現代の壮大な叙事詩 ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞に思う

ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞し、音楽の領域まで文学なのかと騒がれましたが、アメリカの片田舎からギターとハーモニカを持って現れた一人の青年の歌が世界の端から端まで伝わり流れ、どれだけの影響を与えたか計り知れません。
10日から11日とテレビでノーベル賞受賞ということで組まれた特集番組で、あらためてディランの数々の名曲を聴きました。わたしは69歳という年齢になるまでとうとう英語がわからず、若い頃に聴いた「風に吹かれて」や「激しい雨が降る」、「ミスター・タンブリマン」などの歌詞の意味もほとんど知らないままでしたので、今回ほんとうの意味は英語ができなければ理解できないにしても、和訳がテロップされているのを読むだけでなんと深く、なんと理解不能で、なんといつまでも若く、なんと新しい歌であることにあらためて感動しました。
たとえば、「Blowin' in the Wind 風に吹かれて」

Yes, and how many ears must one man have
人はどれくらいの耳があれば
Before he can hear people cry?
人々の悲しみが聞こえるのだろう
Yes, and how many deaths will it take 'till he knows
どれくらいの人が死ねば
That too many people have died?
あまりに多くの人々が死んだことに気づくのだろう
The answer, my friend, is blowin' in the wind
友よ 答えは風に吹かれている
The answer is blowin' in the wind
答えは風に吹かれている

この歌は反戦歌、プロテストソングとしてあまりにも有名な曲で、「how many…」(どれだけ)とたたみかける問いは直接的なものもありますが、比喩的でその時代の直接性を昇華させた後の普遍性のある歌詞になっています。それがディランの歌が時代とともに埋没する「懐メロ」ではなく、半世紀を過ぎても生々しく現在の世界のありようを歌う新しい歌となりつづける理由なのだと思います。
今回改めて発見したのは最後のフレーズで、ここでいう「人」を時の為政者と読めばそのままプロテストソングですが、もっと大きく「人間」と読めばそのまま文明批評にもなります。
21世紀になってより激しく無数の人々が傷つき、命を奪われ、もしかすると第二次世界大戦よりも破壊された建物は数知れず、子どもたちの悲鳴と時代の軋みはとどまることがありません。人々の悲しみが聞こえることも、あまりに多くの人々が死んだことに気づくこともいつの時代にもなかったし、これからもないのでしょうか。
「Blowin' in the Wind 風に吹かれて」が生まれ、世界中の若者が歌い、時代の修羅場の風に乗って幾世紀も流れ続ける…、そんな悲しい予測をしなければならない不幸をこの歌は持ち合わせています。プロテストソングだけの歌ならば、「あの時代、こんな歌が流行ったね」で済んだのかもしれませんが、幾世紀にも流れ、歌われるであろうことをノーベル賞の選考者たちは知っていたのでしょう。
ギリシャ神話の伝承者・吟遊詩人のホメロス作・西洋文学最古の2つの作品「イーリアス」、「オデュッセイア」は12000行を越える非常に長い叙事詩ですが、世紀を越えて吟遊詩人たちの歌によって語り継がれたとされます。
ボブ・ディランの数々の歌もまた、ひとつひとつの歌のメッセージと物語が次の歌につながり、ディランだけでなくたくさんの語り部による現代の壮大な叙事詩として、人類が滅びない限り幾世紀にも歌い継がれることになるでしょう。
日本でも実際に起こった陰惨で理不尽な事件を題材にした浄瑠璃、歌舞伎などが町の劇場から路上にあふれ、琵琶法師や門付け、瞽女(ごぜ)などの旅芸人によって全国各地に伝えられました。不思議なのはホメロスをふくめギリシャの吟遊詩人は盲目であったと伝えられているように、日本の大衆芸能を花開かせた吟遊詩人もまた盲目であったことで、彼女たち彼たちが世界の吟遊詩人とつながっている証左です。
その他浪花節、民謡にいたるまで、明治政府の西洋への劣等感からなされた西洋音楽への偏重教育によって日本の大衆芸能が捻じ曲げられてきた中にあって、明治末期ないし大正から昭和にかけてバイオリンやアコーディオンを演奏しながら、社会や政治へのアジテーションを歌にしたり、今の歌謡曲の原型のような「艶歌」を流し歩いた「演歌師」が、吟遊詩人と言えるのかもしれません。
残念ながら現在の日本には叙事詩や吟遊詩人はほとんど見かけませんが、わたしのまったく個人的な意見ですが友部正人や小室等などは和製ボブ・ディランといっていいと思いますし、楽曲としては小椋佳の「山河」や古賀政男の「影を慕いて」、あるいは 1950年代までの歌謡曲には世界に通じる叙事詩的な楽曲があると思っています。そして、最近では曾我部恵一、高橋優、竹原ピストル、エレファントカシマシ、セカイノオワリなどが吟遊詩人としての矜持を持っていると思います。
今年、「FUJI ROCK FESTIVAL’16」にSEALDsの奥田愛基や評論家の津田大介の出演がアナウンスされた時、ネットで「音楽フェスに政治を持ち込むな」といった批判が相次ぎました。
わたしはこのニュースを聞いてロックにとどまらず日本の大衆音楽がいかに退廃し、閉塞してしまったかを目の当たりにした思いでした。わたしは歌も音楽もこの社会やこの町、この山や海や川や大地やひとの暮らし、歴史、夢、希望、絶望、怨恨から生まれると信じているのですが、最近は歌も音楽も予定調和的にすでにある歌の中から、音楽の中から生まれることが多くなったように思います。たしかに音楽的な技術も音楽表現もはるかに進化していることは間違いないのですが、ざらざらした心さわりや砂をかむ絶望や波立つ胸騒ぎなどみじんもなく、音楽も歌もきれいな牢獄に閉じ込められたような虚しさを感じるのです。
当然、音楽を聴くひとたちも「音楽の牢獄」の中でしか音楽を聴かないので、たとえば政治的なことなどは音楽にそぐわないものになってしまったのかもしれません。
かつてはじめて武道館でコンサートをしたのはビートルズでしたが、神聖な武道館をロックで汚すなと右翼が街宣し、政治評論家がコンサートの中止を呼びかけるなど騒動になりました。当時の大人たちがロックを毛嫌いしたのは、ロックによって若者が扇動され、政治や社会を脅かすと考えたからでしたが、なんと半世紀を過ぎた今、ロックはその政治からも守られなければならないほど形骸化してしまったのでしょうか。きわめて政治的なイベントでありながら、「オリンピックに政治を持ち込むな」というのが詭弁であるように、「音楽に政治を持ち込むな」といった時点で自由な心の発露である音楽は死んでしまったといっても過言ではないでしょう。
1960年代のフォークもロックも、時の政治と社会秩序に異議申し立てをしただけでなく、音楽によって時代を変えようとし、また変えてきたのでした。
その先頭にいたボブ・ディランはフォークソングにとどまらず、プロテストソングをロックによって表現し、より豊かでふくらみのあるものにしてくれました。
ディランの特集番組をずっと見ていて、書かれた言葉でなく、語り、歌う肉声の言葉が文学の起源だったことを再確認しました。
それゆえもちろん文学賞に値すると思うのですが、それよりも若い頃のプロテストソングにとどまらずディランの歌はすべて平和賞に値すると思います。

Blowing In The Wind (Live On TV, March 1963)

Bob Dylan - A Hard Rain's A-Gonna Fall. March 10th 1964

Bob Dylan The Times They Are A Changin' 1964

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