島津亜矢「海鳴りの詩」・NHK歌謡コンサート

島津亜矢がNHK総合「歌謡コンサート」に出演し、「海鳴りの詩」を歌いました。
大阪新歌舞伎座と明治座での座長公演の後、ほんの少し夏休みをとり、今回のテレビ出演が久しぶりのお仕事だったのではないかと思うのですが、これからまた年末に向かって多忙なスケジュールが待っているようです。
わたしは3年前から、座長公演の後の彼女を見るのを楽しみにしています。というのも一区切りついた後、彼女は本業の歌にいつも大きな変化があり、とても楽しいのです。再開されるコンサートではまた新しいテーマが加わり、選曲から大きく変わることになるでしょうから、年末の関西での公演でそのあたりのところもじっくりと楽しみたいと思っています。
さて、さすがに3年目となるとテレビ画面を通してだと素人目にはよくわからないのですが、それでもまず感じるのは彼女の歌はすでにモノローグからダイアローグへと変化していて、以前のように歌いきるすごさをあえて捨てて、歌を聴くわたしたちひとりひとりに手渡すような手応えのある歌になっているように思います。
彼女もふくめて声量もあり、歌唱力もある歌手はたくさんいますが、歌を必要とし、愛を求めるひとを見つめ、見守り、そのひとの切ない感情を受け止めるように歌う歌手はそんなに多くはいないのではないかと思います。ボイストレーニングをはじめとする歌手としての基本的な努力ともって生まれた天賦の才の上に、毎年一度の芝居空間で解き放たれた島津亜矢のもうひとつの才能は、前回紹介しました阿久悠の「感動する話は長い、短いではない。3分の歌も2時間の映画も感動の密度は同じである 」という言葉そのままに、複雑な人間関係やそれぞれのひとの人生を同時代という舞台で演じる懐豊かな歌唱力を島津亜矢に授けたのだと思います。
島津亜矢のさらにすごいと思うところは、若い時の島津亜矢は若いままに、現在の島津亜矢は大人の色気もただよわせ、どの記録映像や音源をとってもすばらしいということでしょう。「どこを切ってもちがう顔がでてくる金太郎あめ」といったらいいのか、すでに30年に及ぶキャリアの中で残されたどの映像も音源も、若かったころの「未熟さ」も、年を重ねた「衰え」もありません。
「海鳴りの詩」は1995年の作品で、島津亜矢の十周年記念作品として、恩師の星野哲郎が作詞し、彼女のあこがれだった船村徹が作曲したものですが、その時の島津亜矢は25歳ですから、歌唱力も声量ももっとも華やかだったころと思われます。
しかしながら今の島津亜矢は歌唱力はもとより、声量の陰りも感じることはありません。また他の歌い手さんたちが図らずも歌唱方法を変えざるをえなかったり、またそれを成長と呼んだり「個性的」と呼んで変に歌い方を変えたりもせず、楽曲に忠実に歌いながら、それでも匂い立つ歌心と言うほんとうの個性を静かに育てる島津亜矢には、まだ到達すべき頂上ははるかかなたにあるのでしょう。
「海鳴りの詩」に限らず、星野哲郎の海の歌はその数もさることながら、どの歌にも海の彼方へのあこがれと、実は海の怖さを内包している歌が多く、この歌の場合は少し設定がちがいますが、死んでしまった妻への変わらぬ愛情までも娘にそそぎ、漁師の父の、たくましくも切ない心情を、そんな父を限りなく尊敬する娘に語らせています。
そして、娘は父親の後ろ姿を見て、おそらくまだ小さな子どもだった頃に死んでしまった母親の愛情までも感じています。 やがて娘は結婚し、父親は初孫を見るまではと気丈に暮らしていますが、娘はすでに父親の老いを感じ、なにかと心を砕くという、星野哲郎が思い描き続けた永遠の親子の姿を歌い上げるのでした。そして、船村徹はいわゆる「サビ」を前にもってくることで、海の激しさや夜の海の暗さとともに、海に抱かれ海に育てられた漁師たちの姿をよりドラマチックな歌にしています。
2011年の東日本大震災の時、ジャンルを問わず多くの歌手が被災地を訪れ、「歌の力」によって被災者をはげまそうとしましたが、わたしの記憶に間違いがなければ、島津亜矢はそんなに簡単に被災地には行かなかったし行けなかったと思います。
とくに、彼女が歌い続けてきた星野哲郎の海の歌は、津波によって人生も夢も希望も奪われた人々の前で歌うことなどできなかったのではないでしょうか。彼女は思いまどい、悩み続けたのではないでしょうか。
わたしもまた、震災直後にさかんに言われた「歌の力」や「きずな」に、ある種の暴力性すら感じていました。もちろん、有無も言わせないでそんな戸惑いを捨てて被災地に駆け付けたひとたちを非難するのではありません。それはそれで、大いに被災者を勇気づけたことは間違いのないところでしょう。
けれども、わたしは深く傷ついたひとびとの前で歌うことを怖いと感じた島津亜矢が、その時もっと大好きになりました。歌手である前にひとりの女性として、ひとりの人間として、その心の傷をいやせるほどの「歌の力」を自分が持っているのかと立ち止まってしまう、そんな心のもろさと隣り合わせのやさしさがあるからこそ、熱烈なファンの方々をはじめ、たくさんの方々にほんとうに愛される彼女の人間性が歌にも芝居にもにじみ出るのだと思います。
そして、半年以上もたって彼女が被災地に入り、登米の体育館のステージに立ち、彼女が来るのを待っていた被災地のひとびとに熱烈な歓迎を受けながら熱唱し、体育館中を走りすぎて、汗びっしょりになり、風邪をひいてしまったことを思い出します。
しばらくコンサートでも歌われることが少なくなっていたこの名曲は、「なみだ船」、「風雪ながれ旅」とともに、秋からのステージでライブで聴きたい歌のひとつです。
最近の「歌謡コンサート」では新曲以外はカバー曲を歌うことが多かったように思います。カバー曲はカバー曲で、意外な歌を見事に歌う島津亜矢も魅力の一つですが、今回のようにオリジナルの名曲を歌ってくれるのはほんとうにうれしいことです。

