島津亜矢は「柔」に閉じ込められた美空ひばりを解き放つ宿命を持つ稀有の歌手

6月27日、島津亜矢がNHK「うたコン」に出演し、美空ひばりの「柔」と、新曲「心」を歌いました。
「柔」はこの番組の前身だった「歌謡コンサート」で何度歌ったことでしょう。この歌を歌ってくれる歌い手さんが少なくなり、「柔」は島津亜矢に歌ってもらうと決めている頑固な(?)番組スタッフがまだ健在でほほえましくもあります。
古賀政男から船村徹、遠藤実を経て弦哲也、岡千秋、徳久広司などに代表されるような70年代以降の現代演歌が量産される今、アナログ音源と白黒フィルムのような古賀政男の歌は人々の心に届きにくくなっているのかも知れません。
わたしの暴論ですが、美空ひばりの最大のヒット曲が「柔」であったことは美空ひばりにとっても日本の大衆音楽にとっても最大の不幸と思っています。
「柔」は1964年、東京オリンピックから一か月後に発表され、190万枚という美空ひばりの最大のヒット曲となりました。
東京オリンピックは戦後の奇跡といわれた復興の成果と、政治的にも経済的にも国際社会の担い手として、日本の存在を世界に認めさせる一大イベントでした。
その目玉のひとつとして柔道が国際競技となり、金メダルをとってあたりまえという風潮のもと無差別級でオランダのヘーシンクが優勝し、会場の日本武道館の空気が凍り付き、静けさに包まれました。
「勝つと思うな、思えば負けよ」と歌った「柔」は、講道館創始者の嘉納治五郎の柔道精神を歌う一方で、東京オリンピックの柔道無差別級の敗北を越えて、日本社会への応援歌としての一面も持っていたように思います。
うがった見方をすれば、そもそも明治になって講道館がけん引した柔道は警視庁と学校教育に採用されることで国家体制の精神性の一翼を担ってきた歴史があり、「柔」は「柔道の敗北」による大衆の動揺を背景とした国家の意思、もしくは今流行りの言葉でいえばそれを歌謡界が忖度してつくられた、いわば国家高揚プロジェクトに近いものがあったのかもしれません。
その一大プロジェクトにぴったりの歌手といえば、戦後の復興を担い、苦難の日々をくぐりぬけたひとびとの精神的な支えだった歌謡界の女王・美空ひばりしかいませんでした。
また、戦前は自殺未遂まで経験してつくった「影を慕いて」で、迫りくる軍靴のもと壊れやすい青年の純な心を歌い、戦中は戦意高揚の歌を作らざるを得なかった古賀政男もまた、国策と世情に翻弄された戦前戦中の悲しい心情と決別し、日本社会の復権に第二の青春をかける、そんな骨太の歌をつくろうとしたのでしょう。
かくして、古賀政男は聴く人の琴線にふれるせつなく儚い詩情を離れ、美空ひばりはブルージーで土着的な音楽を捨て、「日本人の心の音楽」としての現代演歌という新しいジャンルを作ったのでした。このプロジェクトは想像以上の成果をあげ、「柔」は美空ひばり最大のヒット曲となり、これ以後高度経済成長の急な坂道を昇るひとびとの応援歌となりました。
わたしは最近の島津亜矢の「柔」を聴くと、若い頃の単純な歌唱とちがい、当時の時代背景と美空ひばりが感じたかもしれない違和感や時代の閉そく感にまで想像をめぐらしてしまうのです。まさに、歌は歌自体が時代の記憶をかくしていて、たとえその時代をリアルに体験していなくても歌の女神は島津亜矢を歌の誕生の地にいざなうのでした。
つい先日、TBS―BS「名曲アルバム」で美空ひばり特集が放送されました。この番組はジャンルにとらわれず2、3組の合唱団による合唱がほとんどで、それにゲストとして今回の放送では天童よしみとともに島津亜矢が出演しました。わたしは時々この番組を見ていますが、クラシックに近い歌唱法で演歌・歌謡曲を合唱するとミスマッチぎりぎりのところで不思議になじんでいることがうれしくなります。
とくに島津亜矢が歌った「柔」は、「うたコン」などでの歌唱とはちがい、ピアノの伴奏と合唱だけのアレンジも相まって、とても新鮮に聴くことができました。この歌に限らず、天性の透明でやや硬質の声を持つ島津亜矢はアカペラに近い形で歌うと素晴らしいものがあります。また合唱のゲストボーカルとして歌う場合、彼女がバックの合唱に注意深く耳を傾けながら歌っていて、本来メロディアスとは言えないこの歌のメロディを奥底から引き出した歌になっていました。
二曲目の「りんご追分」は、「柔」以前の美空ひばりの最大の魅力だった日本の土着ブルースの代表曲ですが、合唱によってを解体され、再構築された歌を、島津亜矢は戦後のラジオからこの歌が流れた時代の記憶の破片を拾い集めるように、一段と丁寧に歌いました。
この歌を聴き、日本のビリー・ホリデイとも言われたブルースシンガーでありながら、これぞ日本の歌としかいいようがない美空ひばりの広大な音楽の荒野に島津亜矢は導かれているのだと思いました。
孤独を恐れぬ心が足を踏み込むその荒野には、心臓の鼓動から生まれた愛の歌と、戦火の後の悲鳴が降り注ぐ独特のこぶしと節回しが満ち溢れていることでしょう。
そして、世界の音楽の系譜にまだ記述されていない美空ひばりの悲劇を受け取り、西洋音楽に支配されてもなお底流に流れる日本の音楽、「柔」に閉じ込められてしまった美空ひばりの音楽、現代演歌の彼方に隠れている1950年代の歌謡曲を解き放ち、「新しい日本の歌」(それを島津演歌と呼んでもかまわないのですが)を生み出す歌姫として、島津亜矢はその荒野の入り口に立っているのでしょう。

