地域で共に生きるために、いざという時頼りになる能勢農場

今年も能勢農場の餅つき大会に参加しました。

 12月11日、能勢農場の恒例の餅つき大会に参加しました。昨年も参加させていただいたのですが、もう一年が過ぎたんですね。年老いたからでしょう、数年前までのできごとは鮮明に思い出せるのに最近のことは思い出す間もなく時は足早に去っていきます。
 能勢に来て早や11年がすぎ、能勢が終の棲家になろうとする今、はるか遠くに来てしまった人生の旅も、振り返れば嵐の季節から静かな季節へと移り変わり、赤塚不二夫のマンガ「天才バカボン」のパパの名言のように、「これでいいのだ」と「これではだめなのだ」を繰り返しながら、それなりに幸せな人生を送って来れた幸運を感じるこの頃です。
 しかしながら、わたしのそんなささやかな幸せすら、世界各地で傷つき、たったひとつの命までも奪われてしまう無数の人々の無念を踏み台にしてきたこともたしかな現実なのでしょう。生まれた場所と時間で、国家の暴力に身も心もゆだねて生きざるを得ないわたしたちが暮らしの中で拾い集め、積み重ねた願いや祈り、自由や希望がいつか焚火のまわりで語り合い、わかりあい、助け合い、たましいを交換し合う、そんな世界をきっと人間は歴史の下で思い続けてきたのではないでしょうか。この世に生を受けたのは偶然でも、悲惨で理不尽な現実を潜り抜け、生きることが夢見ることであったことは必然だったのだと…。
 この時代を共に生きるわたしたちがこれ以上世界を暗くしないようにと、そして少しでも遠い彼方で密やかに輝く光を時代の痕跡にとどめたいと熱烈に思う今、すでに多くの夢をなくしてしまったのかも知れないわたしもまた「荒野の子」として、誰もが安心して平和に暮らせる世界をめざしてあと一歩、この旅を先に進めようと思うのです。

40年ぶり再開は人生のわすれものを拾い集める奇跡のプレゼント

 能勢農場との出会いは40年以上になります。たしか1980年ごろだったと思うのですが、国連障害者の10年を機に結成された国際障害者年箕面市民会議の初代代表だった筋ジストロフィーの障害者と、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」の編集部員のひとと3人で農場のイベントに参加したのが最初でした。
 北摂近郊の町しか知らなかったわたしは、まわりを里山が囲む田園風景に圧倒されました。そのころの農場はまだ活動をはじめて数年しかたってなくて、今よりももっとのどかだったような気がします。何故か藁がいっぱい積んであったところにあおむけに寝そべり、藁の匂いと遠い空の青さを今でも鮮明に覚えています。
 その後も2回ほど、豊能障害者労働センターの慰安旅行に行くのに、当時の代表だった河野秀忠さんが能勢農場の小型バスを借りるのについて行ったり、市民会議が借りた畑に牛糞を入れてもらったりと、最初の頃は何かと交流がありました。
 それから後は、よつばの産直センター以外には能勢農場のグループとのつながりは薄くなっていたのですが、人生まさかの展開で能勢に住むことになり、40年ぶりにまた能勢農場の人たちと知り合うことになりました。もちろん、すでに今は40代までの若い人たちが切り盛りして、兵庫県の丹波市春日町にも大きな牧場を持っている他、農業部門が発展し、今では地域の農家のかけがえのない入荷先となっています。
 また、食肉センターやハム工場、豆腐工場もあり、地産地消の新鮮で安全な食べ物を各地のよつば産直センターを通して北摂の住民に毎日届けています。

ひとつぶの涙と純情で屈託のない無数の笑顔が夢見る世界はそんなに遠くではない

 実際のところ、このグループの全体像を知っているわけではないのですが、社会の在り方を考え、顔の見える自立経済をめざし、社会の様々な問題を少しずつ解決していこうとする姿勢に心打たれます。わたしもそうですが、とかく最初に理念があり、それを現実に落とし込もうとして矛盾を抱え込むのではなく、最近の若い人に学ばなければならないのは、まず目の前の現実にそれぞれの想いや願いを積み重ねることで集団の理念を生み出し、それをまた変わりゆく現実への写し鏡として検証し、軌道修正する柔軟さにあります。
 グループのTさんがはじめた「憲法カフェ・のせ」に始まり、「ピースマーケット・のせ」、そして、そのメンバーだった難波希美子さんを能勢町議会に送り込む活動のすべてを支えてくれたこのグループの底力には驚きと共に感謝しかありません。
 新型コロナ感染症の影響やロシアのウクライナ侵攻からにわかに「国を守る」防衛が声高に論じられる一方で、安倍元首相の銃撃死によってその存在があぶりだされた戦後政治の暗闇が底深く広がる中、とてもじゃないが明るいと言えない未来に思いまどう日々が続きます。
 しかしながら昨年もそうでしたが、今年の餅つき大会でも高齢で不器用なわたしは何の手伝いもできませんでしたが、能勢農場の若い人たちの率直で凛々しく純情で屈託のない笑顔を見ていると、世の中まだまだそれほど捨てたものでもなく、小さなろうそくの火かもしれないけれど、わたしの心にもほのぼのとした温かいものが灯ったような気がした一日でした。