1月3日の林英哲

1月3日、友人と5人で大阪森ノ宮ピロティホールで開かれた林英哲と林英哲風雲の会のコンサートに行ってきました。「林英哲コンサートスペシャル2015 英哲音楽会」と題されたこのコンサートは、毎年新春に開かれているようで、なじみのお客さんらしい人たちもたくさんいました。
わたしは8月の高山のお寺、11月末の神戸の横尾忠則現代美術館につづいて3回目になりましたが、もともとグラフィックデザイナーを目指していた林英哲らしく、どのステージもそれぞれの場所と雰囲気に合わせた演出で、太鼓の演奏にともなうパフォーマンスにとどまらず、演劇的な要素も空間アートの要素もある感動的なライブだったと思います。
わたしはまだ林英哲の太鼓を聴き始めて日が浅く、それぞれの曲のちがいや演奏法などもよくわからないのですが、大太鼓から小さな太鼓、うちわのような太鼓(?)、さらにはドラというのでしょうか、金属製の打楽器と、さまざまな打楽器の持つ固有の音をほとんど聞こえないような微音からマックスの音、さらにはゆっくりしたリズムから激しいリズムまで、林英哲と4人の風雲の会の若い人たちが絡み、独奏合奏思いのままに繰り広げます。
その様はまるで規律の厳しい修行か格闘技のようでもあるのですが、実は打楽器による繊細なロマンチシズムと、とめどなくあふれつづけるいのちの泉、とどまることのない時の刻印…、と、どこまで書き続けても言葉では表現できない直接的で刺激的でむなさわぎと静けさが同居する珠玉の荒野にわたしの心を連れ出すのでした。
それはきっと、林英哲とその集団のなみなみならぬ訓練と鍛練に裏付けられたものではあるのでしょうが、そのたゆまぬ努力の果てに彼らがたどりつくその荒野こそは、太鼓と格闘する前に彼らの心の中で聞こえているはずの妙なる大地と風と物と海と太陽と月に抱かれ、鳥と水と木々の枝と葉から伝えられる無告の音たちの墓場なのかも知れません。
それらの音たちはわたしの心臓の鼓動となり、言葉が生まれる前の歌となって体中の血管をなつかしく流れ続け、鳴りやむことがなく、わたしの体は冬だと言うのにいまだに火照っているのでした。
一夜あけても皮膚の下に太鼓の音が鳴りやまないでいると、あくる日の朝日新聞の朝刊に興味深い記事が載っていました。人類学者・川田順造へのインタビュー記事でした。
「53年前にサバンナが広がる西アフリカ内陸のオートボルタ(現・ブルキファソ)に赴いた時のことで、旧モシ王国という、文字を持たない社会を始めとして、アフリカ各地に9年半暮らしました。私の研究では15世紀にさかのぼる王国の歴史について、彼らは太鼓を使って細やかにたたき分けることで見事に伝承していました。音でなくかたちで過去を表わすナイジェリア・ベニン王国での調査と合わせ、太鼓言葉に文字と同じ『しるす』意味があることを明らかにしました」
「初め私は、文字を持つことを人類の歴史の上で一つの達成とみて、無文字社会がその達成のない段階と考えていました。しかし彼らと暮らすうち、コミュニケーションが実に多様で豊かなことを知り、『文字を必要としなかった』とも思い至ります。むしろ、文字に頼り切った私たちが忘れているものを思いおこさせられました」
人類の未来のために、と題したこのインタビューで、彼の恩師でもあるレヴィ・ストロースの有名な著書「悲しき熱帯」の終章に書かれた「世界は人間なしに始まり、人間なしに終わるだろう」という言葉を引用しながら、「共同体のつながりへの信頼」を取戻し、自然と共生し、共同体と折り合いをつけ、知恵を出し合い、いたわりなどの倫理を働かせて、協力して生き抜く共同体の再構築なくしては人類に未来はないと静かに警告するこの記事はとても興味深いものでした。
この記事を読みながら、林英哲の太鼓がこれほどまでに多くのひとびとの心に響き、いつまでもその残響音が残るのか、すこしだけわかった気がしました。
文字や言葉に頼らないコミュニケーションのツールとしての太鼓があり、しかも太古の昔から自然と人が、人と人が対話するために用意された最初で最後のツールであったということを、林英哲はただひたすら太鼓をたたき、太鼓の音を聴くことで学んだのではないでしょうか。
そして、アフリカの人々が自らのルーツをたどる歴史を、太鼓をたたき分け、聞き分けることで語り継ぎ、歌い継いでいたように、林英哲は歴史の森をくぐり抜けてきたメロディも言葉もない無数の歌と無数の物語を聞き取り、太鼓をたたきながらそれらの歌と物語をひとつも漏らさず、聴く者の心に届けてくれるのでした。
そして、わたしたちは林英哲の太鼓を聴きながら、言葉や文字を使うことで忘れていたもうひとつの大切なつながりを、メロディーのない太鼓の音によって思い出すのでした。
そういえば、村上春樹の優れたエッセイ集のタイトルは「遠い太鼓」でした。

