障害者が参加する街の復興をもとめて

被災障害者救援活動をすすめるゆめ風基金に、一通のメールが届きました。
横浜の知的障害者の作業所のネットワークからで、プロのデザイン集団の応援でブレスレットをつくり、その売り上げを救援金としてゆめ風基金に送りたいので、パッケージにその旨を書き、ゆめ風基金の活動を紹介してよいかというありがたい申し出で、感謝の意を伝えました。
そして、「いま、義援金が全国から寄せられていますが、わたしたちの事業による救援金はささやかなものでしょう。けれども、一年、二年と、障害を持つ立場から被災された障害者の救援と復興に参加したいのです。ブレスレットをつくりつづけることで、被災された障害者とつながっていきたのです」と書き添えてありました。
その考え方は、組織形態はちがっても豊能障害者労働センターの考えていることと重なる部分があり、とてもうれしく思いました。
障害者救援活動は、被災地の障害者団体を中心に支援センターをつくり、そこを拠点にして救援活動をすすめるという原則を持っています。被災地の事情も、そこで本当に必要とされるサポートも現地の人がいちばん知っていますし、その街を深く愛しているのもまた現地の障害者なのです。
ですから、その支援活動を支える後方の支援活動を障害者がになうことはとても自然なことですし、またとても大切なことと思います。

障害者が参加することは、復興活動においてはさらにたいせつなことだとわたしたちは思います。原発の問題を考えてもわたしたちの未来は大きく変わらざるを得ないというのは多くの人々の意見ですが、そのプロセスに障害をもったひとや高齢のひと、おとこもおんなも、おとなもこどもも参加することが大切だと思うのです。
ひととひととがバリアを低くして、助け合うことが道徳ではなくうれしいことであるような街をめざして、わたしたちはアスファルトの下の黒い土を耕すところからはじめようと思うのです。

ある新聞の社説に「疲労がたまってる高齢者や障害者を、早く県外もふくめて避難をいそぐべきだ。そうすればその後の復興もしやすくなる」と書かれています。そうするほうが人道的で、善意の言葉といえるのかも知れませんが、わたしたちは断じてそうではないと叫びたい。この街を担っているのは「元気なひとたち」だけではないと思うのです。ある意味、いろいろなひとが加わることでいままでとはちがい、なかなか前に進まないこともあるかもしれません。しかしながら、いつも障害をもった人たちをのぞいて作られてきた街が、どれだけ防災に役立ったのか、一般の避難所に障害を持つひとたちがおられないことが、どれだけ一般の避難者にもストレスをもたらしているのかを、わたしたちは考えなければならないのではないでしょうか。

障害を持つひとが福祉制度のもとでサービスを消費するだけではなく、物をつくりだし、サービスを提供していくことで社会に参加していくことは、これからの社会のひとつのあり方を提案していると思います。
豊能障害者労働センターはそれを日常として30年活動をつづけてきましたが、横浜の障害者からの提案は組織形態がちがってもつながっていけるのだと思いました。

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