フレディ・マーキュリーの悲しみを受け止めた島津亜矢はすでにロックシンガー

前回の記事はまだNHK「うたコン」を見る前で、島津亜矢のボーカリストとしての可能性を信じていたとはいえ、どんな演奏になるのか不安もありました。
けれども、どうでしょう。素人のわたしの取り越し苦労で、「予定調和でなくてもよい、偉大なる失敗もある」と予防線を引いてしまった自分が恥ずかしいです。
島津亜矢のファンになって約20年、今日ほど彼女のファンでありつづけた自分を誇りに思ったことはありませんでした。
番組の計らいもあったのでしょう、珍しくその前に大津美子の「ここに幸あり」を歌いましたが、歌の入りの低音がどすの利いた声になり、クイーンの練習がきつかったのか心配しました。
クイーンのカバーとなると「ウィ・ウィル・ロック・ユー」、「伝説のチャンピオン」はいいとしても、「ボヘミアン・ラプソディ」はアカペラパート、バラードパートからブライアン・メイのギター、そしてオペラパート、ハードロックパートと変則的な組曲ともいえる6分もある大作で、歌のカタログというイメージの「うたコン」では選曲しないと思う一方、フレディ・マーキュリーの最大傑作ともいえる1975年のこの曲のバラードパートを島津亜矢が歌えば彼女にとって今考えられる最大の音楽的冒険で、画期的な番組になるとも思っていました。
というのも、誰も認めてくれないかも知れませんが、わたしは前の記事でも書きましたが時代も地政学的にもジャンルとしてもまったく縁がないと思われるフレディ・マーキュリーと島津亜矢は、実はとても共通していると思っているのです。彼女の声質はフレディととても似ていて、管楽器的というか透明で硬質でとがったナイフのような鋭さを持つ一方、孤独や悲しさを包み込むやさしさを兼ね備えています。そしてなによりも社会や時代の底辺で地響きするような稀有の歌唱力と、「音楽の中でのみ通用する音楽」とは質もスケールもレンジの広さも桁違いの音楽的視野を持つところも相通ずるものがあります。
果して、何ということでしょう、QUEENメロディーは「ボヘミアン・ラプソディ」からはじまり、島津亜矢はバラードパートを歌ったではありませんか。叱られるかも知れませんが実際のところ、アカペラパートはとても難解で、クイーンの最高のコーラスにはやや届かなかったところから、島津亜矢のバラードが入ってはじめて音楽になったといっても間違いではないでしょう。彼女が「ママー」と歌い始めた時、フレディとつながる音楽の磁場があり、島津亜矢は歌唱力とか声質とかを越えて、フレディの暗い闇を共有していることを確信しました。
「瞼の母」と「ボヘミアン・ラプソディ」との共通点に気づいたのは、前回の記事を書いている途中でした。わたしがこの2人を同じ地平で見るのは、なによりもとてつもない悲しみを背負ってしまった青春の淵に立ち止まり、明日の行方に恐れおののく若者のたましいをえぐり取るような歌だからです。そのことに気づいたとき、「瞼の母」や「一本刀土俵入り」など、長谷川伸や山本周五郎の世界で生きる若者の切なさを見事に歌える島津亜矢なら、格式と階級に囚われるヨーロッパ社会で中東やアフリカ、アジアの若者が成功を夢見て歌舞音曲に人生をかける切ない希望を歌うフレディ・マーキュリーを歌えるはずだと思いました。もう少しはっきり言えばビートルズやローリングストーンズは歌えなくても、巷や荒野でうごめく等身大の若者の心情を抱えるクイーンのロックバラードは歌えると思いました。
歌はやはり、愛を必要とする心から生まれ、愛を必要とする心に届くのでしょう。
島津亜矢は、かなり苦手としていたと思われるロック音楽の入り口に立つことができたのだと信じます。
そして、SINGERシリーズにまたひとつ、楽しみができました。わたしは島津亜矢がクイーンのロックを歌える数少ないボーカリストで、とくにもっとも難解な「ボヘミアン・ラプソディ」をハードロックパートも含めて収録してほしいと思います。
その後「伝説のチャンピオン」を歌いましたが、ここでも何万人に漠然と届けるのではなく、何万人のひとりひとりの心に、そのマイノリティに届くロックシンガーになっていました。島津亜矢が最初に歌ったパートはわたしがもっとも心を震わせる歌詞で、「それは人類の最後の挑戦なのだ」と歌うのですが、フレディ・マーキュリーや、ミシェル・フーコーの、時代的には今よりももっとひどい差別を受け、生きにくい時代を生きたひとびとの夢を歌い、「ぼくらはチャンピオンなのだ」という遺言をしっかりうけとめた歌になっていたと思います。
あまりこんなことは思わないのですが、今回限りは島津亜矢ひとりでクイーンのメロディーを聴きたかったと思ってしまいました。それほど、フレディ・マーキュリーが乗り移ったような声質と、何よりも音程が違わない歌唱力のすごさを見せつけてくれました。
それと、ローリーのギターもただ上手かっただけでなく、クイーンへの愛を感じる演奏でした。

それにしても、島津亜矢はとんでもない高みに上り詰めてしまったものです。新曲がまだということですが、こんな遠いところに来てしまった彼女にふさわしい歌をつくるのは至難のわざであることでしょう。
そして、今日の島津亜矢の歌唱を聴いたポップスやロック、R&Bの作曲家、作詞家の方々に、彼女の歌唱力に挑戦する気概のある方はおられないのでしょうか。かつて船村徹が美空ひばりと格闘しながら曲作りをしたように、このまま彼女を放置しておくことは、日本の音楽シーンの損失ではないのでしょうか。

The Show Must Go On lyrics Queen 1991

島津亜矢「誕生」 

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