今更ながらと思いつつ、あれやこれ想いまどう一年になりそうです。

今年もよろしくお願いします。

 2024年が始まりました。
 昨年はロシアのウクライナ侵攻など世界各地の紛争で多くの犠牲が続く中、イスラエルのガザ侵攻で2万人におよぶ命が奪われました。その理不尽な暴力と悲惨を止められないまま、今も幼い命を含めてたくさんの命が奪われ続けている世界に身を置きながら、親しい人たちの懸命な行動に心を寄せつつもほとんど行動を起こせない自分にも腹立たしく、心が壊れそうです。
 昨年は身近でも悲しいことがたくさんありました。わたし自身76歳というこの歳になって、若い時のがむしゃらがたくさんのひとを傷つけたのではないか、もう少し違う生き方もあったのではないかなどなど、いまさら反省してもどうしようもないことを考えてしまうことも度々です。
 昨年は一方で、能勢の若手の農家のひとたちが気候危機に立ち向かい、土を育てる「耕さない農業」・再生農業の試みを始めています。子どもたちの希望を育てる彼女彼らがより良い未来をつくりだしてくれることを願い、応援したいと思います。
 昨年やり残したことがたくさんあり、その中でも箕面のグループから依頼されている障害者アートサークルのホームページ制作は3年越しになろうとしていて、今年こそは公開できるようにしたいと思います。2013年からの膨大な作品数で、どれもが素晴らしいもので、画像処理に時間がかかっているのも事実ですが、どんなふうに紹介するべきか考えあぐねているというのが実情です。
 また、日本の障害者運動をけん引したひとりで、豊能障害者労働センターの代表でもあった河野秀忠さんの文章で、機関紙「積木」の原稿として私の手元にある文章をブログで紹介しようと思っています。振り返れば、身近なところで、世間知らずだったわたしに障害者問題から始まり、世界に視野と心を広げてくれた恩人のひとりでした。
 妻は膝の関係で杖を使っても長く歩くのがつらくなり、今のうちにと妻が計画し、昨年は近くばかりですが鳥取の大山と徳島の大歩危小歩危、かずら橋に旅行に行きました。写真はその時のものです。
 今年からの大切な時間をかみしめ、やさしく明るく、そして自分の人生に自信を持てる人間になりたいと密やかに思う新年です。
 今年もよろしくお願いします。

春は鳥取の大山に行きました。透き通る空の下、麓から見上げた大山は雄大でした。
帰りの米子駅の境港行のホームは水木しげるゆかりの「ねずみ男駅」になっていました。
秋は徳島の大歩危小歩危、祖谷のかずら橋へ。
友人が2人の見守りがてら同行してくれて、楽しい旅行でした。
帰りは瀬戸大橋の真下、岩黒島に泊まりました。瀬戸内の海はやさしい海でした。