今回の演奏でひときわ感動したのは第2部の最初の曲「モノクローム」でした。
パンフレットによると、石井眞木(1936~2003年)が作曲した「モノクローム」は1975年の作品で、世界初の太鼓のための現代音楽です。インターネットの情報で調べると、かつて林英哲が所属していた「佐渡国鬼太鼓座(おんでこざ)」を見た指揮者・小澤征爾が共演を約束し、そのための楽曲を小澤の盟友の作曲家・石井眞木に依頼したといいます。世界を驚かせ、海外の打楽器奏者に多大な影響を与えたこの曲について、林英哲は「この曲に出合い、表現というものと初めて向き合ったように感じます。僕の人生の全てを変えました」と話しています。
実際、はじめてこの曲の演奏を聴いたのですが、他の曲とちがい、林英哲を含む5人の奏者のアンサンブルがとてもデリケートでかつスピードと、また短時間の演奏の間に壮大な物語を聴いたような空間のひろがりと奥行きを感じ、思わず引き込まれました。
最後の曲となった林英哲の大太鼓の演奏では、いつも思うことですが、こんな大きな太鼓と大きなバチからどうしてあんなに聴こえるか聴こえないかの微妙な音をリズムも違わず出せるのかと、その芸術的な発想もさることながら「ポン」とたたくよりもはるかに強い筋肉の力とバネを持続するすさまじい練習と鍛練が隠されているのだと思います。

1月3日の林英哲” に対して3件のコメントがあります。

  1. TARK5 より:

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    tunehiko様 おはようございます

    今年も心に響く美しいtunehiko節
    は健在ですネ。

    より多く私達読者を楽しませて下さい。

  2. tunehiko より:

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    TARK5様
    いつもいつもコメントありがとうございます。
    今回の記事を書き終えるまでに五木ひろしの番組があり、とにかくこの記事を書き終えてからと取り急ぎの文章になってしまいました。
    TARK5様のブログを訪ねるとすでにこの放送の模様が的確に書かれていて、二番煎じと思いつつ、わたしも今から書こうと思います。

  3. TARK5 より:

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    tunehiko様 こんばんは

    7日のBS朝日の放送を見てすぐに
    書きたくなりました。私の知る限り
    以前の亜矢さんは先輩歌手との共演では
    歌っている時以外は遠慮して何かオドオド
    してる様に見えました。
    しかし、この放送の亜矢さんは落ち着いて
    いて、堂々として自信に満ちた表情の
    亜矢さんを観てとても嬉しくなりました。
    一つ上の新らしい章が始まったと
    思いました。ひいき目ではなく
    五木ひろしさんは別にして
    一番輝いていたのではないでしょうか?
    今では五木さんは別格だと思います。

    私は音楽の事は全く分かりませんので
    tunehikoさんの説得力ある鑑賞レポートを
    楽しみにしています。

    p.s
    私のブログにもanserを少し書きました

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