天神さんの古本まつりと「ビリーシーツ」

10月14日、「天神さんの古本まつり」に行ってきました。
先の記事に書きましたが、豊能障害者労働センターが出店していることもあり毎年この催しに行っていたのですが、昨年は都合がつかず、今年は2年ぶりとなりました。
午前中からの畑仕事が少し長くなり、午後2時すぎのバスに乗り、阪急山下駅から梅田、地下鉄谷町線に乗り換え、南森町下車、天満宮に着いたのは4時になっていました。
豊能障害者労働センターのお店に行くと、障害者スタッフのヒラタさんとイナモリさんがいました。このお祭りは11日から15日までなので、毎日ちがったスタッフが交代で担当するのですが、わたしは少し前まではこの組み合わせの時に行き、出店されているお店の本を見て回ってから5時からの片づけを手伝っていました。
今年は着くのが4時になってしまったので本を見るのが1時間しかなく、駆け足で本を見て回りました。ほんとうはそれほどの本好きでも読書家でもないわたしですが、それでも時間があると本屋さんに入るのが習慣になっています。新しい本屋さんに入るのは立ち読みがほとんどで、韓流ドラマの雑誌、新書、文庫本、ハードカバーの小説、週刊誌、社会的なテーマの本など、手当たり次第に本を手にとってはすぐに閉じるといった感じで、本屋さんにとってはあまり喜ばしいお客ではないと思います。本を探すというより、いまどんな本がよく読まれているのかとか、雑誌の場合はAKBから「SEKAI NO OWARI」まで、どんなアイドルやバンドが人気なのかなど、世情に触れるのが目的です。
高校生の頃からなじんでいた古本屋さんには最近まったく行かなくなり、豊能障害者労働センターの手伝いがてらにこのおまつりに行くのみになっています。
古本の場合はもっぱら寺山修司、唐十郎、村上春樹の本と、ミシェル・フーコーとその関係の本、映画、ジャズ、歌謡曲関係の本と、ターゲットが決まっています。
いま、わたしの部屋にはこのおまつりで買って読んでいない本が少なからずあり、さらには新刊で読んでいない本もあるので、今年はできるだけ買わないでおこうと思っていたのですが、5冊も買ってしまいました。唐十郎の「謎の引越少女」と「夜叉綺想」、天澤退二郎の「宮澤賢治論」、重松清の「流星ワゴン」、「ナイフ」の5冊で、いつ読むかわからない、ひょっとすると読まないままかも知れないのにと、少し後悔してしまいます。
わたしの家にはそんな本がたくさんあり、かなり偏った図書館のようです。けれども、このブログを始めてからは極私的ライブラリーが役立つことがあり、わたしの年になると知り合いの中には身辺整理で本を片づける知り合いもいるのですが、わたしは一生本を捨てずに生きていくのかなと思ったりします。

