島津亜矢「娘に」とドラマ「Woman」

8月4日のNHK「BS日本のうた」で、島津亜矢はもう一曲、「娘に」を歌いました。

「みんな想い出 持って行け 写真一枚あればいい」
吉幾三の名曲「娘に」はこのフレーズを歌うためにつくられたと言ってもいいでしょう。
この歌は演歌版のさだまさしというおもむきで、明日嫁ぐ娘に父親が万感あふれる思いを短い言葉に隠してとつとつと語り、最後は「みんな想い出持って行け、写真一枚あればいい」と、「うれしさ」と「さびしさ」が一気にあふれ出て、思わずみんな泣いてしまいます。演歌界ではめずらしいシンガー・ソングライターでもある吉幾三の歌には、独特の空気感とにおいがあり、「娘に」は彼がもっとも得意とする語り演歌の名曲です。
「帰らんちゃよか」や「感謝状~母へのメッセージ」など、親子や家族の歌を島津亜矢が歌うと、会場のお客さんもテレビ画面を見つめるひとたちも思わず涙を流してしまいます。のびのある高音とふくよかな低音、確かな音程と強弱めりはりのついた声量など、簡単に歌唱力のある歌手と片づけられない何かが彼女の歌にはあります。歌が歌になる前に時を越えて受け継がれたたくさんのひとびとの心の叫びが島津亜矢のまわりにあふれていて、彼女の心と体を通ってそれが言葉となり、なつかしいメロデイーとなってよみがえり、聴く者の心を共振させるようなのです。
わたしは娘が結婚する時の「花嫁の父」の感慨はまったくといっていいほどありませんでした。わたしたち夫婦の時代はまだ「女の子は嫁に行くまで家に」といった風潮がありましたが、わたしたち夫婦は女の子だからこそ早くに家を出た方が良いと思っていました。
娘は短大を出てすぐ東京の会社に就職し、親には言えないつらい目にあったようですが、それをわたしたち親に相談することなく、友だちに助けられながら自分で解決して来たようです。そして、子どものころから豊能障害者労働センターで働いていたわたしたち夫婦の後ろ姿を見てくれていたのか、障害者関連団体で働くようになり、結婚し、今は2歳の子どもの母親となりましたが、仕事を続けています。

今年の夏のドラマの一番の人気はTBSの日曜劇場「半沢直樹」で、わたしも楽しみにしていますが、一方で水曜日午後10時のNTVのドラマ「Woman」が静かなブームとなっています。
このドラマは全国に120万人いるといわれるシングルマザーの物語です。自分を捨てた母親との深い溝、亡き夫との絆、命の危険をともなう病気といった重く複雑な問題をかかえながら、主人公の女性と子どもたちがぎりぎりのくらしを必死で生きるこのドラマに、「感動」という言葉とはちがう感情を持ちます。
壊れてしまった家族の痛々しい姿と、決して明るくはない未来に向かう家族のいとおししい姿を描くこの物語から、社会のさまざまな問題が浮かび上がってくるようです。
戦後すぐの時代に妻子のいる男性の子どもを生み、シングルマザーの道を選んだ私の母は当時の行政職員や民生委員から何度も生活保護のアドバイスを受けたようですが、「子どもたちが肩身の狭い思いをするので、福祉の世話にはならない」と断りました。今の時代でも福祉の世話になることがいけないこととする世間や国の圧力が高まり、生活に困窮する人々が生活保護の申請をためらい、また申請を却下されて死を選ぶ事件も後を絶ちません。ましてや戦後まだ間もない時代、わたしの母のようにすべて自分ひとりの問題として抱え込み、手のひらに余る薬を飲みながら命を削るように生きざるを得なかった女性も数多くいたことでしょう。
シングルマザーになる事情はそれぞれちがい、時代背景も大きくちがっていても、わたしはこのドラマの主人公とわたしの母とが重なり、胸が詰まる思いがあります。
命にかかわる重い気にかかっていても、クリーニング工場で働くことで得るわずかな収入で暮らす切羽詰まった生活ではその検査や治療の費用が払えないと断ったり、病院に行く時間もないというのは、わたしの母もまったく同じでした。今なら時効で許してもらうしかありませんが、母はその当時肺結核を患っていて、保健所に知れると営業停止になり、たちまち生活ができないところに追い込まれていました。「お店を休んで入院しなさい」という医者の指導に、「入院してる間の生活費を誰が出してくれるんですか」と詰め寄り、医者の配慮で世間には内緒で通院治療を続けました。
また、主人公の子どもたちは無邪気な中にも健気で、自分たちが置かれている現実を知り尽くしていますが、わたしもまた子ども心に母親とわたしと、兄の3人で乗り越えるしかない現実をよく知っていました。ずっと後に母親が、親子3人死のうと思ったけど、わたしが暗い部屋で何個も蚊取り線香をつけては、「かあちゃん、明るなったやろ」とはしゃぐのを見て思いとどまったと打ち明けてくれました。
長い年月がたち、わたしもやがて結婚し、2人の子どもの親になりましたが、父親の存在を知らないわたしは父親として子どもたちにどう接すればいいのか戸惑いました。
わたしはわたしなりに、親としての気持ちはありましたし、今では子どもの方もわたしを何かと気遣ってくれるようにありますが、やはり自分の生い立ちから来るのか自分の人生観から来るのか今でも不器用な父親のままです。それでもようやくこの年齢になり、わたしなりの父親の在り様に納得できるようになりました。

「娘に」は人の心をゆさぶる名曲であるがゆえに、ここで歌われている父親や家族像を裏側で支えている制度、法律などによって国家や社会が理想とする家族の在り様を押し付けてしまう危険もあるとわたしは思います。戦前戦中の歌謡曲が戦意高揚の色を濃く持ってしまったことは、まだ遠い記憶ではありません。
それでも、ひとつの歌がたくさんのひとたちのひとつひとつの心に届いた時、その歌は歌われなかった無数の歌と語られなかった無数の物語に満ち溢れるのだと思います。
「娘に」に描かれている家族は、およそわたしの生い立ちやドラマ「Woman」で描かれている家族とは真逆の位置にあります。
しかしながら、「ヨイトマケの唄」や「旅の終わりに聞く歌は」をわたしたちに届けてくれる島津亜矢だからこそ、彼女が歌う「娘に」の向こうに、さまざま事情を抱えたひとびとが家族をつくり、家族に救われ、家族を失い、そして家族をつくりなおす姿をいとおしく見守ってくれることでしょう。

私の証し あなたのために
歌いたい 歌っていたい
歌路遥かに 歌路遥かに
(「歌路遥かに」小椋佳・作詞作曲、歌・島津亜矢)

吉幾三&島津亜矢「娘に」
この歌は島津亜矢のコンサートでもよく歌っていますが、吉幾三との共演もいくつかあります。この時は吉幾三も島津亜矢も涙ぐみ、最後は吉幾三が歌えなくなり、島津亜矢が涙にかき消されないように必死に歌う姿が印象的です。吉幾三という人ははしゃいだりふざけたりしているようで、実はとても繊細でシャイなひとだと思いました。
そして、なぜかこのふたりが共演すると、この歌の歌詞がぐっと胸に迫ってきます。ほんとうはプロの歌手として泣いてはいけないのでしょうが、この歌の作り手でもある吉幾三が島津亜矢の歌声に心揺さぶられる様子は、島亜矢のファンとしてはほこりに思います。
吉幾三にもぜひ彼女のために歌をつくってほしいと思います。演歌の中にフォークソングをかくせる彼の曲は、案外中島みゆきと同じぐらい刺激的なものになるのではないでしょうか。

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