戦争の前線で銃を持ち戦うのは一般大衆の若者。 瀧本邦慶さん講演会

10月23日の「瀧本邦慶さん講演会」は40人の方のご参加をいただきました。
毎日新聞と朝日新聞で紹介されたこともあり、遠方から参加してくださった方も多かった一方、能勢の住民の参加もあり、交通の便が良くない能勢での催しとしてはとても盛況だったと思います。
瀧本さんは94歳にも関わらず「マイクはいらない、立って話します」と言われ、信じられないほどの大きくしっかりした声で2時間、立ったままお話しされて、主催者のわたしたちも参加された方もびっくりしました。

17歳で海軍に志願し、整備兵として真珠湾攻撃に参加、ミッドウェー海戦で日本軍が壊滅状態となり、瀧本さんが乗り込んでいた空母「飛竜」から脱出、その時4隻の空母の内3隻は米軍の攻撃で沈んだが「飛竜」は沈まず、米軍の戦利品になることを恐れて日本軍自ら沈めた事実は、今も明らかにされていない。戦艦に移されると負傷者であふれている。ほとんどは火傷でその腐臭はきつく、また次から次へと死んでいくその屍に重い鎖をつけて海中に葬る。
瀧本さんも弾丸が体に残っていて佐世保の海軍病院に入院するが、ミッドウェー海戦の負傷者は一つの病棟に収容され、病棟からの外出は一切禁止となった。大本営発表によると空母一隻の撃沈となっていて、瀧本さんたちから真実が漏れないための処置だったらしい。事実は海軍最強の機動部隊の大半を失う致命的な大損害で、たくさんの兵士が戦死したのだった。この時以来、瀧本さんは国や軍をまったく信用しなくなった。常に国民をだまし続けていた権力者と戦争犯罪人集団によって、われわれ国民は動かされていたのだった。
一か月半の入院を経て零戦の整備、高等科練習生をへて、東カロリン群島のトラック島に赴く。トラック島は南方作戦の重要な補給基地だったが、瀧本さんの上陸直後、いきなり敵機動部隊の大空襲を受け、焼失飛行機350機、軍艦および輸送船55機の他、施設が全滅した。戦死者は15000人におよぶ。制空、制海権のすべてを失い、補給を絶たれ、その後4万人の駐留軍の内2万人が餓死する。そんな危機的状況の中で士官連中は銀飯を食べている。みんなで分隊長に応給食を求めたが一言の元に拒否された。今の官僚支配の世の中の姿と同じ、彼らが大切なのは自分の命だけである。自分以外の者の命は消耗品でしかない。われわれ一般国民がよく心して知っておきたい現実である。
昭和19年5月、フィリピンのレイテ島への転勤が命じられた。ところが制空権も制海権もないので、夜間の潜水艦で出発するのであるが、一度に行けないので順番に行くことになった。瀧本さんの順番が回って来る前に、レイテ島での決戦で海軍艦船は全滅、8万人の全員が玉砕する。トラック島にとどまるが毎日の空襲で次々と死者が出る中、生き延びる。
明日にも自分に順番が回って来るかもしれないという極限の状態の中、死亡者の埋葬は簡単にするしかなかった。今後どのくらい体力がつづくかわからない、ああ、これで自分の命もこれまでか、23歳の人生を誰のために死ぬのかわからぬまま、南方の小島でヤシの肥やしになって消えてしまうのか。一度でいいから母親に会いたいと、強く思った。
思えば私には青春時代などなかった。ただ一途に天皇のため、お国のために死ねと教えられ、心からそれを信じてきた。このまま死んだのでは、いったい自分は何のために生まれてきたのだろう。悔やんでも時は帰らない。
以上のような状況の中で、昭和20年8月の敗戦となったのである。復員の最終便としてわたしの順番が来た。敗戦から5か月後のことだった
いま静かに振り返ると、人智の及ばない何かによって奇跡が起こり、わたしは生き残った。私なりに考えられることと言えば、母が自分の生命をかけて祈ってくださったお陰だと信じている。それとも生き残って、語り部として多くの人々に惨状を語り継ぐようにとの神のなせる技であろうか。

いったい、何のために戦争をしてきたのだろうか。だいたい当時の国民のすべてが等しく戦争の痛みを分かち合えていたのだろうか。一般の大衆の多くが苦しみに耐えている間、一部の官僚、政治家、軍需産業関係者などの中には、人知れず甘い汁を吸っていたものがいたのではないだろうか。
多くの人が苦労して命を棄ててまで戦って、その後に何が残ったのか。何がお国のためか、何が親兄弟のためになったのか。一番悪い戦争責任者は誰なのか。なんの疑念も持たずに死んでいった戦友たちは犬死ではなかったのか。
その後の社会を見、国の有様を見ると、戦争当時、国政の中枢にいた政治家、官僚で先般になっていた者が、いつの間にか厚顔にも政治の中枢に返り咲いているではないか。国民はそれをやすやすと許しているではないか。さんざん自分たちが味わってきた苦労や悲しみを忘れたのであろうか。
戦争の真実の姿は、大切に育てた息子が親よりも前に死ぬことである。国のためにという美しい言葉に騙されるな。権力者の本当の目的は何かをよく考えてほしい。
戦争を決める者及び軍隊の指揮命令をする者は絶対に前線には行かない。常に安全な場所にいる。彼らがもっとも大切にするのは自分の命と地位だけである。戦争はいつの時代でも前線で銃を持ち戦うのは一般大衆の若者である。国家を守るという名目のもとに、国民大衆の犠牲の上において行われる。
戦争がはじまってからではおそい。始まる前にみんなで大声をあげて反対すること。戦争の準備は着々と行われている。沈黙は国を亡ぼす。言論の自由が認められているのだから、遠慮や躊躇せずに自分の考えを発言すること。もっと怒りを!!

「わたしの話はほんとうの話です。よく聞いてくださって、周りの人に伝えてください」と話される瀧本さんが2時間以上立ちっぱなしでマイクを通さず肉声で語られた言葉は、会場にいるわたしたちだけではなく、この会場にいない人たち、とくに若い人に届いてほしいという切実な願いと祈りが込められていました。
今年の夏、講演予定の学校からキャンセルを告げられた時、瀧本さんは戦前戦中の暗黒の時代がよみがえったと言います。現政権のもとで秘密保護法や安保法制が施行され、名前は変えましたが共謀罪、治安維持法にあたる緊急事態条項を優先させる改憲の動きなど、戦争を体験していない政治家や官僚によるこれらの動きにもっとも敏感なのは瀧本さんたち戦争を体験した人たちだと思います。瀧本さんたちのお話が熱をおび、切羽詰まっているのは、「長い戦後はおわり、すでに戦前だ」と感じるゆえに、「決して二度と若者を戦争に行かせてはならない。自分や死んでいった当時の若者と同じ体験をさせてはならない、命を落とさせてはならない」という必死の思いからなのだと、身近にお話を聞いてあらためて思いました。
そしてわたしたちもまた、この「戦前」の暗黒時代に二度と戻らないために行動しようと静かな決意をした一日でした。

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