による演歌の新曲を演歌の歌い手さんが歌ったりコラボするなど、番組発で新しい演歌・歌謡曲の冒険のきっかけづくりになるような試みが求められていると思うのです。
その意味では、NHKなので演歌フェスよりも「うたコンフエスティバル」のほうが可能性があるのかもしれません。

島津亜矢 ★大器晩成 作詩大賞(2005年)

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