死にゆくための民主主義・映画「蕨野行」 追悼 恩地日出夫監督

現代版棄老伝説としての福祉制度から当事者による人生の選択へ

 1月20日、映画監督の恩地日出夫さんが亡くなられたと知りました。恩地日出夫さんは東宝青春映画を代表する監督でしたが、テレビドラマでも活躍し、特にオープニング映像が話題となった「傷だらけの天使」の萩原健一、水谷豊をはじめ、若い俳優を育てた方でした。
 少し時間がたってしまいましたが、恩地日出夫さんが監督された「蕨野行(わらびのこう)」の箕面での上映会に関わったことがあり、追悼の思いを書かせていただきます。

 2003年に発表された「蕨野行(わらびのこう)」は、芥川賞作家・村田喜代子の同名小説を映画化したもので、構想から8年、山形で1年に及ぶ長期ロケを敢行した渾身の力作でした。
 江戸中期、ある地方の寒村、その村には隠された掟がありました。60歳を迎えた者は家を出て、人里離れた原野に移り住まなければならないのです。そこは蕨野と呼ばれ、老人たちは里へ下って村々の仕事を手伝うことでのみ、その日の糧を得ることができます。この過酷で理不尽な掟は、数年に一度必ず訪れる凶作を乗り切り、若い者の食料を確保するために定められた昔からの知恵なのでした。
 60歳になったら身分や貧富などのどんな条件もなく、老人たちはわが身を蕨野に捨てに行きます。体力のないものからひとりふたりと死んで行きます。その過酷な状況の中で、老人たちは不思議なコミューンをつくっていきます。
 死んでいくための厳しい共同生活なのに、なぜかしら老人たちの心が解放され、助け合って生きるさまや、正直でこっけいで美しく、生き生きとした姿が目に痛いほどの自然の美しさに溶けていきます。とても悲しい物語なのに、映画は観る者の心をぐっと突き上げ、深い感動を残してくれます。
 恩地さんの盟友でもあった市原悦子さんや石橋蓮司さんなどベテランの俳優が出演し、オーディションにより1200人の応募者から選ばれた清水美那さんがその瑞々しい演技力で山路ふみ子新人女優賞に輝きました。


 映画「わらびのこう 蕨野行」は、福祉が進んだといわれる現代にするどい問題をつきつけていると思います。福祉関係者にも高齢者にも受け入れがたいと拒否されるかも知れません。
 日本に伝えられる棄老伝説もヨーロッパにおける阿呆船も、不都合とされたひとびとを追放し、棄てるのは社会の方です。ところが「蕨野行(わらびのこう)」においては、追放し棄てることを決め、実行するのが他ならぬ老人たち自身なのです。長老達はこれから村を経営してもらわなければならない若い者たちに生きてもらい、自分たちは死んでいくことを選びます。
 思えば近代はこんなことがないようにと産業を興し、福祉を進めてきたのだと思います。障害があるから、年老いたからといって死ななければならないのは理不尽なことです。しかしながら高齢者の思いとかけはなれた福祉施設を充実し、保護することで、彼女彼ら自身が人生を設計し、生と死と向き合う勇気をも奪ってきたのかも知れません。この棄老物語は、福祉の充実そのものが当事者を不幸にしてしまう場合があることを気づかせてくれるのです。

死にゆく民主主義から育るための民主主義へ

 老人たちが死ぬ前に実現したコミュニティーは、人間の最後の希望ではありますが、蕨野のコミューンは、いわば死ぬための民主主義だったこともまた悲しい現実です。
 だからわたしたちの民主主義は生きるための民主主義でありたい。蕨野の近代化ではなく社会の蕨野化、蕨野を社会の周辺に作るのではなく社会のいたるところに蕨野という、人生を再設計し再発見する休憩場所を用意する福祉システム、どんな状況になっても助け合って生きていける本当に強くて豊かな社会こそが望まれるのではないかと思うのです。
 恩地日出夫監督はこの作品を発表された当時、「“介護”という考え方でしか、老人の死をとらえない社会常識は間違っていると思います。老人を“優しく扱う”ことが本人のためというより、老人を見送る側の人のために行われている。死んでいく人たちの意思や誇りについて考えるべきです」と語りました。

 2005年、わたしは当時在住していた箕面で開かれたこの映画の上映会に関わりました。実は、豊能障害者労働センターの黎明期から応援して下さった恩人の一人、Hさんの娘さんが恩地監督の連れ合いさんで、Hさんより映画が完成する前からこの映画の製作撮影の経過を伺っていて、箕面で上映会をすることを計画していました。
このころのわたしは高齢者の問題を家族介護から介護保険による制度としての介護の問題として語られてしまうことで、当事者である高齢者・老人の居心地が悪くなっていくことに疑問を持っていました。
 そんな想いから「老いることはいけないことなのか」と問い、「森の中の淑女たち」と「午後の遺言状」の上映会を開き、「人生は謎」と語る映画の中の老人たちにシンパシーを持ちました。
 しかしながら、山田太一のテレビドラマ・男たちの旅路シリーズの「シルバーシート」で、バスジャックをした笠智衆が鶴田浩二に「あんたはまだ若い、20年たったらわかる」といった言葉がずっとひっかかっていました。あれから17年、今年75歳になるわたしは、少しだけあの名言がわかりかけたような気がします。

 2005年10月22日(土)、映画「蕨野行(わらびのこう)」上映会は盛会で、恩地監督は記念の講演会も引き受けてくださいました。
上映会の実現に力を下さったHさんは亡くなられましたが、箕面の桜ケ丘のご自宅に月に一度ほどお招きいただき、お茶をいただきながらいろいろなお話を聞かせてくださった時間は、今でも心に残るわたしの宝物です。
 恩地日出夫さんの訃報を知り、たくさんの思い出が次々と蘇ります。
 ここに心よりご冥福をお祈りしますとともに、いまさらながら改めて、この映画の上映会にご協力をいただいたことを感謝します。

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