映画「愛、アムール」を観て

先日、映画「愛、アムール」を観ました。
第65回カンヌ国際映画祭で最高賞にあたるパルムドールに輝いた映画で、長年にわたって連れ添ってきた老夫婦が、妻の病を発端に老いと障害と介護と向き合う姿を描いた映画です。
監督は「ピアニスト」、「白いリボン」の鬼才ミヒャエル・ハネケで、「白いリボン」に続き2年連続の受賞になりました。
老夫婦と娘夫婦、家の管理人夫婦、妻が音楽教師だった時の教え子のピアニスト、看護師など、登場人物も数えるほどで、音楽はピアノだけでエンドロールも無音と、演出も映像も極端に抑制された映画でした。
わたしは「ピアニスト」も見逃していて、この監督の映画はみたことがなかったのですが、老優ふたりの迫真の演技によって理不尽ともいえる困難な状況に陥っていくのを、映画はふたりと一定の距離を保ちながら描いていきます。
ふたりの時が非情にもぬきさしならない所へ向かっていくプロセスを、冷徹ともいえるリアリズムタッチで見つめる映像はまるでタブロー画のようで、この監督の映画の美意識を垣間見たような気がしました。

映画の始まりはとても印象的で、演奏会場を舞台から見た客席の中央に座る老夫婦を小さく映します。舞台はまったく映らず、やがて拍手がひびき、ふたりも拍手すると、少しの間をおいてピアノの演奏が始まります。演奏が終わり、ピアニストと2人が交わす言葉で、ピアニストが妻の教え子だったことをわたしたちは知ります。
家に帰り、「今夜の君は、きれいだったよ」と、夫は妻に言います。
このファーストシーンは老夫婦の長くて豊かだった人生と、これからのふたりの成り行きをすでに語ってしまいます。ある意味でこの映画のもっとも恐くて不安なシーンでした。
翌日、いつものように朝食を摂っている最中、妻に異変が起こります。突然、動きが止まってしまう彼女の症状は、病による発作であることがわかります。
一度は病院に入院したものの、おそらく老いから来る障害で治ることはなく、進行していくことを知り、妻は「二度と病院に戻さないで」と夫に言います。切なる願いを聞き入れ、車椅子生活となった妻と、夫は自宅でともに暮らすことを決意するのでした。
妻の状態は確実に悪化し、心身は徐々に常の状態から遠ざかっていきます。母の変化に動揺を深める娘が入院を提案しても、夫は妻との約束を守り、献身的に介護を続けます。しかし、雇ったヘルパーに心ない仕打ちを受けたふたりは、次第に娘からも世の中からも孤立していきます。

夫を演じるのは、『男と女』に主演したジャン=ルイ・トランティニャン。妻には、戦後の広島を舞台にしたアラン・レネ監督の『二十四時間の情事』でヒロインを演じたエマニュエル・リヴァ。ともにフランスを代表する名優、齢80を越えたふたりが見せるのは、熟成された男と女の繊細な心の動きと人生そのものです。
さらに、彼らの娘役には「ピアニスト」でカンヌ映画祭女優賞を受賞したイザベル・ユペールが扮し、妻の愛弟子のピアニスト役には、ヨーロッパでその名を高める現代ピアニスト、アレクサンドル・タローが実名で登場し、劇中音楽も担当しています。

この映画は「人生の最終章をともに生きると決めた至高の愛の物語」と絶賛されましたが、わたしは少しちがったように感じました。とくに「妻を介護する夫の献身的な愛の物語」と言われると、介護する側の葛藤や押し付けを不確かな「愛」で言い訳しているように感じます。高齢社会が猛スピードで進む中、「家族介護」による悲劇が後を絶たず、かといって社会的介護としての福祉サービスのみで暮らしていけるにはほど遠い日本にいて、「フランスよ、お前もか」と言いたくなります。
ミヒャエル・ハネケ監督は「この映画で社会問題を扱うつもりはなかったのです。私が扱いたかったのは、自分が本当に愛している人の苦しみをどういう風に周りの人が見守るか、そういうことを描きたかったのです」と語っていますが、彼の意図がどうかは別にして、この映画でいう「愛」(原題アムール)は妻の視点ではなく、夫の視点によるひとりよがりという一面を拭い去ることはできないと思います。
百歩譲って妻の視点があるとしても、それは才能も財力も地位もそれなりにあり、美しかった若かりし時の豊かで楽しかった人生に想いをはせる、いわば過去形の尊厳と過去形の愛でしかないのではないでしょうか。
妻がはじめて車いすを利用することになった時、「私は障害者ではないの。」と言います。彼女が彼女であることの気高さや尊厳、これまでの充実した人生と夫との深い愛は、障害者になってしまうことで崩れてしまうものなのでしょうか。
この映画の女性も夫も周りの人間も障害を持つことはいままであったものがなくなり、いままでできていたことができなることだと思いこむことがどんな結末を用意するのかを、この映画はただただ冷徹に見つめることしかできませんでした。
もちろん、すでに老いの入り口にさしかかっているわたしにとっても未知の領域ではあるのですが、障害を持つことがもしかすると今までとちがうもうひとつの自分らしい人生への出発ととらえることが、決して甘い夢でも悲しいいきがりでもないかも知れないと、わたしは思うのです。
わたしは自分がもっと年老いて障害をもった時、障害のある自分をどれだけ受け入れることができるのかまったく自信がありませんが、それでも長い間いろいろな障害をもった人たちと出会い、自分の障害を受け入れながらしなやかに生きている彼女たち彼たちからたくさんのことを学ぶことができました。

どちらにしても老いを受け入れ、障害を受け入れることでしか今と未来を生きていくことができない以上、「できなくなること」や「なくなっていくこと」を決して悲観するばかりではなく、人間解放への最後のプレゼントとして受け取り、井伏鱒二の「山椒魚」のように「居直る」ことをおぼえたいと思います。
そして、そのプレゼントを用意できる社会の在り方をさがすことが、とくに東日本大震災以後の日本社会の大きな課題なのではないかと考えます。

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