遠藤周作 深い河

深い河、神よ、わたしは河を渡って、
集いの地に行きたい
ディープ・リバー 黒人霊歌

一昨年亡くなったわたしの友人K君は、クリスチャンでした。
高校一年生から続いた彼との交友はいままでも豊能障害者労働センター機関紙「積木」にいっぱい書いてきました。その一部はわたしのホームページのいろいろなジャンルの文章に残されています。
それでも語りつくせぬほど、彼とのエピソードはいっぱいあって、たとえばなにげない街の夕暮れや路地の隠れ家、テレビに映った森や山や海など、彼と一緒に行った場所が映ったりすると、その時彼と交わした言葉を思い出したりするのでした。

昨年の秋、豊能障害者労働センターが出店している「天神さんの古本まつり」で遠藤周作の「深い河」を買いました。その時お店にいた豊能障害者労働センターのスタッフのすすめもあったのですが、昔K君が夏目漱石とともに遠藤周作の小説を読んでいたこと、遠藤周作がクリスチャンで、そのことが彼の小説の根底にあることなどを話していたことを思い出したからでした。
K君は子どもの時に故郷の和歌山の教会で、母親に連れられて洗礼を受けたそうです。
わたしが出会った高校生の頃は一時信仰から離れていたのですが、二十歳をすぎたいつからか、また教会に行くようになっていました。わたしの場合も母親が日蓮宗の一派を信仰していて、子どもの頃はよくお寺に連れられて行きました。中学か高校かでかかわらなくなったのですが、結婚を機に母親を喜ばそうとまたお寺に行くようになり、母親がなくなってしばらくして、きっぱりとやめてしまいました。
宗教はとても不思議なもので、「わたしは何者か」、「わたしはどこから来たのか」、「わたしは何をすべきか」というような哲学的な命題がいとも簡単に神や仏によって語られ、それを信じる者ならだれでもその煩悩から救ってくれる大衆性を持っているように思います。けれどもそれでいて、いやそれだからこそ他の宗教を否定しなければ安心できない、救われる道、幸せになる道は自分の信じる宗教にしかないという排他性を持っています。

半年以上前に買った古本を、ようやく読むことができました。
「深い河」とはインドにあるガンジス河のことで、ヒンズー教徒にとって聖なる河、母なる河として信仰を集めており、多くの信徒がこの河で沐浴するため、そしてこの河で死ぬために巡礼してきます。彼らは、ガンジス河の聖なる水に浸るときすべての罪障は浄められ、死が訪れる時、その死体の灰を河に流されれば輪廻から解放される、という信仰を持っています。貧しい者は死ぬためにやっとの思いでたどり着き、ほとりの街には行き倒れた人の遺体が見つかることも多く、そのような遺体は火葬場に運ばれます。ガンジス河では遺体の灰を流しているすぐ側で、巡礼者が祈りながら沐浴をし、口をそそぎ髪を洗っています。
1993年、作者70歳の時に発表された「深い河」は、愛や人生の意味を求めてインドへ旅立つ人々の姿が描かれています。
磯辺の場合は、妻が死の間際、「必ず生まれ変わるから、この世界の何処かに。探して、・・・わたしを見つけて」と言い残し逝く。日本人として前世を生きたという少女の存在の知らせにインド行きを決心する。
成瀬美津子の場合は、大学時代、神を信じる大津を誘惑し、神を捨てさせる。卒業後平凡な男と結婚した美津子は新婚旅行の途中、リヨンで神父をめざす大津に出会う。その後離婚した彼女はある日、旧友との同窓会で大津が印度の修道院に居ると言う噂を聞き、大津の持つ自分にない何かを知りに印度ツアーに参加する。
大津の場合、神を捨て成瀬美津子の誘惑におぼれたが、結局捨てられてぼろぼろになるが再び神に拾われ、神父を目指してリヨンで修行する。しかし、教会では異端児と見られ、インドにきてヒンズー教徒に拾われ、生き倒れている巡礼者を河に運ぶことを使命とする。
沼田の場合、両親の離婚など子ども時代のつらい経験をへて動物を主人公にした童話作家になる。動物が話し相手。インドには動物や鳥を見に来た。
木口の場合、ビルマでの「死の街道」敗走体験者。死を目前に塚田という戦友に助けられる。塚田は過酷な飢餓から戦友の人肉を食べた体験から酒におぼれ、ついに病死する。戦友を弔うためインドに来た。
他人には決して理解されないかなしみや悩みを背負うそれぞれの人物が、投げ込まれる死者の灰、動物の死骸とともに沐浴するひとびととともに、自分の煩悩も投げ込まれる。ガンジス河は生も死も聖も汚れも区別なくすべてを飲み込んで流れて行く。

