タイのスラム街のこどもたち

今朝のNHKの放送番組「アサイチ」で、タイのスラム街で大人に混じって子どもたちが、日本の被災者への募金をしている映像が流されました。動画サイトにも投稿されていましたが、今はすでに削除されています。
このニュースを見て、複雑な気持ちになった人が少なからずいたのではないでしょうか。わたしもそのひとりです。
被災地はまだ復興どころではなく、特に原発による被害が広がる中、このところ被災地への支援メッセージが日本国内にとどまらず世界中からよせられている、というニュースが多く報道されるようになりました。そのうちのひとつとして、タイのスラム街の子どもたちの募金は涙が出るほどうれしいし、勇気がわいてくることにはまちがいがないのですが、その一方でとても心が痛みました。彼らがにぎりしめていた紙幣がどれほど大切なものなのかは彼ら自身にもわたしたちにも痛いほどわかってしまうのです。

世界のいたるところの飢えたこどもたちを、わたしは映像によって見てきました。それは被災地の人びとに突然おそった津波の映像が、全国各地のいたるところでテレビに映されてしまう残酷さと似ていました。現実におそいかかるとてつもないかなしみや荒ぶる惨状が、映像の中でまるでドラマのように現実感をなくして垂れ流される恐怖に戸惑いながら、時にわたしは腹立たしい思いを感じてきました。

そのことをことさら取り上げてマスコミ報道を批判しているわけではありませんし、その映像を見たからこそ、日本中のひとびとが、世界のひとびとがなんとかしなければと思い、「自分に何ができるのか」と考え、被災地の人びとの心とつながろうと必死にもがき、行動を起こしていることにまちがいがあるはずもないのです。
ですから、タイのスラム街のこどもたちの募金もまた、ほんとうに切ない純粋な心から生まれたこととして、率直に感謝の気持ちを表したいと思います。
ここ何十年間の、市場原理主義にもとづくグローバリズムが世界の貧困をたくさん産んだことと、タイのスラム街のこどもたちの現実とはとても深い関係にあると思いますが、一方でグローバリズムの荒野は、国境を越えてひととひとがつながっていくことも生み出しているのかもしれませんし、タイのスラム街のこどもたちとわたしたちがつながることができるのだと、こどもたちが教えてくれているのかもしれません。

阪神淡路大震災の時の義援金は1800億円といわれていますが、今回の義援金はそれをはるかにこえることはまちがいありません。タイのスラム街のこどもたちの募金はその中にまぎれこむことになっても、その切ないお金に託した心が海を渡り、わたしたちの心に届いたことだけはけっして忘れてはならないと思いますし、彼らの未来がわたしたちの社会のありようとつながっていることを深く受け止め、共に希望をたがやしていきたいと思います。
そして、障害者救援活動によせていただいたたくさんのひとびとの思いを、あらためて感じています。

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