貧乏神と福の神

1975年から25年も続いた人気番組「マンガ日本昔話」でも取り上げられた、「貧乏神と福の神」という昔話があります。

むかしむかし、働き者の夫婦が住んでいました。働けど働けど生活はいっこうに楽になりませんでしたが、ふたりして一生懸命働いたので、その年の大晦日にはわずかながらお正月のお餅をつくことができました。
すると天井の隅っこの方ですすり泣く声がするので、若者はびっくりして天井にあがってみると、やせ細ったヒゲぼうぼうの貧乏神がいたのです。
なんでも貧乏神はこの家にずっと住んでいたが、今晩、福の神と交代するためこの家を出ていかなければならない。それで悲しくて泣いているというのでした。
「元気をお出し!この餅とさかなをたらふく食べなさい。」と夫婦は貧乏神を励ましました。
そこへ福の神がゆっくりと家の前までやってきました。「われこそ、福の神じゃ。この家に福を与えにやってきた。貧乏神はさっさと立ち去りたまえ。」
「いやじゃ。この家からは一歩も離れないぞ。この家の主がずっといてもいいと言ってくれた」。
貧乏神が出ていかないと言い張るので、貧乏神と福の神がとっくみあいのケンカになりました。負けそうになった貧乏神をふたりで加勢したので、福の神は負けてその場にバタンと倒されてしまいました。
「こんな家には二度と来てやらないぞ。」と、福の神はプリプリ怒り、行ってしまいました。そして「打ちでの小槌」を忘れていきました。
貧乏神が「これは、打ちでの小槌というものです。望みをかなえてくれます。何か欲しいものはありませんか」と言い、2人の望みをかなえてやると、「われは今日より福の神。」と言って屋根裏に戻っていきました。
2人はその後も一生懸命働いて、末永く幸せに過ごしました。
いっしょうけんめい働いたら「打ちでの小槌」が手に入り、金銀ざくざくお金持ちになって幸せにくらしたという、調子のいい話です。
なけなしのお餅まで貧乏神にあげるというのは年貢をとことんとりあげることだろうし、きっとどこにもない「打ちでの小槌」という餌をぶらさげて民衆を押さえつけてきた支配の構造があぶり出される話でもあります。

それでもわたしは、この話に可能性を見つけています。最後に手に入る「打ちでの小槌」は別にして、わたしたちがつくりだし、つながっていこうとしている「障害者市民事業ネットワーク」はまさしく貧乏神の経済、貧乏神の思想なのだと思います。
それに対してお金がお金を生み、世界各地で貧乏を再生産することで富が蓄積されていくグローバル経済は福の神の思想なのかも知れません。
この物語ができた背景はその頃の支配構造そのものであるとしても、貧乏神のいとおしさと福の神の傲慢さに表現されているものは「助け合い」の思想、文化だとわたしたちは思います。だからこそこの物語はきっと多くの民衆によって支えられつくりかえられ、伝えられてきたのだと思います。
そして、わたしたちはわたしたちなりに「貧乏神の経済」を実現していきたいと思います。わたしたちには、福の神が忘れていった「打ち出の小槌」はありません。「打ち出の小槌」がなくても、つつましやかであっても、貧乏神の経済が助け合いの文化に支えられ、生きがい、夢、恋、友情がいっぱいつまった豊かな経済であると信じて、新しい出発をしようと思うのです。

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