豊能障害者労働センター労働センターからの手紙2

豊能障害者労働センター機関紙・救援特別号の転載です。
ぜひお読みいただき、ご協力いただきますよう、よろしくお願いします。

豊能障害者労働センター機関紙・救援特別号より

すべての人の希望をともに耕すために

東北・関東大震災で被災された、すべての市民の皆さんに心からお見舞いを申し上げます。
私たちは、テレビから映し出されるすさまじい現地の状況の前に、ただぼうぜんと画面を見つめ続けるだけでした。この「積木」は、今まさに被害を受けて困難な状況に追い込まれている地域に宛てて、届けられていました。そこに暮らす方々が、Tシャツをトレーナーをカレンダーを、注文してくださっていました。バザーの品物を、箱いっぱいにつめて送ってくださっていました。
プラスWe会員の方の住所が、被災された土地にあることを知り、心がしんと止まります。
想像さえ届かない状況の中で、そこに暮らし、私たちに声を届けてくださっていた方々は、今、どうされているのか。今、どこにいらっしゃるのか。

十六年前の阪神・淡路大震災を思います。その時は箕面も被害があり、被災した土地が、隣の街そして隣の街と、震源地に向けてより大きく、より深く、傷跡を残していました。被害にあった街の中には、「生きています」「連絡をください」のはり紙が、風に揺れていました。私たちのところにも、被災地に暮らし働いていた障害をもつ仲間の、今、を伝えるFAXが、転送から転送を繰り返して、とぎれとぎれの文字を伝えていました。
ここにいる。この文字を見たら連絡をください。文字と、届いてくれという振り絞る思いが、被災した街を包み支えていました。
今回の地震で、避難されているいろんな障害をもった人々は、どう命をつないでいるのか。息をのむような現状の中で、もう一度、自分たちの暮らしを取り戻すことができるのか。生き続けることができるのか。たくさんのことをなくしてしまった今、今に続くあしたを思うのは、どれだけの力がいるのだろう。

けれど、もう一度。
もう一度、ともに生きることを。再びと願う土地で、生きる希望を持ち続けることは本当に大変なことだと思います。被災地から遠い私たちが、希望という言葉を語ることをどうかお許しください。
けれど、そこに暮らしていたにんげんの確かな営みが途切れてはいけない。一人一人の足跡が、その土地のかけがえのない歴史を物語り、愛おしい日常を育んできた。長く長く続く困難の中にも、ともに生きる勇気が、もう一度そこに暮らす人々の足跡となり、希望につながると信じたい。そしてその希望をみんなで耕すことで、にんげんがにんげんとして生きていく土台が、しっかりと根付いていくのだと思う。
大地に鍬を振り、空気をすき込む。ほぐされた土の中で、微生物が循環し、いろんな生き物が、ゆっくりと息を吸い、息を吐いていくように。
大地があって、空があって、街が息づき、人間が生きる。
ともに生きる土台が、再生されることを、続いていくことを、心から願います。

大阪にいる私たちの仲間が、行動を始めています。東京と大阪が連絡して救援本部を置き、被災地にいる障害をもつ仲間に、支援を届けるべく現地に入り、支援の拠点を立ち上げ情報を集めようとしています。大至急、そして継続的な支援が必要です。
私たちは、その動きにたえず反応をしながら、被災した障害者の暮らしをしっかりと支える生きたお金をつくり出したいと考えます。
五月のいつもの私たちのバザー「みんなでつくる春のバザー」を、「被災障害者救援バザー」にすることを、みんなで決めました。バザーの売上はすべて、「被災障害者支援NPO法人ゆめ風基金」に届けます。
命を救い、あしたを支えるお金を、私たちはつくりたい。これは、被災地にいる障害をもつ仲間だけではない、私たちのこれからでもあるのだと、思います。
すべての人の希望をともに耕すために。
どうか、私たちの行動を、応援していただけないでしょうか。

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