高橋優・痛い歌だけど希望の歌

12月23日、神戸ワールド記念ホールでの高橋優のライブに行きました。
メジャーデビュー5周年を記念したBEST盤「高橋優 BEST2009-2015『笑う約束』」を7月22日にリリースし、全国ライブツアーのファイナルでした。
実は10月16日の大阪フェスティバルホールのチケットを取ろうと発売日の朝、コンピューターの前で頑張ったのですが「つながりません」のまま、20分ぐらいでやっとつながったと思ったらsold outで、人気のすごさを思い知りました。
あきらめていたところ、近所のコンビニに追加公演のポスターが貼ってあり、急いで「ぴあ」にアクセスしたところ、チケットを手に入れることができたのでした。

わたしが高橋優を知ったのは、昨年の秋に放送された「深夜食堂」というドラマの主題歌として「ヤキモチ」を聞いたのがきっかけでした。ちなみに「深夜食堂」は新宿・花園界隈の路地裏で、深夜0時から朝までマスター1人で切り盛りする小さな飯屋の常連客とマスターとの交流を描くドラマで、原作は同名の人気漫画です。
新宿の路地裏に集まってくるゲイ、ヤクザ、ストリッパー、刑事、大学教授、サラリーマンたち。一筋縄ではいかない人生と粋がったり喧嘩したり切ない恋をしたり…、猥雑で純な心が交差する30分のドラマはまるで唐十郎や寺山修司の芝居のようでした。ちなみに頬に長い傷跡があるマスターを小林薫が演じているのですが、1970年代、唐十郎率いる状況劇場の第2期黄金時代を根津甚八とともに支えた小林薫を唐版「風の又三郎」や、たしか清川虹子が客演した「腰巻おぼろ 妖鯨篇」での熱演は今でも忘れられません。
2009年の秋に第一部10話、2011年の秋に第二部10話、そして昨年秋に第三部10話が放送され、その第三部のシリーズの主題歌が「ヤキモチ」でした。
「一緒にいられるだけで、手と手を重ねあえるだけでよかったね 大事なことほど見慣れた場所で輝くのかも知れない きみを強く抱きしめたい」と歌うこの歌に、生まれては消えていくJポップの失恋歌とちがう匂いを感じました。
その後すぐにいくつかのCMソングや、終わりかけのフジテレビの「僕らの音楽」やNHKの「Covers」などで彼の存在をはっきり認識することができました。そして、まだメジャーデビューから日も浅い彼が次々と送り出す悲しさや怒りや絶望や希望に満ち溢れた歌の世界と、圧倒的な説得力で熱唱する肉声によって届けられる火傷しそうなヒリヒリした感覚が、わたしの心をとらえて離さなくなってしまいました。
高橋優は秋田県出身の32才のシンガー・ソングライターで、19才の時に札幌の路上から歌い始めたといいます。わたしの若い頃までは繁華街の飲み屋をまわり、「お客さん一曲いかがですか」とリクエストをもらい、ギター一本で歌謡曲や演歌を歌い幾ばくかのお金をもらってその日をしのぎ、いつか歌手になる夢を燃やす人々がいました。
その大半は消えて行ったであろう人たちの中から、北島三郎や五木ひろし、藤圭子、渥美二郎などのスターが生まれました。
時代は変わり、1980年代の歩行者天国から始まったといわれる路上ライブは90年代後半から「ゆず」や「コブクロ」など、ストリートミュージシャンからメジャーデビューした歌手やバンドが日本のJポップの一角を占めるようになりました。私が好きな「いきものがかり」も「ゆず」に触発されたグループの一つです。
演歌・歌謡曲のジャンルでもポップスのジャンルでも、ストリート上がりの歌手には独特のものがあり、聴く者の心を一瞬にして振り向かせる時にはあざといぐらいのパフォーマンスと、それを裏付けるしっかりした歌唱力、そしてなによりも感じるのは観客との距離を近く感じさせるのが魅力です。
高橋優が路上で歌い始めた19才と言えば2002年頃になると思いますが、路上ライブも下火になってきた頃で、時代的にはバブル崩壊後の「失われた20年」のただ中でした。就職氷河期ともいわれる若者の就職難どころか、リストラなど世代をまたぐ雇用状況の悪さから非正規雇用が増え、高度経済成長を支えた中間層とよばれる人々の職場も家庭も崩壊し、その後の阪神淡路大震災、リーマンショックを経て今では子供の6人に1人、ひとり親家族の子どもの実に6割が貧困で、全国に子ども食堂などのNPOが活躍しなければならない、いわば繁栄の中の飢えが大きな問題となっていますし、少し減ったとはいえ毎年3万人の自殺者を数える日本社会の「路上」は歩行者天国のようなウキウキする楽しさも暖かさもなくなっていたはずです。
それはもしかすると、かつてある意味奴隷解放によって暮しを脅かされ、白人農園の小作人や工業社会の底辺労働者になった黒人たちが、農園の片隅や都会の路上で歌い始めたブルースの誕生へとそのルーツを延長させたのかもしれません。
事実、高橋優の饒舌な歌詞にはいたるところに「失われた20年」の只中でもがき、苦しみ、切ない夢を見る本人を含めた若者たちの「今」が見事に描かれていますし、しかもわたしのような団塊の世代といわれるリタイア世代に変わり、彼女たち彼たちが次の社会をつくっていくことへの覚悟や勇気を同世代の若者と共有するところから「希望の歌」をつくり、歌いつづける高橋優の歌は、「失われた20年」ではなく、ここから新しい時代を自分たちでつくり、育て、担うことを約束し合う潔さと率直さと、限りない優しさと愛を今を生きるすべてのひとの心に届く、とてもとても大切な歌だと思います。
いわゆるイケメンやアイドルでもなく、見た目にカッコよさもなくジーンズにギター一本という彼に比較的若い女性ファンが多く、しかも身を乗り出すように心を開き、彼の絶叫を一身に浴び、しゃれたカフェに流れるような歌とは正反対の「痛い」歌詞をみんなで歌う光景を観ていると、歌は「伝える」ことが最終目的ではなく、非情で厳しい今日を生きる「わたしのことを歌ってくれている」という共振から生まれるカタストローフとともに、歌が終わった後に孤独な心に明日を生きる勇気を残していくことなのかも知れません。
そして、アイドルたちにあこがれ嬌声をあびせるのではなく、その切実なメッセージを受け止める感受性が、すこしばかり女性の方が秀でているのかも知れないと思いました。
高橋優の歌はほんとうに「痛い歌」ばかりです。その痛さは彼が13年前に立った路上の冷たさを忘れず、今回のような7000人のアリーナでもそのひとりひとりのたったひとつの人生が時代や社会を映す大きな鏡の向こうにある明日への希望のかけがえのない光源であることを教えてくれる高橋優は、聴く者の心にもっとも近く、向かい合うのではなくそっと寄り添い、重い足を引きずりながら共に一歩踏み出してくれる「ともだち」なのだと思います。

