後に島津亜矢の「川の流れのように」が時代を変えたと語り継がれることでしょう。

島津亜矢が紅白歌合戦で美空ひばりの「川の流れのように」を歌うことになりました。
島津亜矢のファンの方々の間では賛否両論で、なぜオリジナル曲でなくカバー曲なのかという意見から、昭和の歌姫・美空ひばりを歌い継ぐ歌手として島津亜矢が選ばれたという意見まで百花繚乱といった感があります。わたしもこの発表には驚きました。
紅白出場者の楽曲は、昔は原則として出場歌手がその年に発表された歌だったこともあったようです。古くは1977年の紅白で、ちあきなおみが黒づくめの衣装で髪を振り乱し、「夜を急ぐ人」を熱唱、お祭りムードで和やかだった会場の空気を一瞬にして凍らせました。歌が終わるや否や、白組司会のNHKアナウンサー山川静夫が「なんとも気持ちの悪い歌ですねえ」とコメントでその場をつくろい、凍り付いた空気を取り戻しました。
プロデューサーが演出効果を狙って確信的にこの「事件」を誘発させたのか、それとも全く予期せぬことだったのかはわかりませんが、この時代の約束事だった「その年に発表した歌を歌う」というルールから言えば理に適っていて、ちあきなおみにとっては特別奇をてらった歌唱ではなかったのです。
最近はまるで事情が変わり、出場歌手との話し合いはあるとはいえ番組制作側が出場歌手を決めた時点で歌唱曲も決定しているようです。ある意味、制作側が予期しないアクシデントやトラブルが起こらないようにということもあるのでしょう。
さて、昨年14年ぶりに出場し、「帰らんちゃよか」を歌って大きな反響を呼んだ島津亜矢ですが、今年の紅白でプロデューサーが何を歌ってほしいのかを私なりの予測していました。
彼女の場合、一般に言うところのヒット曲を出したわけではなく、むしろ類まれな歌唱力と年を追うごとに高まる人気に加えて、熊本県出身であることからチャリティコンサートを開いて義援金を届けたことや、さらには2016年を締めくくる紅白歌合戦の企画演出上、稀代の歌手・島津亜矢を必要と考えて出場を依頼したと考えれば、順当ならばカバー曲ながら準オリジナル曲となった「帰らんちゃよか」がまず有力候補だろうと思いました。
しかしながら、同じ曲を歌う前例はたくさんあるものの、島津亜矢を出演させる以上、ちがう歌を歌わせたいと考えたなら、オリジナルに劣らず彼女の歌唱力に見合うカバーの名曲を歌うこともありうると思いました。もしそうなら、何らかの意味付けが必要で、紅白を卒業した北島三郎の「風雪ながれ旅」なら、恩師・星野哲郎の作詞でもあり、北島本人が北島ファミリーの準メンバーと認める島津亜矢なら、持ち歌を歌わせることも了承するのではないかと思いました。
それでも、一部のファンからの要望も熱い美空ひばりのカバーだけはまずないだろうと思っていました。というのも、戦後の歌謡史はこの人とともにあると言っても過言ではない美空ひばりへの演歌歌手のリスペクトは計り知れないもので、美空ひばりを歌うことは彼女たち彼たちのステイタスでもあるからでした。長年の美空ひばりの歌謡界での功績をバックに美空ひばりワールドを過去のものにせずにプロデュースする加藤和也氏の手腕もあり、1989年6月24日に亡くなって以後、毎年6月ごろにはテレビ各局が競って特集番組を組んできました。秘蔵映像が発掘され、演歌歌手たちが美空ひばりの歌を競って歌い、どの楽曲を歌うかということでも現役の歌手たちのステイタスが推し量れるような状態は、少し遠くから見ると異常な光景です。
歌謡界に蔓延する美空ひばり依存症、美空ひばり症候群に取り込まれる中で、美空ひばりワールドの一人者になることに演歌歌手がしのぎを削る一方、かつての美空ひばりファンもまだ現役で、「美空ひばりを越えられるのは美空ひばり」だけと、美空ひばりをカバーする歌手に異様に厳しいチェックをしてきました。
その中で、島津亜矢はほんとうに目立たない立ち位置にいましたし、NHKの音楽番組ではほかの歌手が嫌がる美空ひばりの「男歌」を何度も歌ってきました。
