城南海とのコラボレーションは、歌のルーツをたどる旅 「新BS日本のうた」

少し前になりますが、5月12日のNHK-BS「新BS日本のうた」のスペシャルステージで、島津亜矢は城南海と共演しました。
城南海は1989年生まれ、2009年にデビューした歌唱力に定評のある実力派の歌手です。出身は奄美大島で、元ちとせ、中孝介などと同じく奄美民謡に特有のグインというこぶしを活かしながらも、それだけではなくオリジナルはもとより幅広いポップスをカバーし、テレビ東京系の番組「THEカラオケ★バトル」でその実力は高く評価されています。
この番組の名物コーナー・スペシャルステージで、いままで島津亜矢は何人ものベテラン歌手と共演し、お客さんや視聴者のみならず、共演の歌手にも大きな衝撃と鮮明な記憶をのこしてきました。わたし自身も2010年でしたでしょうか、布施明とのステージを見てファンになりました。この日は、島津亜矢の恩師・星野哲郎の追悼をこめて布施明は黒いネクタイをしめ、島津亜矢はすべての悲しみと感謝を心に閉じ込め、歌うことで自分を慰めるような歌唱でした。
わたしの個人的な感想では、それ以外にも鳥羽一郎、天童よしみ、中村美津子、森進一との共演が強く心に残っています。この時代は島津亜矢と言う未完の大器が音楽界、特に演歌界では予定調和的で権威主義的な世界としっくりはまらずにいた時代だったと思います。そのずば抜けた大器をそのまま受け入れ、現在のような位置に押し上げてくれた数少ない先輩として、北島三郎とともに彼女彼らは島津亜矢をいとおしみ、時には島津亜矢に刺激を受け、スペシャルステージでしか実現しないようなパフォーマンスを見せてくれました。この人たちに共通して感じるのは、島津亜矢のまだ見ぬ巨大な才能を尊重し、それを大きく育てるための場としてステージに臨んだことでしょう。
今回の城南海とのスペシャルステージではなんと立場が逆転し、島津亜矢がエスコートし、城南海の才能を引き出す役割を担っていました。ここでも、ほんとうに一気に時代が変わったことを実感します。何度も城南海の腰に手を当て、彼女自身が前面に出ながら、ここと言う時に城南海のパフォーマンスを高めるディレクトは見事で、以前「うたコンでフィリピン出身のBeverlyとのコラボでMISIAの「Everything」を熱唱した時以来の素晴らしいコラボレーションでした。
美空ひばりの再来かと言われた元ちとせの登場は少なからず歌謡界に大きな衝撃を与えましたが、その後中孝介、そして城南海と、奄美民謡に特有のグインも耳になじむようになりました。その中でも若手の城南海は歌唱法を歌い分け、今回のステージでは古謝美佐子の名曲「童神」ではグインによるこぶしをきかせながらの熱唱でした。
奄美民謡のルーツをさかのぼり、人類が誕生して以来、武器を捨てて三線を奏で、海の果てに願いをかける奄美の風土と人びとの、沖縄とはまたちがう湿った風とやるせない夢と千年の恋心を歌に託す城南海の姿は、出自も出身も違いますが島津亜矢のひたむきさに相通じるものがあります。
「花束(ブーケ)」、「ひばりの佐渡情話」、「なごり雪」、「芸道一代」、「ヨイトマケの唄」、「感謝状~母へのメッセージ~」、「童神」とステージが進むにつれて、島津亜矢は少なからず城南海の歌手としての才能はもちろんのこと、その歌心の奥深くにある奄美の海、彼方の大陸とつながる海の青さ、砂浜に残された波の記憶といった、幼い頃の原風景から生まれる城南海の歌に感動したに違いありません。
それはおそらく島津亜矢にとって若き頃の自分を映す鏡のようで、とても新鮮なできごとだったにちがいなく、島津亜矢が一瞬涙をこらえたのもまたその感動から来たものだったとわたしは思います。
その涙は、お互いの母親の思い出を語り、「ヨイトマケの唄」を歌った後、「感謝状~母へのメッセージ~」を歌い始める前の涙でした。
その「ヨイトマケの唄」はこれまでにない編曲で、城南海とのコラボでなければあの編曲はなかったと思います。もともとモノローグでつづるこの歌は、戦後の焼け野原とがれきから戦後復興の槌音が聞こえてくるような、高度経済成長の陰で報われない人生を必死に生きた母親を歌った歌で、なかにし礼によると彼女たちの夫、つまり主人公のこどもたちの父親は戦死していて、母親たちは髪振り乱してわが子を育てたのでした。わたしの母の場合は子どもが欲しくてある男の愛人となり、すぐに男と別れわたしと兄を育ててくれたシングルマザーでしたが、赤貧であることに変わりなく、時代そのものがそんな社会の底辺でうごめくたくさんの人びとによってつくられていたのだと思います。
実際、丸山明宏(美輪明宏)がこの歌をつくったきっかけは炭鉱町の劇場のコンサートで、炭鉱労働者たちが安い賃金をつぎ込んでチケットを求め、客席を埋め尽くしている光景を見て衝撃を受け、「これだけ私の歌が聴きたいと集まってくれているのに、私にはこの人たちに歌える歌がない」と感じて、労働者を歌う歌をつくろうと決心したといいます。
今回のステージでの2人の歌唱は、オリジナルもほとんどのカバーも男の唄であるのに対して見事な女歌になっていて、女性たちの働く姿にせつなくもたおやかな母の無償の愛があふれてきます。1966年この歌がつくられてからすでに53年、時代の通底器としての大衆歌「ヨイトマケの唄」には背景にあった社会の問題やその時代を生きたひとびとの違った夢や切ない希望が歌の記憶となって隠れていて、今でもわたしたちの心を穿ちつづけるのでした。
城南海とのコラボレーションは、最近の島津亜矢の歌心を激しく揺さぶったことと思います。そして、城南海もまた島津亜矢の歌の大きさのようなものに共振し、歌との出会いが人との出会いとなり、忘れられないステージとなったことでしょう。
この番組での島津亜矢のスペシャルステージは演歌のジャンルを越えて、これからは例えばミュージカルの井上芳雄、新妻響子や、そして願わくば玉置浩二との夢の競演を切望します。

【ひばりの佐渡情話】 島津亜矢

島津亜矢 ヨイトマケの唄 2007

古謝美佐子・城南海「童神(わらびがみ)」

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