「恋多き経済」って、どきどきしますよね。

先日、豊能障害者労働センターの事務所で、カレンダーを巻く作業を手伝いました。
カレンダーを巻く作業はけっこう注意が必要な作業で、豊能障害者労働センターがカレンダーの通信販売を始めた頃、何人か障害者スタッフにしてもらおうとしたのですが、結局断念してしまいました。
まず第一に、直径3センチほどの筒状のビニール袋に入れるためにカレンダーを巻くのですが、巻き終えた時の太さを袋に入れやすい寸法にするのがむずかしいこと。
第二に、巻いたカレンダーを片手に持ちながら、ふにゃふにゃしているビニール袋に入れるのがむずかしいこと。
その他注意点がいくつかあり、それを説明してみるのですが、当初はなかなかできる人が少なく、とうとうわたしは「カレンダー巻きにうるさい人」になってしまい、それが今でも伝説のようになっています。
わたしとしては、障害のあるひともないひともみんなで助け合って仕事をするという豊能障害者労働センターの基本的な考えにもとづいて、だれでもカレンダー巻きができるようにと思い、何度も何度も説明し、一緒に巻いてできるようになってもらいたいと思ったのですが、一方で障害のあるなしにかかわらずだれにでも得手不得手があるのですから、できないものはしかたないと思いました。
通信販売で届ける以上、カレンダーを傷めないことはあたりまえのことで、一般市場に参加していくためには「これぐらいは」が通じない基準が求められると、わたしはみんなに説明しました。わたしは長い間工場で小さな機械をつくっていましたから、そんな経験のないみんなは、「障害者を締め出すのは差別じゃないか」とか「わたしたちが否定する一般企業とおなじ論理をふりかざす」とか言って攻める時もありました。
わたしはそれらの批判はもっともだと思い、それに応える術がありませんでした。しかしながら一方で、梱包もふくめ、届ける商品の品質が一般企業と太刀打ちできるようにすることが「たたかい」でもあり、その「たたかい」に負けないためには批判があってもそのスタンダードルールを変えることはできなかったのでした。
いつか、こんなことが得意なひとも現れるんじゃないか、現れてほしいと切実に思いました。通信販売を始めることになった1984年の秋のことでした。

しかしながら、わたしが豊能障害者労働センターに在籍した2003年まで、カレンダーを巻いてくれる障害者は現れませんでした。
わたしが豊能障害者労働センターを離れた後、私が在籍していた頃にすでにスタッフだった弱視の障害者スタッフのKさんが一手に引き受けてカレンダーを巻いているのを目撃して、ほんとうにびっくりしました。彼はわたしと同じように会社勤めが長く、また創意工夫のできるひとで、カレンダーを巻くマニュアルを彼なりに完璧に獲得していました。
すばらしい出来栄えでかつ手早い仕事ぶりを見て、わたしはほんとうにうれしく思った半面、わたしが在籍していた時にそれを実現できなかった不明を恥じていました。
視覚障害者にその仕事を提案する想像力がわたしにはなかったのでした。そして、「まさか」の提案をした豊能障害者労働センターのすごさに感動しました。
さらにびっくりしたのが、巻いたカレンダーをお客さんの注文数に合わせて、がさつかず、また変形しない大きさの箱をつくるという難易度の高い仕事を、知的障害者のIさんがこれまた完璧につくり、その箱にきれいで確実な宛名を書くのも知的障害者のYさん、それらの箱を集め、毎日来る宅配便のひととすこしややこしい世間話をしながら出荷業務を担うのもまた知的障害者のWさんと、見事な連係プレイで約2万本のカレンダーの通信販売の仕事がまわっていくのでした。
このことに関わらず、今の豊能障害者労働センターの障害者スタッフは経営参加はもちろんのこと、お店の店員から事務所のさまざまな仕事まで、すべての分野で誰かが役割を担っています。わたしがいた頃、「こうあったらいいな」と思ったことをはるかに越えて、ほんとうにみんなが生き生きと仕事をしているのです。しかも、それを実現しているのは指導や訓練ではなく、彼女たち彼たちが自分たちで学んできた結果なのです。

「あのね、カレンダーが痛まないよう巻いてね。痛んでいたらお客さんがかっかりするでしょ」と、わたしにカレンダーや礼状やビニール袋や、さらには巻いたカレンダーを痛まないように入れる手順など、きめ細かい「指導」をしてくれる障害者スタッフのTさんは21才、恋多き女性です。少し前ですが、立ち入り調査に来た消防署員のひとりを遠目から見て一目ぼれし、雑然としている物の陰で「好きになっちゃった、どうしょう」と顔を真っ赤にしていたと思うと、すぐに冷めてしまうという案配で、一日何回新しい恋をするのかわからない女性です。
彼女の教えのひとつひとつが、かつてわたしが当時のスタッフに言っていたことであるばかりか、それ以上の品質向上をめざして新しい注意点をてきぱきと言ってくれるのを聞きながら、わたしはほんとうに涙が出るほどうれしくなりました。
夢は実現しないからこそ夢であるとも言いますが、実現する夢もまたあることを、そして、その夢は夢見た以上の果実を持った現実になっていることを教えてもらいました。
わたしはこのブログのタイトルを「恋する経済」と名付けていて、どんな意味?とよく聞かれます。「経済もまた、恋をし、夢を見る」というのがわたしの持論ですが、それはまた「助け合い経済」という意味でもあります。 この時代を生きるそれぞれの個性を持ったひとびとが共に生きること、共にはたらくこと、共にお金儲けをすること、その中に障害をもったひとたちがあたりまえに存在し、行動し、暮らしていく社会を夢見ることがけっしてそんなに無謀な夢ではないことを、Tさんのカレンダー巻きを手伝ってあらためて思いました。
「恋多き経済」って、どきどきしますよね。ねえ、Tさん。

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