5時になり、片づけを手伝いました。わたしがやっていた時とちがい、今はほかの古本屋さんと引けを取らないしっかりした片づけ方で、まずは本棚に布をかぶし、テントの支柱の外側四方をビニールシートでしっかりと囲い、つぎめをひもで結びます。
この作業はけっこう時間がかかるのですが、イナモリさんは行ったり来たりいそがしくしていて、ヒラタさんは自分で納得する様に「ボクハ ユックリ」と、わたしとコンビを組んでやっとイナモリさんと同じぐらいの仕事量をこなしていきます。そして知る人ぞ知る「ヒラタ語」で、「サイゴニ ビリーシーツ」。あれ、なんだっけと思っていると、ブルーシートのことでした。
そうこうしている間に、ほかの古本屋さんが次々と帰り際に「ごくろうさうでした」と声をかけてくれて、二人が声をそろえて「ごくろうさま」と返事をします。
わたしはあらためて、この何気ないことがとても珍しく、すばらしいことであることに気づかされるのです。車いすを利用している障害者はともかく、知的障害者といわれるスタッフ2人だけで出店を切り盛りし、おまけに出店されているすべての古本屋さんが彼らを対等な出店仲間の一員として普通に声をかけるといったことは、他の障害者団体ではほとんどない、稀有のことだと思います。
障害者といってもいろいろ個性がある中、この二人は商売のベテランにはちがいないのですが、他の団体の場合は障害者は利用者、スタッフは健全者で、利用者である障害者は健全者の職員といっしょに行動することが原則となっていることが多いのです。時として知的障害者の行動が問題になり、現場の職員の対応やその団体の管理責任をきびしく追及されることがあります。それを恐れて知的障害者が単独で行動することを厳禁としていることがほとんどだと思います。
豊能障害者労働センターの場合は、障害者も健全者も対等なスタッフで、ひとりひとりの障害者の個性や経験を生かし、地域のほとんどすべてのお店の責任を障害者が担っていて、とくにリサイクルのお店はすべて障害者スタッフだけで運営しているのです。
もちろん、ここまでになる間にはさまざまな問題が次々とやってきて、そのたびに障害者本人の問題、豊能障害者労働センターの問題、そして地域の障害者への偏見の問題と、ひとつひとつの問題を解決していく中で実現したことなのです。それを公的に保障してきたのが、一般企業への就労が困難な障害者が地域で働き、市民啓発をすすめながら、障害者の所得をつくりだす箕面市独自の障害者事業所制度です。
この制度のもとでは、障害者は国の福祉制度にもとづく保護、管理、指導される利用者ではなく、障害者と市民が共働し、だれもが暮らしやすい街をめざす福祉、障害者が地域で市民としての権利を保障されるだけではなく、市民としての役割を担う福祉の実現が設計されているのです。
そのことはこのように書けば専門的に見えたり、絵に描いた餅のように思われがちなのですが、豊能障害者労働センターの障害者スタッフの言葉や行動に触れると見事にわかってしまうことなのです。
一方で、障害者運動での当事者性が問われる今、たとえばヒラタさんやイナモリさんの話を聞くとほとんど商売の話になってしまうことを、健全者が障害者を商売の枠にはめているという意見も聞かれます。そういうこともあるかも知れませんが、ヒラタさんやイナモリさんをはじめ、豊能障害者労働センターの障害者スタッフの声に耳をかたむけ、その行動に接すると、そのように思う人の方に障害者への偏見があるのではないかと思うのです。
豊能障害者労働センターでは、ほんとうにお金の勘定をするのが好きな障害者がたくさんいるのです。「もしも心がすべてなら、いとしいお金はどうなるの」と言った寺山修司の言葉にもありますように、障害者もまた、かすみを食べていきているわけではないのです。
豊能障害者労働センターという集団が30年の間、保護管理訓練指導のもとにおかれる重度といわれる障害者の自立をめざし、ソーシャルビジネスを通してたたかってきた運動の成果は、ヒラタさんの「サイゴハ ビリーシーツ」という言葉によって見事に結実しているのだと思います。
しかしながら、豊能障害者労働センターの運動の制度的な結実としての「障害者事業所制度」は国の制度にならない以上、箕面市単独で維持することは難しいことでもあります。国の福祉制度にもとづく障害者就労支援継続事業所(いわゆる障害者作業所)では、障害者はどこまでいっても利用者でしかなく、経営の担い手となるのはもってのほか、働いた報酬としての給料ではなく分配金を支給されるように、ほんとうの働く場ではないのです。
福祉の専門家からみればほとんど同じに見えるらしい国の制度に合流する方が箕面市単独事業よりも箕面市のコストは下がるわけですから、数年前に箕面市長が言われたように、いずれは似て非なる国の制度にのみ込まれていくことが予想されます。
そのことはしかたがないことなのでしょう。それでも、豊能障害者労働センターの30年がつくりだし、育ててきた運動の未来がヒラタさんの「ビリーシーツ」をなくさず、より輝きを増すことを願っています。

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