若い人の底力

豊能障害者労働センターが製作するチャリティTシャツ「ガッツくんTシャツ」の話を、ゆめ風基金のボランティアの25才の女性が聞いていて、協力を申し出てくれました。
その女性は障害者運動を長年支えてきたひとの娘さんで、わたしたちの救援活動に深く思いを寄せているひとりです。わたしは40才になって豊能障害者労働センターの専従スタッフになったので、障害者との出会いは人生半ばの時でしたが、彼女はきっと幼い時から母親の後姿をみつめてきたのでしょう。
彼女は今回の震災の後、自分の人脈をフルに活用し、ボランティアのよびかけをしてくれました。ミクシーなどでも呼びかけたところ、それに応えてくれた若いひとたちが集まり、本人もふくめて4、5人のボランティアの人たちが機関紙の発送や基金をいただいた方への領収書の発送、電話応対をしてくれています。
今回の救援活動では16年前の阪神淡路大震災の時に救援活動に参加したひとたちの経験が生かされていることは事実ですが、わたしは彼女のような若いひとたちが今度の経験を生かして未来を切り開いてくれることを期待しています。これからの10年、20年に思いを馳せれば、日本社会、日本経済のありようは彼女たちによって選択されることは間違いないのですから。

その彼女がレゲーのミュージシャンに着てもらったり、レゲーのライブで販売したりして、レゲーのファンたちに「ガッツくんTシャツ」を広めたいと言ってくれました。
実際のところ、わたしたちはこの活動をはじめて30年の間に、協力を申し出て下さることがうれしくてさまざまなイベントに出店したり委託販売をお願いしてきましたが、大当たりしたことはほとんどありません。
イベントでの出店や委託販売は売れ残った在庫負担が大きく、とくにイベントが集中する7月8月にはTシャツ販売は終了時期になっていて、そっくり残ってしまうことが多いのです。
それでも、わたしたちは彼女の思いに賭けてみたいと思うのです。いつの時代も経験や常識を打ち破ってきたのは次代をになう若い人たちであったし、レゲーやロックがそんな若い人たちのつながりたいと思う心によって海を渡り、国境をこえ、時代の荒野を切り開いてきたのですから。
先に書きましたが、わたしが「うつ」になった2007年の夏、たったひとつだけわたしの乾ききった心にしみこんだ音楽はモンゴル800の音楽でした。レゲーのライブシーンに集うひとたちもまた思い惑い、明日への切ない希望を夏の太陽にかざす時、音楽を必要とする心を解き放つことでしょう。わたしの時代ならその時に聞える音楽はボブ・マーレーであるように。
そういえば、レゲーとTシャツは友だちであり、「自由へのたたかい」の同士でもありました。「ガッツくんTシャツ」は彼らに受け入れられるのか、ちょっぴり不安ですが、胸がわくわくしてきます。

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