今回の放送では浜圭介の特集をしていましたが、たしかに島津亜矢の持ち歌である「一本釣り」を歌ってくれたらというファンとしての想いはあったのですが、ボサノバ歌手の小野リサが歌った「街の灯り」がすばらしかったと思います。1973年に堺正章が歌った作詞・阿久悠、作曲・浜圭介の「街の灯り」は、高度経済成長のさ中に取り残されていくひとびと(わたしもその中のひとりでした)のせつない心情を語り歌ってあまりある名曲です。あの時代、なみだでにじむ街の灯りはぽつりぽつりちらちらと、愛を求めるひとびとの道標でした。
ボサノバに編曲された小野リサの「街の灯り」を聴くと、あらためて阿久悠の言葉も浜圭介の曲も、今の日本社会でこそより切実な実感をともなっていて、さびしい心情に寄り添うだけではなく、たったひとつの灯りであっても一生懸命生きるひとびとの切ない心情を照らし、希望の光となる歌でありつづけることでしょう。

島津亜矢「海鳴りの詩 」(2012年)
この頃には大人の色気と、3分間の歌の中のいくつもの豊饒な物語を歌う島津亜矢の新しい魅力が、若いころとは違った感動を呼びます。歌うこと以外で彼女が見聞きし、感じる心が素直に表現されていて、ますますファンになってしまいます。
堺正章「街の灯り」 
スパイターズ解散後の堺正章のヒット曲で、この頃そういえば「時間ですよ」で活躍していて、この歌も番組で歌われていたような気がします。この頃は「演歌」とか「ポップス」とかに分かれてしまう以前の、みずみずしくもせつない歌謡曲で、阿久悠も浜圭介も「舟歌」とはちがう情景を表現していると思います。

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