たしかに、島津亜矢はいまかつてない大きな波の上にいることはまちがいありません。2年連続の紅白出場と中島みゆきトリビュートコンサート出演、NHK「SONGS」出演、そしてマキタスポーツの後押しからTBSの「金スマ」に出演したことなど、話題に事欠かずまた矢継ぎ早の露出は、島津亜矢を大きく認知させるのに十分でした。
そうした番組出演により、天海祐希、古舘伊知郎、中居正弘、大竹しのぶなど、芸能界をけん引する多様な人たちと出会えたことはこれからの活動に大きな果実をもたらすことでしょう。とくにTBSの人気番組「金スマ」の波及効果は大きく、アカペラでポップスのさわりを歌っただけでポップスのアルバム「SINGER」シリーズが爆発的に売れ始めたほか、新曲の「心」もヒットチャートをにぎわしています。
ここ数年の地道な努力がやっと報われ、一ファンとしてこんなにうれしいことはありません。もちろん、そのぶんだけ今までとちがうプロデュースが問われるようになり、売れたら売れたで悩ましいのがこの世界です。とくに、島津亜矢のようにレンジの広い歌手ほどほんとうに難しいと思います。
ともあれ、ひとつの安全策としていままでの路線に沿った新曲「心」を発表し、大賞を獲得した「独楽」のように日本作詩大賞へのノミネートに期待が高まります。
あとひとつ、星野哲郎の教え通り迷ったときは原点に戻るということで、身も心も引き締めて、いわゆる「演歌の王道」へとハンドルを戻したとも言えるでしょう。
新歌舞伎座のコンサートでも原点回帰の姿勢が鮮明でしたし、それはそれで意味のあることでしょう。
わたし個人の思いから言えば、島津亜矢にふさわしいもっと大きくて深い歌が生まれないものかと思っています。そのためにはいままでと違う、また新しい出会いが用意されなければならないのでしょう。

島津亜矢「リンゴ追分」

島津亜矢「心」

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