そんなもろもろの事情を考えると、島津亜矢が美空ひばりのカバーを紅白で歌うことは数々の反感もまた買うことだろうと思い、もうしばらく美空ひばり熱が冷める時を待たないといけないと思っていました。
ですから、島津亜矢が「川の流れのように」を歌うと聞いたとき、ほんとうにびっくりしました。というのも、たしかに時代が大きく変わろうとしていることを演歌・歌謡界だけでなく日本の大衆音楽シーンに知らしめようと、出場者と歌唱曲の選定から当日の番組構成にいたるまで、今年の紅白でNHKがその先鞭をきったからです。一部の演歌歌手に対するいままでの遠慮や配慮を棄て、遅まきながら改革の一歩に乗り出した象徴が、島津亜矢の「川の流れのように」の歌唱なのです。
今回のNHKの冒険の背景として、没後27年を経てわれもわれもと演歌歌手が美空ひばりのカバー曲を歌い競うことがやや下火になり、また特集番組もネタ切れになり、美空ひばり症候群から美空ひばり伝説へと時代のハンドルが切られつつあるのではないかと思います。
わたしは長い間、美空ひばりが好きではありませんでした。彼女の歌をあらためて聴くようになったのは島津亜矢を知ってからでした。島津亜矢のすごさを知れば知るほど、美空ひばりのすごさもまた再確認するようになりました。
そして、美空ひばりの歌を聴けば聴くほど、演歌歌手が彼女を越えることのできない偉大な存在とし、すり寄るように彼女の歌を歌い継ぐというのに違和感を持っていました。
わたしが島津亜矢を厳密な意味で70年以降に確立された演歌歌手と思っていないのと同じように、美空ひばりにある意味もっとも似合わない称号が「演歌の女王」だと思っています。そして「柔」が彼女のシングルの最大ヒットになったことで、実は1970年代に作られた新しいジャンルともいえる「演歌」に彼女の全偉業を押し込めたことが美空ひばりだけでなく、日本の大衆音楽の不幸だと思っています。
「東京キッド」、「リンゴ追分」から「川の流れのように」、「みだれ髪」まで、音楽への好奇心にあふれ、演歌、歌謡曲から民謡、小唄長唄など日本の音楽のルーツをたどり、ジャズやブルース、シャンソンなど世界の音楽と地下深くつながり、たくさんのソングライターにインスピレーションを与え、「美空ひばり」ジャンルとしかいいようがない独自の音楽世界を築いた稀代のボーカリスト・美空ひばりが子どもの頃に受け取った「歌のバトン」は演歌の小さな枠では到底受け取れるものではないのです。では、だれがそのバトンを受け取れるのか。もしかすると美空ひばりでそのリレーは途切れてしまうのでしょうか。
その絶妙なタイミングでNHKが島津亜矢に「新しい美空ひばり」を歌うことを命じたのではないでしょうか。
そのことを痛いほどわかっている島津亜矢にとっては想像を越えるプレッシャーであるはずですが、われらが島津亜矢はNHKが来年以降の「うたコン」や「新BS日本のうた」をはじめとする音楽番組の方向性を決める大きな賭けを彼女に託したことを深く受け止め、人知れぬ潔さと心意気と深い歌ごころをもって歌ってくれることでしょう。そして、美空ひばりの「いのちのバトン」、「歌のバトン」を島津亜矢が受け取る瞬間に、わたしたちは立ち会うことになるでしょう。

島津亜矢「川の流れのように」
若い時の歌唱です。今の島津亜矢は大きく進化していますので、さらに期待が膨らみます。彼女は美空ひばりの歌唱を真似ようとしないのですが、どこかで美空火ひばりとデュエットしているのではないかと思うぐらい、美空ひばりの歌空間とリンクしているように感じます。
美空ひばり/川の流れのように【最後の映像】
美空ひばりの歌唱の最後の映像ということですが、このひとの歌唱はぴりぴりした心のひだまでなめらかにする魔法のようです。

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