はるかなはるかな地の果てに、咲いてる野百合何だろう

劇団でこじるしー第13回公演「激闘!ハッピーファクトリー」

夜から朝に変わる いつもの時間に
世界はふと考え込んで 朝日が出遅れた
なぜ悲しいニュースばかり
TVは言い続ける
なぜ悲しい嘘ばかり
俺には聞こえる
Oh 荷物をまとめて 旅に出よう
Oh もしかしたら君にも会えるね
JUMP 夜が落ちてくるその前に
JUMP もう一度高く JUMPするよ
(忌野清志郎「JUMP」・2004年)

 11月23日に開かれた劇団でこじるしー第13回公演「激闘!ハッピーファクトリー」は、20年前の忌野清志郎のヒットソング、「JUMP」で幕が開きました。
 わたしはほとんどリアルタイムだった唐十郎の「状況劇場」から今の「唐組」の春公演を毎年楽しみにしているのですが、それと同じぐらい「劇団でこじるしー」の大ファンで、年に一度の秋の公演を欠かさず観ています。若い頃は唐十郎以外の小劇場の劇団も観に行きましたが、最近は春の「唐組」、秋の「でこじるしー」がわたしの観劇体験のすべてになります。
 2013年、障害児の放課後デイサービスで寸劇上演をしたことがきっかけで旗揚げした「劇団でこじるしー」は、障害のある子どもたちの飽きることのない芝居への情熱によって年を追ってパワーアップし、出自の放課後デイサービスとは独立した感があり、デイサービスを卒業して劇団にとどまっているひともいるようです。
 劇団創立の頃からの劇団員はすでに10年のベテランで、役者としてほんとうに進化したなと、今回つくづく思いました。もちろん、新しく参加してきた役者もすぐに仲間になり、鮮烈なデビューをしてしまえる不思議な劇団になりました。
 ストーリーもアクションもよくも悪くもどこまでも演劇の領域を広げ、登場人物の自己解放とともに役者自身もまた解き放たれる冒険劇で、どんな芝居だったかと聞かれると困ってしまうというのがほんとうのところです。
 けれども、現実の人間社会がそうであるように、積み重ねられた小さな悪意と大きな悪意がうずまく世界で、それにあらがう友情が裏切りや嫉妬を赦しあい、諦めや絶望を分かち合う時、すでに役者もわたしたち観客も舞台から放り出され、ほこりまみれの現実から切なくも不確かな希望の道をまた一歩歩きだすのでした。
 それは唐十郎の芝居を観ていつも感じるものと共通しています。また、唐組はテント芝居、でこじるしーも小さな舞台で、どちらも路上劇ともいえるもので、入場料が安いこともとてもありがたいのです。だいたい、近頃の演劇は1万円をこえる入場料で、どんなに刺激的な芝居でもわたしにはあまりにも高額です。それでも役者の人たちは芝居で暮らしていけないのが現実で、ヨーロッパのように国や公共団体が助成し、彼女彼らが生活していけるようにしなくては、日本の演劇は滅びてしまうのではないかと思います。

純愛、純情、友情、薄明るい闇を走り抜けるには気恥ずかしい心が必要と…。

 近未来、ロボットがなんの違和感もなく人間と共に生きる時代、ひととロボットが助け合い、共に働く工場「ハッピーファクトリー」は、元受刑者の人間や廃棄処分寸前のロボットの再出発の場でもありました。そこにある日、人間のことを理解しようというロボット・アイコが現れます。
 実はアイコはハッピーファクトリーと対決するロボット生産会社の最新のロボットで、まだ人間の愚かさや悪意や裏切りを知らず、そんな人間の醜さを理解し、その弱さを利用して人間を滅ぼすプログラムを組み込むため生産会社から送り込まれたのでした。
 しかしながら、アイコはそこで感受性の豊かな青年・ネジヤマと出会い、友だちになります。ウォン・カーウァイの映画「2046」では未来都市「2046」行き列車の乗務員・アンドロイドの女が失われた愛を探しに行く男に恋をして、涙を流すシーンがありましたが、この芝居の時代にはロボットは限りなく人間に近づいていて、2人は純愛ともいえる絆を結ぶのでした。
 人間を滅ぼす指令プログラムが組み込まれているロボット・アイコは、プログラムになかった「ひとを信じ、愛し、共に生きていきたい」と思う「バグ(?)」に混乱します。そして、ついに生産会社の社長が乗り込み、乱闘の末、プログラムのアップデートのためにアイコを連れ去ってしまうのでした。
 その時に、実はハッピーファクトリーの工場長はかつて世間を扇動していたカルト集団の教祖で、生産会社の社長はともに教団をつくったNO.2だったことが明かされます。
 生産会社の社長は教団が解散させられた後、人間をすべて滅ぼし、最後の人間として自分も殺してくれる絶対的、圧倒的なロボットだけの世界を夢みていて、アイコは長年の野望を実現するための研究開発の末に完成したロボットだったのです。
 ここからがこの物語の語りに落ちる破片がいくつもの物語へと連なり、それぞれが暴走し始めます。ファクトリーは国家の大型委託事業を受注していて、その調査と監視のために担当の国家公務員がやってくるのですが、実は委託している部品は優秀なロボットだけをつくり、ほとんどのロボットを殺してしまうプロジェクトに使われる部品だったこと。その担当者はロボット生産工場でつくられたロボットの事故で息子が死んでしまい、その個人的な悲しみからそのプロジェクトの担当になったことなどなど…。

さみしい時には手を見よう、何にも持ってない手を。これがおいらの故郷だ、涙をふこう

 わからないづくめの展開がこれでもかと続く中で、連れ去られたアイコに心を寄せるネジヤマの恋と言うにはあまりにも無垢で愛おしい心と、プログラムにはなかったはずのアイコの初恋のような感情が、この世界の分断と欲望、自分のことも信じられない孤立と孤独、武力で相手を皆殺しにしてしまわなければ安心できない国家の病気を治してくれるんじゃないかと思うと、涙が止まらなくなりました。
 しかしながら、世界がよくない方へと転がり落ちようとしている今、そんな夢や幻想に浸ることを現実は許してくれません。実際の世界に目を向ければ、イスラエルのガザ侵攻の犠牲者はすでに15000人を越え、その半数は15才以下の子どもたちである理不尽な現実が悪意を増殖させていて、その力は見上げる大きな空の彼方からわたしたちの現実へと墜ちて来ようとしています。
 わたしたちはそれでも今、白い暗闇の中でロボットであってもなくても他者を愛し、慈しみ、分かち合う夢の力を信じることができるのだろうか…。
 そんな問いかけから、流した涙以上の涙が身体中を濡らす、そんな芝居でした。
 劇団でこじるしーの役者のみなさん、スタッフのみなさん、ありがとうございました。