林英哲と小室等と小島良喜とshiho

8月11日朝、高山陣屋前朝市にて。左からわたし、小室等さん、Fさん。

ライブが終わった時には、すでに台風は通り過ぎたようで、空も少し赤らみ、雨も小降りになっていました。
わたしはまだライブの余韻に浸っていました。思えば林英哲さんの太鼓はそれ自体に聴こえないメロディを奏でているようでしたが、その合いの手に時には激しく時には遠慮がちに雨や風が予期せぬメロディーでハーモニーを付けていたことが、太鼓が遠い彼方の記憶へと立ち去って行こうとする今、はじめて気づいたのでした。

出演者も、とくにスタッフも片づけに忙しく、またとてもお疲れのところ心苦しく思いながら、来年のイベントの大枠について小室さんと林英哲さんのマネージャーのOさん、そして舞台関係のスタッフのSさんとお話しする時間をいただきました。
Oさんはとても好意的で、舞台のパフォーマンスは絶対に落とさずに費用を抑える工夫を一緒に考えようと言ってくださいました。わたしたちも1000人を越える会場をいっぱいにできるように、これから1年かけてがんばることをお伝えしました。

新大阪駅を出発し、40分遅れで名古屋に着いた時はどうなることかと心配しましたが、終わってみればとても幸せな気持ちになっていました。とりあえず高山駅まで戻ることにしてタクシーに乗り、運転手さんに教えてもらった居酒屋で飲んで食べて、早やめにホテルに入りました。11日の夜は、実はFさんとわたしは大阪のミスター・ケリーズに小島良喜、金澤英明にshihoを加えたライブに行くことになっていて、昼過ぎに高山駅を出発しなければならず、朝7時半にロビーで待ち合わせすることにしました。
あくる日、7時半にホテルを出発し、まずは陣屋前の朝市に到着すると、まだお客さんは少ない中、取れたての野菜や漬物がずらりと並んでいました。ただ、あまりゆっくりもできず、高山の古い町並みへと移動しようとしていたら、なんと小室等さんが立っていました。ライブ会場では写真を写せなかったので、ここで記念写真を撮らせてもらいました。
午前中しかおれないので、古い町並みを見ただけで終わりましたが、名物のみたらし団子、五平餅、飛騨肉の握りずしで、充分満足しました。わたしは実は44年前、新婚旅行で高山に来たのですが、陣屋や古い町並みはたしかにそのままなのですが、もうずいぶん前のことで懐かしさはなく、まったく新しく訪れた感じでした。
おそらく、観光の町として、かなりの町づくりを進めた結果、とてもコンパクトにパックされている感じで、多少の「あざとさ」は感じられるものの、やはり観光客に親切な町になっていて、これはこれでいいのではないかと思いました。
わたしの住む能勢はほとんど観光資源がありませんが、それでもやりようによっては里山に抱かれた町としてある程度の努力の余地があるような気もしました。

大満足で帰ってきて、わたしとFさんは夜のライブでもう一人誘っていた箕面のSさんと阪急梅田駅近くで待ち合わせ、ライブ会場まで歩きました。いつものことなんですが、ライブ会場では最低1ドリンク1フードは注文しなければならず、それ以上飲み食いするととても高くつくので、ライブハウスのお店には申し訳ないのですが、あらかじめ早くに待ち合わせをして近所の居酒屋でお腹も飲み心も満たしながら時間をつぶし、いよいよライブ会場へと向かいました。
この日はFried Prideのshihoとのトリオということで、会場は満席でした。shihoのボーカルは10年ほど前に京都のRAGで聴いて以来でしたが、その前の小島良喜と金澤英明の二人だけの演奏がとても良くて、ずいぶん楽しむことができました。
大体がこの3人はとても仲良しで、ライブの前でもライブ中でも、とにかくいつも以上にご機嫌な小島良喜でした。ピアノもベースもメロディーとリズムが交錯し、この二人はどこか深い所で音楽を共有しているのだなと、あらためて思いました。
ドラムスが入ると小島良喜がその共有する音楽からはみ出して暴走し、それをドラムスが受け止め投げ返し、新たに生まれた音楽の磁場でまた次のアドリブ(冒険)を始めるといった具合に白紙の時間にさまざまな色と光による風景を描き、金澤英明のベースがその地平線を弾き続けるといった演奏に、わたしはいつも心をわくわくさせながら聴いてきました。
しかしながら、この夜の二人の演奏はどこか懐かしい匂いがして、「もうなにもかもわかってるよ」といった不思議な音楽的友情が感じられて、その幸福感が聴く者にも伝わり、いつもよりもなごやかで心豊かな時間にしてくれました。
反対に、一転shihoが登場するとがぜん小島良喜のノリがフル回転し、shihoもまたそれを望み、楽しむといった具合で、shihoのボーカルはすでにふたりの楽器と対等な楽器となり、というより小島良喜のピアノを凌駕するかのような挑戦的な楽器となり、果てまた遠くへ遠くへと聴く者の音楽的な想像力を掻き立てるのでした。
それにしてもshihoは、好き好きはあるかもしれないけれど、ほんとうにうまいと思いました。日本のみならず、世界のジャズ・ブルースシーンにおいても比類のないその声と歌唱力は10年前よりもさらに進化していました。
ジャズ、ロック、ブルースの名曲とともに井上陽水の「リバーサイドホテル」や松田聖子の「赤いスイートピー」(だったと思います)といった日本の歌も歌いましたが、これはカバーというものではなく、たとえばモーツアルトやバッハ、ベートーベンをいろいろな交響楽団が演奏したり、ジャズをいろいろなアーティストが演奏し競ったりする感じで、まったくshihoでしかありえない歌唱力と表現力でした。
最後に、今の世の中の雰囲気をふまえてでしょうか、ジョン・レノンの「イマジン」をshiho版で歌いました。

前日に林英哲の太鼓で衝撃を受けた後に彼女たち彼たちの演奏を聴くと、とてもかけ離れているように思うのですが、かなり以前からたびたびやっている林英哲と山下洋輔のデュオを聴くと、案外林英哲と小島良喜というのも面白いのではないかと思いました。そしてまた、shihoのようなブルージーなカバーもあれば、島津亜矢のようなとてもナチュラルなカバーもあるなと思います。小島良喜と島津亜矢と言うセッションもなかなか興味深いものを感じます。しいて言えば、島津亜矢はshihoのように全部をつくりかえるようなカバーも実は軽々とできるのですが、そのように作り直すことをせずになおかつ独自の歌に変えてしまう、島津亜矢でしか歌えないカバーを歌っているのだと思います。一度時間とお客さんの受け入れる体制さえあれば、shihoが歌っているようなジャズやロックやブルースだけのCDやライブがあってもいいと思います。その意味で、演歌を出自とする島津亜矢はとんでもなく大きなレンジと可能性を持っていると思います。

Eitetsu Hayashi - Bolero 林英哲&山下洋輔 - ボレロ (FULL ver.)

Fried Pride-リバーサイド・ホテル

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