歌よりも歌らしく 島津亜矢の冒険

先日、島津亜矢のコンサートのチケットを買いました。来年の1月28日に神戸国際会館こくさいホールで開かれるコンサートのチケットで、4枚買いました。
今年の2月に八尾に行ったわたしと若い友人Iさんとわたしの娘の夫Kさんと、なんと今回は関西を中心に活躍するシンガーソングライターで、豊能障害者労働センターももちろんですが、被災障害者支援「ゆめ風基金」のイベントには必ず出演してくれる加納ひろみさんも行くことになりました。
Kさんは車いすを利用しているのですが、彼は長渕剛のファンで、昨年の12月に大阪城ホールで開かれた長渕剛のコンサートに行ったお返しのような感じで島津亜矢につきあってくれたのでした。ちなみにわたしは長渕剛はかなり苦手だったのですがKさんの誕生日プレゼントでチケットを贈った関係でわたしも行くことになったのでした。
行ってみると長渕剛は律儀でまじめでやさしい人で、ライブの時でも彼の意向が反映していると思うのですが、他のアーティストの時よりも障害者が見やすいようになっているのです。それが証拠にたくさんの車いす利用のお客さんが来ていて、まわりはみんな大はしゃぎしているのにそこだけがとてもしずかな空間で、ひとりの障害者がぽつんと、「剛、ありがとう」と言いながら涙を拭いていました。長渕剛がこのひとたちにほんとうに愛されているのがよくわかりました。
八尾の時は車いす利用の人はKさんだけでしたが、島津亜矢さんは一番後ろの通路にいた彼を見つけてくれて握手をしてくれました。
もうひとりの友人、Iさんは彼が17才の時に知り合い、今は豊能障害者労働センターのスタッフとして今度の地震の救援活動でも一度仙台に行き、今週は豊能障害者労働センターの障害者スタッフ2人と再度仙台に行くことになっています。

わたしに音楽を教えてくれた先生でもある彼はCDをほとんど聴かず、LPをいっぱい買いこんでいます。日本のJポップにはまったく興味がなく、わたしのほうがよく知っているぐらいですが、古いジャズやブルーズになると彼ほどよく知っていてよく聴いている人は数少ないと思います。彼は自分でも歌をつくり、ギターが弾けて歌も上手でバンドをやっていたこともあります。
八尾に行った時はロックコンサートではぴったりはまる皮ジャンにジーンズで、お客さんを見渡して彼のようなファッションをした人は一人もいませんでした。
彼を誘った理由は、まず島津亜矢がいわゆる演歌歌手ながらロックやジャズやブルーズなど、あらゆるジャンルを越えた稀有の歌姫と信じてやまないわたしが、音楽をよく知る彼が島津亜矢の歌を聴いてどう感じるかを知りたかったことと、意外と彼が昔の日本の歌謡曲やテレサ・テンのファンだったりする面も持ち合わせているからでした。
わたしも島津亜矢のライブに行くのは八尾のコンサートがはじめてでしたから、とても楽しみだった半面、KさんやIさんがどう思うか少し心配もしていました。
果たして、島津亜矢が登場すると、わたしは彼女のなま歌と歌う姿の美しさにひきこまれた半面、となりのIさんがだんだんとうつむいていくものですから、「ああ、やっぱり。なんぼなんでもこれはミスマッチやったな」と思い、Iさんが途中で席を立ってしまわないかと気をもみました。

ところが、あとで聴いてみると、とても感動したのだそうです。うつむいたままだし、拍手もしないからきっと気に入らなかったのだと思ったと言うと、彼は「あんな風に『与作』を歌われてしまうとはね。ぼくは感動が深いと拍手などはしない」と言いました。
彼が変な奴であることは、変な奴のわたしがいうのもおかしいのですが、やっぱり変なやつですよね。けれども、少なくともわたしが突然島津亜矢の大ファンになってしまったわけはわかってくれたと思いました。なにしろ、Iさんはわたしに音楽の素晴らしさを教えてくれた30以上も年下の先生ですから。
4月の大阪新歌舞伎座公演はもともと彼が行くと言い出したのですが、彼は当日に体調が悪くなり、結局は私一人になってしまったのですが、この時にますます亜矢さんに惚れこんでしまうことになりました。

加納ひろみさんは40年来の友人ですが、アマチュアながら彼女のライブを聴いた何人かは必ずファンになってしまうアーテストです。
神戸在住の彼女は阪神淡路大震災の時は長田に住んでいて、火の手がもう少しで届いてしまうところを逃げた経験を持っています。その関係で、神戸でのたくさんのライブに出演し、さらには被災障害者支援「ゆめ風基金」のアーティストとしても活躍しています。
そんな彼女もIさんとおなじように「演歌」とは縁がないと思うのですが、ちょっと冗談まじりで「島津亜矢が神戸に来るけれどね、行ったりはしないよね」と言うと、「日程が先なので心配だけど、ぜひ行ってみたい」と言ってくれたのでした。わたしは正直びっくりしましたが、本音ではわたしの信頼する友人に島津亜矢を知ってもらいたいという思いがつよく、とてもうれしかったです。それでも、また八尾のときのIさんに対してと同じように、演歌とは程遠いように思えるアーティストの加納ひろみさんが島津亜矢をどう思うか心配です。

12月28日の梅田芸術劇場に一緒に行くHさんは、Iさんと同じ豊能障害者労働センターのスタッフで、彼女は最近唐十郎の芝居や先日の桑名さんと小島さんのライブ、さらには小室さんの50周年ライブを東京まで観に行ってくれました。
彼女はとても感性豊かな人で、音楽をすごくよく聴いているひとではありませんが、自分独自のアンテナで音楽を聴き分ける力を持っています。
Hさんも最近わたしが島津亜矢のことばかり言うので、一度聴いてみてもいいと思ってくれて、「船頭小唄がオススメです」と言って2004年のリサイタルのDVDを貸したところ、電話で言いにくいのでとめったにしないメールで「とても素晴らしい」と絶賛してくれました。

このように書いてみると、どのひとも演歌とは縁遠い人たちですが、それはあたりまえで、わたしが本来そんなに演歌を聴くひとではなく、彼女たち彼たちとの会話でも演歌の話は島津亜矢以前はかろうじて森進一ぐらいしか出なかったというわけです。
そして、私の友人の中にも演歌のファンは何人かいるのですが、今のところなぜか演歌ファンには島津亜矢の魅力をわかってもらえません。それは島津亜矢が演歌の枠におさまらない、スケールの大きな歌手だからとわたしは思うのです。だから、演歌とは無縁で音楽的冒険にどん欲なひとには、簡単に島津亜矢の魅力が伝わったのだと思っています。
踏み分け道を歩き始めた時から、ひとはたくさんの歌を生んできたのだと思います。表通りの歌、裏通りの歌、たたかいの歌、愛の歌。たくさんのひとに歌われる歌、たったひとりのひとに歌われる歌。ひとは一生の間にどれだけの歌を聴き、どれだけの歌を歌うことでしょう。歌はわたしたちの人生の友だちであるだけでなく、わたしたちの人生の水先案内人でもあることでしょう。
「歌よりも歌らしく」(想い出よ ありがとう)
島津亜矢の歌はまさしく、そんな歌なのだと思います。

島津亜矢「想い出よ ありがとう」

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