日本中が箕面を見ている。維新の会の「成長を止めるな」か人権の街・箕面か

1990年代はじめ、箕面市は「市内の障害者が働くことを拒まれる現実に対して、その行政責任はまず箕面市にあります」と言いました。市町村に労働施策の義務のない時代に、市町村行政が障害者の就労施策をすすめるという、全国に先駆けた画期的な宣言でした。
当然、国や府からのお金が来ない、市単独の施策として、箕面市独自の障害者就労事業が始まりました。その時代は「教育の豊中、就労の箕面」と言われ、全国から視察が絶えず、箕面市に引っ越してきた障害児の家族も少なからずありました。
倉田前市長は就任直後、国に対して箕面市独自の障害者就労施策を国の事業に発展させ、普遍化する提言をしましたが実現できず、「このままだと施策を打ち切る」と言ったものの市単独事業としての障害者就労政策は今も継続しています。
箕面市独自の障害者就労施策はトータルには行政コストが極端に低いのですが、国や府からのフォローのない市単独事業のため、通り一本に予算書を見れば反対に極端に高く映ります。上島新市長が維新の会の「身を切る改革」をかかげ、森を見ず木を見る目先の人気取りに走れば、箕面市の大きな輝きをなくすことになるでしょう。
かつて北芝地区に国連の教育研究チームが調査したことがきっかけで、被差別部落差別だけでなく、在日韓国朝鮮人をはじめとする外国人市民、女性、そして最近ではLGBTのひとびとなど、生きる困難に押しつぶされそうになる市民こそが担う「あらゆる差別をゆるさない」市民の活動の拠点として今でも若い人たちが集まり、新しい街づくりを進めています。
箕面市における障害者市民活動もまた、その新しい街づくり一躍をになっていると思います。障害者市民が限られた枠の中でしか生きられない、そんな福祉ではなく、ドラえもんの「どこでもドア」のように市民生活の真ん中で必要なひとが必要な時にドアが開けられ、その向こうにはいとおしい街・箕面のたくさんの市民たちがともに助け合う「福祉の出前」を実現してきた箕面市に、わたしたちはかつて「行政もまた夢を見る」とエールを送ったこともありました。
ところがここ数年、箕面市は北大阪急行の延伸誘致と、それにともない市立病院、市民会館、阪大箕面キャンパス移転誘致にともなう図書館、生涯学習センターの共同利用など、萱野新都心計画を進めています。そのプロセスで、長年市民との間で切磋琢磨してきた人権の街・箕面はどこにいったのかとため息が出ます。
この際、批判をおそれずに言えば、「税金を納めているユーザー・消費者だけが市民で、税金を納めず、消費する人は市民ではない」と言わんばかりの維新の会の「身を来る改革」は、子どもたちや福祉サービスを必要とするひと、差別に苦しみ死を選んでしまうかもしれないひとびとから、税金をおさめる機会・権利を奪い、国の財政を負のスパイラルに貶めるということを、近い将来わたしたちは確認することになると思います。
ともあれ、ほとんど維新の会の政策をなぞるだけのようなマニュアルしか書いてなかった上島新市長が「弱者の視点に立った行政をやっていきたい」という発言が本物なのか、かつて野坂昭如が田中角栄の選挙区に立候補したときの糸井重里がつくったキャッチフレーズ「日本中が新潟を見ている」にならって、「日本中が箕面を見ている」と、エールを送りたいと思います。もっともわたしは実は「弱者」という言葉が昔から好きでなくて、「弱者」とかたづけられる市民のくやしさ、悲しさを箕面で出会った障害者市民に教えられたのでした。

Bob Marley & The Wailers - No Woman, No Cry (Live At The Rainbow 4th June 1977)

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