ロックンロールは死なず 祝春一番2019

5月4日、服部緑地野外音楽堂で開かれた「祝春一番2019」に行きました。この音楽フェスは5月の連休3日間にあり、そのすべてに参加するコアなファンではないものの、毎年友部正人が出演する日に必ず行くことにしています。
1971年、福岡風太、阿部登が中心になって、自分たちが聴きたい音楽を自由に聴き、歌いたい歌を自由に歌う場を大阪の地に作り出そうと、天王寺野外音楽堂で第一回「春一番」が始まった時、日本の社会は60年代の激動がうそのように高度経済成長へのアクセルを強く踏み始めていました。
「春一番」コンサートはそんな白い闇の立ち込める時代を切り開く草の根コンサートとして圧倒的な支持を得て、毎年才能と情熱にあふれた若者が出現し、刺激的で野心的な表現の場でありつづけました。
「春一番」コンサートは歌を歌う方も聴く方も音楽産業の中でこねくり回された歌ではなく、自分の歌いたい歌を歌い、自分の聴きたい歌を聴こうと集まり、時代を越えた音楽の冒険を乗せた巨大な船だったのでしょう。
最近はミュージシャンも観客も懐かしい場所に帰ってきたという感じがある一方で、今の音楽状況をよしとしない人たちがみずからの音楽を鍛え、共に生きる仲間を得て既成の枠組みに挑戦する新しいロックミュージックの荒野へ旅立とうと全国各地から集結していることもまたたしかなことでしょう。
今年は直前に遠藤ミチロウがなくなり、各出演者が追悼をこめて歌いました。
遠藤ミチロウと親交の深かった友部正人は、遠藤ミチロウが友部正人のカバーを歌ったDVDの話をして、「無性に歌いたくなった」と、「誰も僕の絵を描けないだろう」と「大阪へやって来た」を歌いました。わたし自身、遠藤ミチロウは石井聰亙監督の「爆裂都市 BURST CITY」でしか見たことがなかったのですが、「春一番」でのいつもセクシーでせつない立ち姿が今も目に浮かびます。  「春一番」のおかげでこのひとの音楽をきちんと聴けてとてもよかったと思っています。
この日の友部正人は、いつもよりはげしい感情が表に出ているように感じたのは、聴くわたしの方が感情移入してしまっていたのかもしれません。

「春一番」に来ると、自分がほとんど音楽をしっかりと聴いていないことに愕然とします。なじみのあるひと、名前だけしか知らないひと、まったく知らないひと、若くてまだ音楽的な経験が少ないだろうひともベテランのミュージシャンも対等に出演し、服部緑地野外音楽堂に集まったわたしたちの心に自分の音楽を残していってくれる…。わたしにとって「春一番」の楽しみ方はかつて曽我部恵一やヤスムロコウイチの音楽と出会ったように、「春一番」が選ぶとっておきのシンガーやグループの音楽を聴ける年に一度の楽しみにつきます。そして、個々のミュージシャンの演奏を越えて、「春一番」というコンサート自身が強い意志と思想を持っていて、「音楽にはまだ力が残っている」ことを教えてくれるのでした。そして今年また、「アフターアワーズ」という若いグループの荒々しくも瑞々しいロックを聴くことができました。
わたしはここ数年、「春一番」に来ると、昔とてもせわになった友人・ピンクが訳詞した「ロックンロールは死なず」というフレーズを思い出します。彼がつくった「20世紀の谷間社」そのままに、彼は20世紀の終わりに亡くなってしまいました。
彼が能勢で続けていた「青天井」コンサートもまた「春一番」にリスペクトしたものとわたしは思うのですが、武器をすてて楽器を持ち、殴るよりも手をつなぎ、罵倒するよりも歌いながら醒める勇気を音楽にたくしたピンクへのリスペクトは、8年前から奇しくも能勢に住むことになったわたしが「ピースマーケット・のせ」の主催に参加することを用意してくれたのだと思います。

さて、この日のハイライトは最後に登場した木村充揮でした。ここしばらく聴く機会がなく、ひさしぶりに聴いた彼のブルースにあらためて圧倒され、酔いしれました。
いつものように、いつ歌うのかわからないままお客さんとの掛け合いがつづくのですが、それ自体が木村充揮のトーキングブルースで、その意味では彼のステージは飲み屋だったり路地裏だったりで、いま流行りの路上ライブとは似ても似つかぬ街のさびれた風景なのでした。それは唐十郎のテント小屋で培養された「もうひとつの街並み」に通じるものがあり、唐十郎の芝居が東京の下町の風景ならば、木村充揮のブルースは、通天閣がやさしく見守る猥雑で人情がぶつかる大阪天王寺、新世界界隈の街並みを歌い、焼き鳥のコゲツく匂いともくもくとした煙が充満する路地に流れていくのでした。
すでに随分変わってしまったけれどそれでも昔の街並みを残す天王寺や新世界、動物園前や新今宮界隈、あいりん地区や、高校卒業していつも行ってた三角公園など、それぞれの街には記憶があります。文教都市構想も官公庁街構想も、街から暗い路地や匂いを取り去り、記憶を奪い、捨ててしまってきれいになった街には、そこで生きてきたひとびとの歴史もまた、忘れ去られてしまうのです。
わたしは街づくりを考えるのが得意ではありませんが、行政やスタイリッシュな開発業者による街づくりはどこかすきになれないのです。むしろ日本の高度経済成長をささえた労働者の街という記憶遺産を大切にした街づくりがあってもいいのではないでしょうか。少なくとも、そんな大切なものをブルドーザーで壊してしまい、埋め立てによる過去の負の遺産の上にカジノをつくる愚かな街づくりよりは人情あふれる人間の街・大阪らしいとわたしは思います。
木村充揮のブルースはとくに政治的メッセージは持っていないけれど、維新の会の都構想による街の再開発の、かなしいまでのむなしさとさびしさと愚かさを強烈に告発する歌だと思います。
思えばアメリカ大陸で生まれたブルースは、海を渡った大阪の街で、大阪弁で歌う木村充揮のブルースとなって、いつまでもわたしの胸を熱くしてくれるのでした。
こうして、大騒ぎだった10連休も終わり、わたしはいよいよ「ピースマーケット・のせ」の最後の準備に入ります。

遠藤ミチロウ 誰もぼくの絵を描けないだろう(友部正人)

友部正人 大阪へやって来た('71中津川)

木村充輝(憂歌団)/天王寺

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