豊能障害者労働センター2014年バザー1

5月24日、豊能障害者労働センターのバザーの手伝いに行きました。1993年、障害者の給料をつくりだすために始まったこのバザーは、1995年の阪神淡路大震災を機に、売り上げの一部を自然災害で被災した障害者とその活動の場への救援金、支援金としてきました。 とくに1995年の阪神淡路大震災と2011年の東日本大震災の時は売上金すべてを被災地に届けています。 わたしは1987年から2013年まで、豊能障害者労働センターのスタッフとして働かせていただきましたが、1995年1月17日のことは昨日のように思い出します。わたしたちが活動する箕面はそれほどの被害はありませんでしたが、神戸や阪神地区の友人グループは壊滅的な被害を受けました。 あの日、わたしたちは真っ青な顔で事務所に集まりました。毎年春のバザーの準備はすでに始まっていましたが、誰もが事の重大さにぼうぜんとするばかりで、仕事などできるはずもありません。「障害者の働く場に応援を!」と書いたバザー用品を求めるチラシも、ただただむなしく思えて、家々の郵便ポストに入れに行く気力もなくなってしまいました。 「バザーなんかやってられへん」とみんなが思っていたところ、だれかが「被災地の障害者への救援バザーをしよう」と言いました。わたしたちはその言葉に一瞬とまどいながらも、次の瞬間長い眠りから醒めたように口々に言いました。「そうや、ぼおっとしてる場合やないわ」。 それから約3か月、わたしたちは10メートル先を行く急ぐ心を追いかけるようにバザー当日へと走り続けました。また大阪に事務局が置かれた障害者救援本部の物資ターミナルも引き受けることになり、道路もまだ復旧しない中を阪神から神戸と、それぞれの被災地センターへと救援物資を運ぶ毎日でした。 一方で、機関紙「積木」の読者の方々に救援金をお願いしたところ、600万円の救援金を寄せていただき、バザーの売上金400万円とあわせて1000万円を障害者救援本部に届けました。もちろん、全国の障害者運動が救援本部に結集し、全体としては1億5000万円を超える救援金が寄せられ、わたしたちが届けた救援金はそのごく一部ではありますが、わたしたちとしては精いっぱいの活動でした。 この年の経験から始まった豊能障害者労働センターのリサイクル事業は、年に一度の大きなバザーだけでなく小さなバザーを毎月定期的に開き、着物だけのバザーや古本市なども定着している他、常設のお店も運営しています。 そして、すでにわたしもふくめて阪神淡路大震災の被災障害者救援活動を経験したスタッフがほとんどいなくなっているにもかかわらず、2011年3月11日の東日本大震災の時も今のスタッフが話し合い、売上金をすべてゆめ風基金を通して東北の障害者の支援金とする大バザーを開きました。 さらに、豊能障害者労働センターが独自に東北の障害者グループと交流し、支援を続けている他、東北の障害者を招いたりこちらから訪ねたりと、顔の見える関係をつづけています。 2011年の震災の年からは、わたしが今働かせてもらっている被災障害者支援団体の「ゆめ風基金」のスタッフとして、パネル展コーナーの設営と写真撮影を担当してきました。2011年の震災の年は大変なにぎわいでしたが、12年、13年と少しずつ品物も人手も少なくなっているのを感じていましたが、震災3年たった今年はまた結構な賑わいでした。その理由はよくわかりませんが、社会の雰囲気が変わったというよりは、震災から3年というひとつの節目に、豊能障害者労働センターのスタッフがあらためて被災地への想い深め、全員の力を注入した結果だと私は思います。 豊能障害者労働センターのバザーでは障害者スタッフが全員役割を持ち、それぞれのコーナーの責任者になっていることも多いのですが、それは当日のことだけではなく、この日に至る3ヶ月ほどの間の障害者スタッフの活躍は見事なもので、あきらかに他のバザーとはおもむきが違っています。豊能障害者労働センターの障害者をはじめとするスタッフ全員のバザーに託す思いは、このバザーを手伝ってくださるボランティアのひとたちや出店している関連グループのひとたち、そしてリサイクル店に売りに行くのではなく、このバザーのために無償で提供してくださった箕面市民をはじめとする全国のひとたち、さらには当日にかけつけ、商品を買いに来てくださったたくさんのひとたちにしっかりと受け止められていることを実感しました。 豊能障害者労働センターのスタッフからあふれ出る「共に働き、共に生きる町」をめざすメッセージと、東北の障害者とつながって行きたいと願う強い意志はさまざまな困難をひとつひとつ丁寧に乗り越えて、新しい社会への見果てぬ夢を少しずつ現実に変えていくことを確信すると共に、これからも彼女たち、彼たちの行動に参加していきたいと思います。 1993年から数えて20年以上にもなるこのバザーは、豊能障害者労働センターの活動の目的、理念、活動の手法からひとりひとりの想いまでもが形になったもので、障害者市民活動の未来の在り方のみならず、資本主義の終焉期を迎えたともいわれる今、重い扉の向こうに新しい世界経済の姿までもが垣間見える可能性を秘めているとわたしは思います。 それらのことは次回の記事にしたいと思います。

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