高橋優「旅人」
映画『東京難民』主題歌。「いつか帰るべき故郷を探し続ける旅人 君のこと今もこの街のどこかで待っているひとがいる」
本文でもすこし書きましたが、高橋優が歌う「街」は、たとえばわたしの好きな「いきものがかり」の水野良樹が歌う「街」とちがい、
ほんとうに過酷な現実が登場人物に立ちはだかっています。水野良樹の街はそれよりずっと幸せな街で、他人にいわれるまでもなく自分を待っている街も人もたしかにあることを信じている安心感とやさしい思い出があります。
高橋優をはじめて聴いたとき、自分を育ててくれた街も自分が訪れる街も、すでに自分をやさしく受け入れてくれる街ではないという絶望感があります。しかしながら、そんな街にもまた陽は昇り、ささやかな幸せを求める希望が絞り出され、「待っているひとがいる」ことを信じる切ない心が生きる勇気をくれます。

高橋優 「素晴らしき日常」
メジャーデビュー曲です。

高橋優 「(Where's)THE SILENT MAJORITY?」

高橋優 「陽はまた昇る」
映画『桐島、部活やめるってよ』主題歌。

高橋優・痛い歌だけど希望の歌” に対して3件のコメントがあります。

  1. S.N より:

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    tunehiko 様
    今日、はじめて高橋優の歌を聞きました。記事に書かれているとおりだと思いました。我々の若かった時代よりも複雑で問題がより深刻化していますから、私のような年寄りが知ったかぶりで説教してもダメですね。年末に息子たちが帰ってきたら、高橋優を紹介してみようかなと思います。このような歌を歌う若い人がメジャーデビューしてくれて、心強く思いました。「素晴らしい日常」が特によかったです。いい歌手を教えていただいてありがとうございました。

  2. S.N より:

    SECRET: 0
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    tunehiko 様
    先ほどのコメントで「素晴らしき日常」とすべきところを間違って「素晴らしい日常」にしてしまいました。訂正させていただきます。

  3. tunehiko より:

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    S.N様
    さっそく聴いてくださったのですね。島津亜矢さんから高橋優まで、支離滅裂だと思われることも多いのですが、わたしの中ではこの二人はつながっているのです。ライブの最後に深々と長いお辞儀をする彼の姿は、亜矢さんのコンサートの最後のマイクを抱きながら膝をついてお辞儀をする姿と重なっていて、どちらも歌に対するひたむきさにお思わず涙が出てしまいます。
    しかしながら、デビュー5年で武道館を含む15公演をすべていっぱいにしてしまうというのは、やっぱりJポップのジャンルは規模がちがいます。島津亜矢さんにとってはそんなことは意に感じず、ただ自分の道をまっすぐ歩く姿勢に胸が打たれます。
    年内にあと少し、亜矢さんと紅白について書こうと思っています。
    また訪ねてください。

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