宮島・厳島神社と初めての広島平和公園
11月26日は久しぶりの妻との慰安旅行で、広島に行きました。昨日は妻のリクエストで京都へ行き、伊藤若冲の展覧会に行きました。お目当は大きな屏風絵で、鳥の屏風と並んで、象まで描かれた色々な動物の屏風でした。この絵は細かい格子状の目盛りに合わせて絵の具をおいていくように描かれていて、タイル絵の様で銭湯の書き割りみたいでした。その他おびただしい数の掛け軸に主にニワトリが描かれた作品が展示されていました。暮らしの中にある様々な動物や風景を時には写実的に、ときにはひょうきんなポップアートふうに自由自在に描かれていました。江戸時代中期から後期の京都に居て、政治的な束縛から解放され、強烈な自由にあふれていました。ただ、残念だったのは超満員で、しかたないのですが係りのひとに立ち止まらないでくださいといわれました。美術展に行って「立ち止まらないでください」と言われたのはフェルメール展以来でした。
26日は朝早く家を出て、新大阪から広島へ、広島から宮島まで直行しました。天気予報で雨模様となっていたからです。ところがほぼ終日なんとか天気がもち、宮島を堪能しました。実はわたしの母は香川の人でしたが、子供のころに広島に年季奉公に行き、数少ない休みに厳島神社に行った思い出を話していて、一度行こうとおもっていたのです。実際のところ、寺社仏閣は時の権力者の野望の残骸に思えて、わかいころは好きではなかったのですが、歳を重ねると反対に彼らのかなわなかった最後のゆめの儚さに思いを巡らすようになり、好んで見るようになりました。厳島神社は平清盛が肩入れして夢破れた後も、毛利元就や豊臣秀吉ら権力者の果てしない権力欲の表現の場とされて来ました。いく時代かが過ぎ、彼らが目もくれなかった私たち雑民がゾロゾロと押し寄せる様子をみて何を思うのかなと考えると、權力の虚しさとともに、少しはこんなふうに彼らも民に喜ばれることもあるのかなと思いました。宮島で一日を過ごし、近くのビジネスホテルに泊まりました。
翌日の27日は一日雨が降るなか広島平和公園に行きました。実はわたしは一度も平和公園に行ったことがなく、今回の広島旅行となったのでした。原爆ドームは大きな建物で、360度どの角度からでも見ることができ、違った表情で原爆の破壊力のすごさを今に残しています。1945年の8月6日の朝に人類が犯してしまった最大最悪の過ちが20万人のいのちを奪い、今も生き残った人々の心とからだを痛めつけ、この街を破壊し尽くした記録と記憶をこのドームが深い沈黙と共に静かに叫び、泣いているように感じました。原爆ドームを歴史の証言として残してくれたことに感謝しつつ、なぜ大阪市は大阪大空襲の証言として大阪砲兵工廠を残さなかったのだろうと思いました。誰のものかわからない7万人の骨を拾い集めた慰霊碑と、犠牲者の1割にも上る韓国・朝鮮人の犠牲者を慰霊する韓国人原爆犠牲者慰霊碑慰霊碑に手を合わせ、記念館に入りました。記念館は超満員で、子どもの衣類などひとつひとつの遺品を丁寧に見ることができませんでしたが、それらの遺品もまた何十年もあの朝に理不尽に奪われたいのちたちの無念を語っているようでした。5月にオバマさんが訪れ、慰霊碑に花をたむけ、演説したことは記憶に新しいですが、わたしはいろいろな批判があることを承知で彼の演説は素晴らしいものだと今でも思っています。しかしながらアメリカ大統領として核のボタンを持ち、いつでもそのボタンを押す用意をしながら核廃絶の演説をしなければならないことが、失望と共に世界が深い暗闇に中にあることを証明しています。そして被爆国でありながら核兵器禁止条約の決議に反対する日本にも絶望と怒りを禁じえません。毎日世界中から平和記念公園と記念館をたくさんの人々が訪れ、二度と戦争をしないと誓う心こそが、遠い道のりであっても武器を持たずに共に生きる勇気をたがやし、平和をつくる一歩であることを、世界の国々の政治家は心に深く受け止めるべきだと思います。
まだ大阪に帰るには時間がありましたので、広島名物のお好み焼きを食べた後、広島県立美術館で開かれている「エッシャー展」に行きました。行く前はそれほど乗り気でなかった妻は足が痛くて歩きにくいにも関わらず会場を歩き回り、いままでそれほど知らなかったエッシャーの作品に触れて感動していました。エッシャーといえば「だまし絵の巨匠」と称されますが、初期の作品から年代順に見て回ると、だまし絵と称される作品は奇をてらったものでは全くなく、彼の追い求めた世界の帰結であったことがよくわかりました。主に木版画とリトグラフで制作された作品は彼が好んだ風景が細かく緻密に描かれているのですが、先人の画家たちが風景や動物を二次元のキャンバスに正確に写すことで空間や立体を再現するのに対して、エッシャーは細微に当たって正確に描けば描くほど「本物の風景から逸脱した風景」になっていくのでした。彼の関心は平面の中に立体そのもののイリュージョンをつくりだしたり、平面上の動物や人物のパターンをびっしりと描き、視点を変えると別の絵になってしまったり、紙からはい出したトカゲが書物や小さなバケツの上を通り、また紙に帰っていく作品、下から水が流れたり、上っている階段のはずがいつのまにか降りていたり、世間でだまし絵と言われる作品になっていきます。マグリットなどにも似ていると思いましたが、エッシャーの場合はとても勤勉な職人で、その世界観は冒険的でありながら生真面目に版画をつくり続けた人だと思います。中には画面全体を小さな碁盤の目を張り巡らしてからその中に形を載せていく手法や動物を細密に描く作品など、京都で見た伊藤若冲と共通した画業を全うした人だと思います。かたや水墨で、かたや木版で、どちらも白黒グレーで制作されているところも共通していました。
2日間の旅を終えて、無事に帰ってきましたが、今回は大きな言い合いもなく楽しい旅になりました。妻は最近歩くことがかなり難しくなっていて、医者は「加齢のせい」としか言わず痛み止めをくれるだけで根本的な解決にはならず、整体などお金がかかる治療もできずに放置していましたが、今回の旅行でいよいよ歩きづらくなったので自分でなんとか解決しようと言っています。わたしも最近またお腹が出てしまい体重も増えているので、お互いに自力で身体をメンテナンスしなければと感じた旅でもありました。