島津亜矢2011年リサイタル梅田芸術劇場2

昨日は毎年恒例の大掃除で、窓や電灯やエアコンなどの拭き掃除をしながら、島津亜矢の「SINGER」を聴いていたのですが、川崎に住んでいるわたしの友人で、わたしにブルースやR&B、ロックを教えてくれたTさんから電話があり、所用を済ませた後音楽の話になりました。わたしのブログもたまに読んでくれているようで、「島津亜矢にはまってますね。ぼくもYouTubeで聴きましたよ」と言ってくれました。
私が知り合った時はバンドをやっていて、一時はメジャーデビューまであと少しというところまで熱心にやっていたのですが、そこまではやりたくないということで、自分なりの音楽を続けてきました。今は仕事の後、1ヶ月に一度東京のバーで歌っているそうです。
わたしは特に音楽関係の仕事をしているわけではないのですが、豊能障害者労働センターの活動としていろいろなライブを企画したりしていた関係で、彼と同じように刺激的な音楽をつくり、歌っていたひとたちと知り合いになっていましたが、結局はプロになった人はいませんでした。そのひとたちがプロとして歌っているひとたちとそん色はありませんでしたが、プロになるためにはある意味音楽とは関係ないこともふくめてプロデューサーや音楽事務所の助けが必要なのだと思いました。
ですから、島津亜矢はほんとうになみなみならぬ努力を重ねただけでなく、周りのひとびとやファンのひとたちの応援に助けられて25年という長い道のりを歩いてきたのだなと、つくづく思います。

さて、梅田芸術劇場にもどりますが、今回のステージではなんといっても斉藤功さんのギターが島津亜矢の歌をより豊かなものにしてくれました。特に「麗人抄」はギターの前奏がはじまると島津亜矢はギアが入ったようで、CDとは比べ物にならないほどより深みのある、ドラマチックな歌になりました。その後につづく「旅愁」、「想い出よありがとう」になるとそれはもう映画そのもので、「旅愁」はいつの時代の日本映画にもどこかにあった風景ですし、「想い出よありがとう」はフランスやイタリアのなつかしい映画を思い出しました。
この3曲はこのステージでのひとつの極みだったと思います。
その後は「恋慕海峡」で、この歌については何も言うことはないほどすでに多くの方が語っておられることで、わたしも以前に書いたかもしれません。この歌を来年もコンサートなどで歌いつづけることで、息の長いヒット曲になっていったらいいと思っています。

この後、白いドレスに着替え、東日本大震災に想いを馳せて「千の風になって」を歌うとすばやく可愛らしい紅いミニドレス姿で登場し、張り詰めたステージの空気を一気に和らげ、「マル・マル・モリ・モリ」で観客サービスをした後、今回がはじめてになるカバー曲「アンチェインド・メロディ」を歌いました。この時、ドライアイスでスモークをつくったのですが、一番前の列のお客さんはすこし冷やっとしたのではないでしょうか。
この曲は映画「ゴースト」のテーマ曲に採用されたリバイバルソングですが、やはり彼女はR&Bやソウル、アメリカンポップスを歌えるめずらしい演歌歌手で、ほんとうにレンジの広い歌手だと感心します。この歌は1955年ぐらいにつくられ、たくさんの歌手がカバーしてきた曲で、エルビス・プレスリーも歌っていたということでした。
島津亜矢本人はプレスリー以外はどうしてもゆっくりとしたバラードの名曲をレパートリーにしていますが、わたしは彼女にはどこか黒人のリズム感に通じるものがあるように思え、もっとテンポの速い歌も歌えるように思います。
こうして、とても刺激的だった第一部が終わりました。

第二部は一転、「俵星玄蕃」を朗々と歌い、「大器晩成」、「流れて津軽」、[帰らんちゃよか]、「海鳴りの詩」、「海ぶし」、「温故知新」、「感謝状」へとつづき、いよいよ名作歌謡劇場「お玉」の上演となりました。
「お玉」(細川ガラシャ)ですが、わたしはとてもいいと思いました。このシリーズでは、いつも男に殉じる女の哀しい話が多く、わたしは島津亜矢にはもっと自立した女性も演じてほしいと思っていましたので、今回のように男にではなく神に殉じる話の方がまだいいかなと思いました。その意味で来年の座長公演は「会津のジャンヌ・ダルク」とも言われた女傑・山本八重の物語だということなので、島津亜矢にとってもう一つ大きな転機になるのではないかと思います。
今回のステージは一部が阿久悠特集になったために、今まで選曲されてきた歌が歌えなかったこともありましたが、声の調子も絶好調で、しかも延期の公演でなおかつ今年最後ということもあり、熱唱また熱唱で、お客さんの掛け声も絶好調でした。
アンコールにこたえて「恋慕海峡」を歌ってくれて、最後はいつものようにマイクを大切に携え、膝まづいて深々と頭を下げる彼女の姿を舞台に残して、幕が下りました。
芸能のルーツが「河原者」にあることを体現するようなそのパフォーマンスに、今回も不覚にも涙が出ました。
ほんとうに素晴らしい舞台だったと思います。一緒に来た彼女も「また来たい」と言ってくれました。

その後、わたしが能勢に住むようになってからあまりおそくまでは無理になったのですが、近くのお店でお酒を飲んで帰りました。この日は仕事納めということで、どのお店も満員でした。 それぞれのひとたちがそれぞれの想いで今年一年をふりかえるように、わたしたちも豊能障害者労働センターのことや、被災障害者支援・ゆめ風基金のこと、そして、まだ感動が冷めやまないリサイタルの感想をおしゃべりして、楽しい時間を過ごしました。

島津亜矢「想い出よありがとう」

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