もう一度、天使たちへとありがとう

桑名正博コンサートメモリーズ
1997年8月23日発行、豊能障害者労働センター機関紙「積木」NO.101号より

その日の朝早く、ひときわ強く雨が降り、雷がとどろいた。付き添いのベッドで眠ってしまったぼくが目を覚ますと、母はぼくのほうに顔を向けてい。口からは、いつもとちがう「ぶるぶる」という音とともに、つばがあふれ出ていた。おかしいと思いつつ一時間はたっただろうか。突然またつばがあふれ、顔の血の気がすっとなくなった。ぼくの前から、母のいのちは遠くへ旅立っていった。
8月1日には86才の誕生日を迎えるはずの1997年7月13日、日曜日だった。病室の窓から何度も見た箕面の山々は降りしきる雨にぬれてぼんやりとくもり、その下に広がる街並みは、一日の生活をはじめようとしていた。

兄の家にいた母はここ数年、半年ぐらいはぼくの家で過ごす生活がつづいていた。昨年秋に脳こうそくでたおれ、箕面市立病院に入院した。一月後リハビリテーションセンターに移り、5月中頃にやっと退院した。住民票も箕面に移し、ホームヘルプ、訪問看護、老人保健施設のデイサービスを利用し、労働センターのみんなの協力も得て、ぼくが昼食の時に自宅勤務する形で生活をつないでいた。
車いす生活もけっこう楽しいよとぼくが言い、母もまたまんざらでもないように思えた新しい生活はたった13日であっけなく終わり、脳こうそくでまた入院することになってしまった。
そんなくらしの中で、ぼくは4年ぶりとなる桑名正博コンサートの準備を進めていた。毎年イベントをするきっかけになったこのコンサートのさまざまな思い出とともに、母と兄とぼくの3人が寄り添ってくらした遠い日々が重なり、ぼくの胸は熱くなった。
コンサートのタイトルにもなった「天使たちへ」は、90年のコンサートではじめて聴いた歌だった。母が5月30日に再入院してからは、いつもこの歌を歌いながらチラシをまき、その合間に病院に行く毎日がつづいた。

1週間後の7月20日、ぼくは箕面市民会館にいた。母を見送り、仕事をぬけながらも、なんとかこの日に立ち会えたことがうれしかった。土砂降りの雨の中がつづいた梅雨が明けてすぐの、晴れた日曜日だった。
その夜、4年ぶりに桑名正博さんが箕面市民会館のステージに立った。来てくれた850人の人たちとともに、桑名さんが箕面に帰ってきた。ステージが終わったとたんに桑名さんの声が出なくなったほどの熱唱だった。
アンコールの最後に「天使たちへ」が聴こえてきた時、もう涙をこらえることができなかった。

翼ひろげ、あなたたちの夢の中
飛び立つのを見送れば、高い空へと目がくらむ

コンサートが終わった2、3日後、母の除籍謄本を取りに摂津市役所に行った時、もう来ることはないだろうと思い、JR千里丘駅の近くの生まれ育った街を歩いた。古い記憶にあるぼんやりとした地図をたよりに路地を抜け、住んでいた家の前をそっと通り過ぎた。
小学校の同級生の家の表札、昔ながらのお店。母が焼き芋屋をはじめた所。この時母は心中しようと思ったが、幼いぼくが暗い部屋でいくつも金鳥蚊取り線香に火をつけ、「おかあちゃん、部屋明るなったやろ」とはしゃぐのを見て思いとどまったとずっと後に聞かされた。
母が一膳飯屋をした所。朝早くから近所の工員さんのためのモーニングサービスで、どんぶりいっぱいの飯とみそ汁を出していた。
母がお店をやめてから働いた会社。ぼくが高校生になったばかりで、彼女は50才をすぎてから10年間、60過ぎまで働いていた。彼女の年金はこの会社で働いていた時のものだった。
子どもの時に広く感じたはずの小さな街を歩きながら、涙があふれた。30年以上の時が過ぎ、街並みは変わっているのに、生まれ育ったときのままの風景がぼくを迎えてくれた。街もまたいくつもの顔といくつもの時を持っていて、今住んでいるひとだけでなく、何十年たってもその時代に迷子になったぼくの夢をも見せてくれるのだった。
ああ、母はこの街でどんな夢をみていたのだろう。そして、思いもよらず最後の13日をすごした箕面の街は、彼女のひとみにどんな風景を映したのだろう。

今、ぼくの手元に2枚、母の写真がある。1枚は母が12才のころだろうか、いすに座っているおかあさんの横で背筋をのばし、幼いひとみで未来をみつめている。あと1枚はリハビリテーションセンターにいた時にぼくが写した、母の最後の写真だ。車いすにすわり、とっておきの笑顔で写っている。ぼくは2枚の写真の間を流れた長い時を思いながら、せつなくもほっとしている。ぼくの知らない、若かった時の彼女の人生がたしかにあったこと。そして、最後の時にこんな笑顔をプレゼントしてくれたことに…。
たった13日だったけれど、箕面市民として車いす生活を過ごした母のことを子どもとしてだけでなく、ひとりの市民として決して忘れない。
ぼくたちは街がこうあったらいい、ああなればいいと願いながら今を暮らしている。それは今住んでいるぼくたちだけでなく、この街から巣立っていったひとたち、この街にこれから住むはずのひとたち、そして…、この街で最後の時を過ごしたひとたちの夢をも背負うことなのだろう。
今年のコンサートは、ぼくにとって忘れられないものになった。去っていった者たちの夢を呼び寄せるように、せみたちが夏を歌っている。

風が運ぶ このぼくの体へと
君のやわらかすぎた、愛の深さが今とどく

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