伊奈かっぺい&伊藤君子ライブ

先日、豊能障害者労働センターの事務所に行きました。今年は豊能障害者労働センターの設立30周年の年で、昨年開かれた松井しのぶさんのカレンダー原画展にひきつづき、記念イベントを企画しています。
その中でも大きなイベントとして、6月24日(日)に「伊奈かっぺい&伊藤君子ライブ」(トークとジャズ)を開催することになりました。
地域でも7つのお店を運営し、事務所では春夏の通信販売商品の製作に追われ、5月26日(土)には全員参加の大バザーがある中でのイベントで、みんなで少しずつ時間をつくりだして準備をしているところです。
伊奈かっぺいさんはあまり関西でのイベントはないようですが、とにかく面白いお話でお客さんの笑いが絶えず、笑い転げた後に、わたしたちが見過ごしたり忘れてしまいそうなもの、役に立たないと思ってしまうものが人生の宝物であることをそっと教えてくれる…、そんなかっぺいさんのお話は一度聴いたら癖になってしまいます。
わたしの人生の師匠のような寺山修司も同じ青森県出身ですが、彼の有名な言葉に、「人生を語るのには、もう方言しか残っていない。」というのがありますが、「方言の詩人」といわれる伊奈かっぺいさんのお話はそれを体現しています。
伊奈かっぺいさんは関西の人間にもわかるように共通語を青森訛りで話されるのですが、わたしたちは自然に津軽弁の美しさや東北の文化の豊かさを感じることができます。
笑わせることが大好きな伊奈かっぺいさんのお話を、みなさんにもぜひ聴いていただきたいと思っています。
伊藤君子さんは1982年、ジャズアルバム「バードランド(THE BIRDLAND)」でレコードデビュー。その後、ニューヨークのジャズクラブへの出演、日野皓正グループをはじめとする日本の本格派ジャズグループとの共演でジャズの実力を磨き、国内外で彼女の歌唱力は高く評価されています。
1989年、日米同時発売されたアルバム「フォロー・ミー(FOLLOW ME)」は、米ラジオ&レコード誌のコンテンポラリー・ジャズ部門の16位にチャート・インするという日本人女性ヴォーカリストとして初の快挙を成し遂げました。
ジャズ・ヴォーカリストとして確固たる存在となった伊藤君子は、以降、アルバム、コンサート、海外のジャズフェスティバル、テレビ・ラジオ番組、ライブハウスと、幅広い歌手活動を続けています。
2000年にリリースされたニューヨークでのスタジオ・レコーディング・アルバム「KIMIKO」は、プロデューサーに小曽根真を迎え、ヴォーカリストとしての伊藤君子の魅力を存分に引き出したものとなりました。このアルバムは、2000年度スイングジャーナル誌ジャズディスク大賞日本ヴォーカル賞を受賞しました。
伊藤君子さんは、香川県小豆島生まれ。4歳の時、ラジオから流れる美空ひばりの歌声に魅せられ、歌手を目指すようになったそうです。
「伊藤君子さんに津軽弁でジャズを歌って欲しい!」という伊奈かっぺいさんのリクエストに、津軽弁の暖かさに惹かれていた彼女は喜んで応え、5曲の「津軽弁のスタンダードナンバー」が出来ました。この5曲に加え、伊奈かっぺいさんのオリジナル曲「別離(へばだば)」に伊藤君子さんも参加して計6曲を収録したCD[ JAZZ DA GA ? JAZZ DA JA ! ]はジャズのスタンダードが津軽弁の歌詞によって生まれ変わりました。
リスナーへのサービスもあるのか、後半にオリジナルの英語の歌詞で歌われていて、それはとてもすてきな歌なのですが、何度も聴いているとオリジナルがじゃまになるぐらい、津軽弁の歌をずっと聴いていたくなります。香川県小豆島出身の彼女がこれほど津軽弁の美しさを表現できるのは、ジャズのルーツを訪ねると地域性の強い方言の英語へとたどりつくからなのでしょうか。
お二人のトークとジャズを聴く絶好の機会です。6月24日の土曜日はとても楽しみな一日になることでしょう。

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