被災ピアノの自然の調律の快さ 映画「Ryuichi Sakamoto: CODA」
「マンハッタンから音楽というか、音が消えたんですね。1週間ほどして行ってみたら、若い子がギターで「Yesterday」をひいてるわけですね。
それが(9.11以後)はじめて聴いた音楽で、その時自分がつごう7日間も音楽を聴いていなかったことを忘れていたんです。
こんなに毎日音楽に囲まれて生きてきたのに、音楽を聴いてないということすら忘れてたんですね。世界が平和でなければ、音楽も文化もできない。」
坂本隆一 (映画「Ryuichi Sakamoto: CODA」
これとよく似た話を、被災障害者支援「ゆめ風基金」で働いていた時、2011年の小室等音楽活動50周年ライブ~復興~」コンサート実況録音盤CDのリーフリットに掲載された小室さんのインタビュー記事で読みました。
「3.11の前には、錯覚であるにせよ、ちょっと自分が、表現し得たという実感を、時折はもつことができました。でも3.11以降、その感覚を持てないんです。無理やり歌うのだけど、結局歌い終わった時に、大切なことを置き去りにしているという感じなのかな。自分をだませなくなってしまったというか。今までの災害は、再生可能だったんです。でも3.11は特に原発によって、再生不可という可能性を突き付けられたわけです。」
小室等 (小室等音楽活動50周年ライブ~復興~」実況録音盤CDのリーフリット)
一方は9.11の同時多発テロ、一方は東日本大震災の時ですが、ふたりの証言はとても重なっていると思います。そして、それは二人の稀有の音楽家の話にとどまらず、同時代を生きるわたしたちの社会が大きな岐路に立ち、新自由主義のもとでの挫折をもろともせず、より先鋭的、暴力的で硬くてもろい未来に向かうのか、長らく続いた成長神話を捨て去り、ゆっくりとした顔の見える経済や豊かな文化をめざし、しなやかで助け合える未来に向かうのかを問うものでもあります。
東日本大震災から8年、今のところアベノミクスに代表される前者の道をわたしたちの国は選び、格差と貧困を生み出しながらも輝きを取り戻そうともがいています。しかしながら、それはすでに弱り切った心と体にカンフル注射を打ち続け、数多くの脱落者を後にしてひたすら走り続けなければならない道でもあります。その先に東京オリンピック、そして大阪万博後に、東京を中心とする都市集中の社会の崩壊がはじまるのではないかと心配です。
しかしながら、この8年は大きく見れば助走段階で、まだ二人の音楽家の証言を受け止め、わたしたち自身にもしみついている経済成長の亡霊から解放され、さまざまな人々が共存し、一切れのパンとささやかな夢をわかちあい、助け合う未来に向かう道も残されていると思います。
映画「Ryuichi Sakamoto: CODA」は『戦場のメリークリスマス』などで知られる国際的な音楽家の坂本龍一に迫るドキュメンタリーです。
年末年始、風邪をこじられてしまい、NHK・Eテレでたまたま見たのですが、YMOで知られるテクノポップスから最近の幅広く刺激的な音楽表現へと変遷してきた坂本隆一の音楽の旅路を丁寧に描いていています。
2012年から5年間にわたって密着取材を行ない、アーカイブ映像も織り交ぜながら坂本の音楽的探求をたどる途中、米同時多発テロや東日本大震災後を経ての様々な活動、14年7月から約1年間に及ぶ中咽頭ガンとの闘い、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督作「レヴェナント 蘇えりし者」での復帰、さらに17年3月リリースの8年ぶりオリジナルアルバムの制作現場にも密着。坂本隆一の過去の旅路が、現在の作曲プロセスと見事に交差していく様子をとらえた映画で、「ロスト・イン・トランスレーション」の共同プロテューサーを務めたスティーブン・ノムラ・シブル監督作品です。
全編、坂本龍一の音楽というか、音への探求心が個人的なもの、芸術的なものにとどまらず、核兵器廃絶や原発廃止運動への参加など社会的な関心や環境問題から死生観へとつながり、果ては人類の誕生のルーツと始原的な音楽にまでたどり着こうとするプロセスを映像化しています。
「産業革命が起こって、初めてこういう楽器(ピアノ)がつくれるようになったんですね。何枚もの木の板を重ねて強い力で半年くらいかけてこの形にはめこむんですね。この弦も全部合わせると何トンという力が加わっているらしいです。もともと自然にある物質を人間の工業力とか文明の力で自然をも鋳型にはめこむんですね。
音も人間は調律が狂うといいますけど、狂っているんじゃなくて自然の物質たちは元の状態に戻ろうと必死にもがいているんですね。津波というのは一瞬にバンときて自然に戻したというか、戻ってるわけですね。
今ぼくは自然が調律してくれた津波ピアノの音がとても良く感じるんですよ。ということはやっぱりピアノ的なもの、人間がむりやり自分の幻想にもとづいて調律した、不自然な、人間にとっては自然なんだけど自然からみれば不自然な状態に対する強い嫌悪感ていうのかな、あると思うんです、僕の中に。」
坂本隆一 (映画「Ryuichi Sakamoto: CODA」
東日本大震災後、宮城県名取市で被災ピアノと出会った坂本隆一は、自然の猛威によって水に溺れたピアノの音を聞き、当初は「痛々しくてその鍵盤に触れるのも辛かった」と語っていました。けれども、今はその壊れたピアノの音色が心地良く感じるというのです。時と共にその被災ピアノの“自然の調律”の音は坂本隆一の作曲プロセスの一部となり、新たな表現へと生まれ変わったのでした。
東日本大震災から8年、坂本隆一が「津波ピアノ」に自然の怖さと優しさと自由を発見したように、わたしたちの未来もまた、ゆがんだ調律から解き放たれ、ありのままの姿に戻る彼方にあるように思えるのです。