島津亜矢「スィートメモリーズ」

「幸福(しあわせ)?」と聞かないで
嘘つくのは 上手じゃない
「スィートメモリーズ」作詞・松本 隆/作曲・大村雅朗

島津亜矢のカバーの極みは、先日の新歌舞伎座・明治座の特別公演でお客さんを喜ばせた北島三郎の「なみだ船」、「風雪ながれ旅」などの数々の名曲ですが、その一方である意味、究極のカバーといえるのが松田聖子のカバーではないでしょうか。これまでも「青い珊瑚礁」、「あなたに逢いたくて ~Missing You~」などを歌ってきましたが、「SINGER2」に収録された「スィートメモリーズ」はその中でも特筆ものだと思います。
松本隆・作詞、大村雅朗・作曲の「スィートメモリーズ」は1983年、「ガラスの林檎」のカップリング曲として発表され、サントリーのCMにも起用された大ヒット曲です。
1970年代はフォークソング、ニューミュージックの流れにあったシンカー・ソングライターは別にして、歌謡曲がおおきく見てJポップスと演歌へと分化し、「スター誕生」からは森昌子、山口百恵などのアイドル歌手、「全日本歌謡選手権」からは五木ひろし、八代亜紀などが排出され、「ザ・ベストテン」でしのぎを削った時代でした。
この時代に活躍した阿久悠は、当初はピンクレデイーに代表されるJポップス系から、後半には演歌の作詞へと移って行きました。
「感動する話は長い、短いではない。3分の歌も2時間の映画も感動の密度は同じである 」という言葉を残したように、時代がそうさせたともいえるのですが、阿久悠はJポップスでもなく演歌でもない新しい歌謡曲を夢みていたのだと思います。
「歌は世につれ、世は歌につれ」という言葉通りに、時代が色濃く反映する大衆芸能としての歌謡曲を同時代人としてしっかりと受け止め、さらには歌によって時代を変えようとする強い意志が、彼の作詞とプロデュースには現れています。
その中でも今も演歌に色濃く残る「耐え忍ぶ女」とか「男の犠牲になり、男をたてる女」像に意を唱え、ピンクレディや山本リンダの歌に代表されるように、「対等な関係」から時には「男を従える女」像を打ち立て、さまざまなひんしゅくを買いながらも、歌によって世の中の女性像を再考させた功績はとても大きなものだったと思います。
もちろん、それは高度経済成長に基づいたものだったのかもしれませんが、昨今の状況を見ても正規雇用と非正規雇用によって隠れていますが男女の給料差が根強くあることや、シングルマザーへの正当な政策や制度のなさを本人のせいにする世の中の差別感を目の当たりにすると、時代はまだ阿久悠の歌に追いついていないことを実感します。
それはさておき、その阿久悠自身が時代の流れに疑問を持ち始めた1970年代後半から80年代に入ると、彼は演歌の作詞を多く手掛けるようになりました。
そして、阿久悠に変わって1980年代を席巻したのが松本隆で、1980年にデビューした松田聖子の6作目から作詞を手掛け、彼女のオリコン連続一位の24曲のうち17曲を作詞しています。
彼は後年「聖子さんの歌を作る時は、いつもその時点の彼女の2、3歩先を行く歌を作る。彼女は見事にそれに付いてくる。『SWEET MEMORIES』に関しては、彼女の10歩位先を行くように作った。作曲の大村雅朗氏と『今回は付いて来られないかな? 難しすぎたかな?』とも話したが、彼女は見事に付いてきた」と賞賛したといいます。
実際、この歌を歌った松田聖子は当時21歳ですから、この歌詞に登場する女性から見ると、ずいぶん年上の女性の心情を見事に歌っています。
わたしはその当時は聖子派ではなく明菜派でしたから、松田聖子の歌は知っているようで知らなかったのがほんとうのところで、今回島津亜矢のカバーを聴き、この歌の内容をはじめて知ったのですが、反対に40才を越えた島津亜矢が30代と思える女性の切なくもいじらしい心情をここまで瑞々しく歌えるものかと感心しました。聴きようによっては、「ぶりっ子」といわれた21才の松田聖子そのままとも思えるその歌唱力は、「ものまね」と誤解されるかも知れません。
しかしながら、はじめて松田聖子のオリジナルの「スィートメモリーズ」を21才の頃と今とを聴き比べると、松田聖子のファンの方が「若かったころの瑞々しい歌声が好き」という一方で、「大人になってこの歌の内容を丁寧に歌っている」との評価もあります。
島津亜矢のカパーはそのどれでもなく、若かった松田聖子が背伸びをして歌い、今の松田聖子がその当時を思い浮かべながら、若かったころに想いをはせる、その両方を併せ持つすばらしい歌になっていると思いました。
そして、そこからまた松田聖子のすばらしさをはじめて知ることになりました。
島津亜矢がカバー曲を歌うと、そのオリジナルがどんな時代背景といきさつで誕生し、その歌を歌った歌手の心情や特徴をも体と心全体で受け止め、そこから新しい発見をさせてくれます。わたしは美空ひばりも松田聖子も島津亜矢に教えられ、再発見したのでした。

最近、中森明菜のベストアルルバムが売り出され、再度の復帰かと騒がれましたが、どうも難しい状況のようです。
わたしはかねがね松田聖子が「時代を恋人にした女」なら、中森明菜は「時代の恋人になった女」と思ってきました。
実際、個人個人の資質はあるとは思いますが、松田聖子は着実に自分の才能を開花させてきて、それはアイドル時代に松本隆の支えがあったのではないかと思います。
中森明菜はあまりにもその時代に愛され、ほんろうされ、大衆音楽での人気という大きな一線を越えてしまったことが、もしかすると彼女の不運だったのかもしれません。
われらが島津亜矢はどうでしょう。わたしはさまざまな壁があって紅白に出ることがむずかしいことや、「演歌」の業界の階級制のようなものがあって、テレビの音楽番組やCDなどの販売ルートなどでも露出度が低かったりと、ファンとしてはやきもきすることは多々あります。
しかしながら、一方で座長公演のプロデュースの成功や、全国各地で島津亜矢コンサートを待ち受ける「歌を必要とするひと」がたくさん散在していることなど、また、ポップスでもジャズでロックでも、たまたま彼女の歌を一度聴いたひとがそのまま熱烈なファンになっていく天才歌手・島津亜矢の行方は、波瀾万丈はあろうとも確実に「いままでにいなかった、まったく新しいタイプの歌手」へと進化し、突き進んでいると信じてやみません。
さきほどの言葉を借りれば、島津亜矢は「時代を追い越してしまった女(歌手)」といえるのではないでしょうか。時代がいつ島津亜矢に追いつくのか、わたしは固唾を飲みながら見届けたいと思います。

「失った夢だけが
美しく見えるのは何故かしら」
「スィートメモリーズ」作詞・松本 隆/作曲・大村雅朗

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