「深い河」は他の多くの作品と同じく遠藤周作の生い立ちや体験が反映されていると言われています。彼は中学生のとき母親に連れて行かれた教会で洗礼を受け、西洋で生まれたキリスト教と日本人としての死生観や宗教観との間でさまざまに悩み苦しんだとされています。
この小説では、「神へとつながる道はひとつでなくていい」という宗教多元論や、「神は神を信じない人もふくめて人間を救う。よくないこともふくめて、人間を救う」と、大津に言わせています。彼はヨーロッパで確立されたキリスト教の枠組みからは異端と言われ、どこに行っても追い出されるのですが、ヒンズー教の中にキリスト教的な神を見つけるのでした。
行き倒れの貧しい巡礼者を担架で運びながら、大津は祈ります。「あなたは背に人々の哀しみを背負い、ゴルゴタ(死の丘)までのぼった。その真似を今やっています。」
若いツアー客の不始末に巻き込まれて暴行を受けた大津は首を折り、担架で運ばれて行きます。それを見送りながら美津子は「本当に馬鹿よ。あんな玉ねぎ(神)のために一生を棒に振って。あなたが玉ねぎ(神)のまねをしたからって、この憎しみとエゴイズムしかない世の中が変わる筈はないの。あなたはあっちこっちで追い出され、揚句の果て、首を折って、死人の担架で運ばれて。あなたは結局無力だったじゃないの」と叫ぶのでした。

この小説の登場人物がこの物語の終わった後、どう生きたのかと考えます。長い時間を使って大津を愛するようになった時には大津と死に別れることになった(とわたしは思います)美津子は、それから自分の人生の意味をさがせたのでしょうか。そして、だれかを深く愛することかできたのでしょうか。磯辺は転生へのかすかな希望が徒労に終わったところから自分の中に生きつづけ、今も自分を愛してくれる妻を心に抱いて残りの人生をどう生きたのでしょうか。沼田はガンジス河と深い森を通り抜け、泉のようにわきあがるいのちのリレーからどんな童話を書いたのでしょう。そして、木口はだれにも語れない戦争中の過酷な飢餓と塚田への弔いをガンジスの深い河に残し、どんな人生を生きたのでしょうか。
わたしはいまだに神を信じることができませんし、自分の残り少なくなった人生のありようや進む道がわからず、時々立ち止まってしまいます。
それでも、豊能障害者労働センターと出会うことで、限定されてはいますが自分のやりたいことをここ30年やれたこともまた事実です。
この30年、「障害があるというだけで、こんな理不尽なことを社会はおしつけるのか」と怒りを掻き立てるさまざまな事件と出会いました。それらとたたかうことはとても過酷なことでもありましたが、一方でそんな日々の積み重なった30年は夢見る時間でもありました。
この小説の登場人物は遠藤周作の分身ともいわれていますが、わたしもまた、彼女彼らのだれかであるか、それぞれの人物すべてであるように思いました。
わたしはまだ、ゴルゴタを登る途上であることでしょう。そしてわたしもまた、背中に背負っているものがあることでしょう。その荷物をぼつぼつ降ろし、幻の深い河に投げ込むときがやってくるような気がします。

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