映画「最後の一滴まで-ヨーロッパの隠された水戦争」上映会

子どもの頃、我が家には水道はおろか、井戸もありませんでした。
シングルマザーだったわたしの母は戦後、JR千里丘駅の近くの府道のそばの畑の一部を親切な地主さんから借りて、大衆食堂をしていました。赤貧の中でわたしと兄を育てていくために、残り物で食いつなげる食堂がいいと考えたのでした。
水もないところで食堂など今では保健所が許すはずもないのですが、みんなが生きるのに精いっぱいの時代でしたから、届け出もせずに営業することができたのでしょう。
水はどうしたのかと言えば、道路をはさんだ牛乳屋さんの大きな冷蔵装置から出る水をもらっていました。母がなけなしのお金を出して買ったリヤカーを自分で板張りをした台車に、毎朝大小入れ混ぜたカメを積み、もらい水をするのがわたしと兄の日課でした。冬の寒い朝などつらくて、よその家の井戸がうらやましかったのをおぼえています。
しばらくして、そんな我が家でも井戸を掘ってもらうことになりました。近所のポンプ屋さんが住宅兼用のお店の裏で土を掘り、最初はまっ茶の水が噴き出すように出てきた時は、家族3人で大喜びしました。
水道が始まったのは1950年代からで、経済的な理由で我が家では1960年に入っていたかも知れません。

昨年の12月、水道の民営化を改正水道法が成立しました。国や自治体が所有したまま、民間業者に運営権を売却するコンセッション方式は、水道設備の老朽化を気にせず民間業者が水道事業をすすめられますし、人口減少により利用者が減れば料金の値上げもできるようになります。そして、老朽化した設備のみが国や自治体に残されるわけです。
人々は水をめぐって争うこともありましたが、一方で水をみんなで分かち合うことで、コミュニティをつくってきたのではないでしょうか。他の消費財のように需要と供給で価格を決め、民間にゆだねていいのでしょうか。2010年、国連総会は安全な「飲料水へのアクセス」を人権の一つとする原則を承認しました。
日本でも小泉政権以来、新自由主義のもとで民営化の流れは今も続いています。しかしながら、民営化によるコスト削減のかなりの部分が人件費の削減によるもので、劣悪な条件で働く人々が病み、命を落とすこともありました。
ぼつぼつ、新自由主義の神話、民営化の神話から脱出し、公共サービスの大切さを再確認し、公共サービスをわたしたちも支え、担うことが求められているように感じます。
実際、ヨーロッパでは民営化されていた水道事業を再度公営化する動きが広まっています。その動きをとらえた映画「最後の一滴まで-ヨーロッパの隠された水戦争」の上映会をします。上映会の後、中西顕治能勢町会議員から「大阪府の民営化の動き」を報告していただきます。
水を単純な需給や消費サービスにしてはいけない公共サービスの在り方をみんなで考えるために、上映会にご来場くださいますよう、よろしくお願いします。

映画「最後の一滴まで-ヨーロッパの隠された水戦争」上映会
2019年2月23日(土) 午後7時から
能勢町淨るりシアター小ホール

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