やっぱり金森幸介はくせになる 金森幸介ライブ宝塚

さよならだけが人生と言うなら さよならだけが俺の友達

光る風を見た遠い記憶だけが
また会うはずの甘い約束
夕闇に手を振れば
さよならと手を振れば
もう誰もいない八月の国
  「Oh My Endless Summer」金森幸介

 7月22日、金森幸介の宝塚のギャラリー彩遊館でのライブは、この歌から始まりました。
 以前に書いていますが、金森幸介を知ったのは能勢のCafé気遊でのライブでした。
 先日BS放送で日本のフォークソングを振り返る番組を見ていて、わたしはほんとうに「関西フォーク」を知らなかったのだとあらためて思い知りました。
 もちろん、若い時に岡林信康、加川良、大塚まさじ、高田渡などのライブに行ったことはありますが、ビートルズ解散後に夢中になったのが三上寛だったといえば、わたしの音楽ルーツがばれてしまいます。
 一方でわたしは田宮二郎主演のテレビドラマ「高原へいらっしゃい」の主題歌に使われた「おはようの朝」や「草原」を聴いて小室等のファンにもなりました。また小室さんは唐十郎の状況劇場時代の音楽を担当されていて、唐十郎作詞・小室等作曲の数々の名曲が今、唐組の再演で聴くことができるのを幸運に思っています。
 さらに、豊能障害者労働センターの代表だった河野秀忠さんと小室さんと出会いから、被災障害者支援ゆめ風基金の呼びかけ人代表をしていただいたりと、長いつきあいをさせていただきました。加えて友部正人と並べれば、関西のフォークシーンをほとんど知らないままになっていました。
 それだけにCafé気遊で金森幸介の歌を聴いた時の衝撃は大きく、70歳を過ぎてもまだ、音楽と出会えることによろこびを感じたものでした。宝塚でも毎年ライブがあることを知り、昨年に続き今年も参加させていただきました。

歌が始まる場所と歌が終わる時、この街のどこかから金森幸介はやってくる

 何度も書くようですが、このひとの歌を聴いていると不思議な気持ちを持ちます。実際、さまざまなコンサートやライブに行って、このひとほど肩に力が入らないライブはありません。よく「脱力」と言いますが、どんなライブにも多かれ少なかれある緊張感が全くないのです。
 普通はネガティブなイメージをもたれますが、彼の場合、それは「変わらないこと」の安心と、それでも時はゆるやかに、そして非情にも個々の人生のいろどりと陰影の底を流れていて、わたしたちは時代の葉っぱが風で揺らぐのにしがみつきながら今を生きていることを教えてくれるのでした。
 2年前、友人の難波希美子さんの能勢町議会議員選挙に関わり、町議会議員になった難波さんの活動を知らせるチラシを今も月に一度まいているのですが、先日あるお家の人としばらく話をしました。「能勢は変わらんよ」と話されるその人に、わたしは「変わらないことはいけないことではなく、今の時代にはとてもありがたく大切なことなのかも知れません」と答えました。
 もちろん、能勢の高齢化と農家の後継者問題や人口減少を前に、「変わらなくっちゃ」と企業誘致や子育て支援や空き家対策など、能勢町の喫緊の課題とするさまざまな意見があります。
 しかしながら、人口の爆発的な増加を頼りにしてきたGDP的経済成長が行き詰まっているのは日本だけではありませんし、見かけの経済成長が描いてきた幸せの下で当たり前と思ってきた民主主義もまた危ういのもロシアや中国だけではありません。アメリカを盟主とする「もうひとつのやわらかいファシズム」の先端でわざわざ中国脅威論を声高に叫び、防衛という名目で戦闘モードに染めてしまうこの国のあり方も、民主主義の危機を招いていると思わざるを得ません。この国も世界も、いつでも市井のわたしたちのささやかな幸せを踏みにじり、時には命を奪うこともあることを、ウクライナ戦争が教えてくれました。

癒やしの音楽ではなく、圧倒的な自己肯定感からくる救済の音楽

 イノベーションの名のもとに社会のシステムから軍事力まで競い合い、遠く早く支配と略奪を繰り返してきたわたしたち人間が残せるものはゆがんだ地球しかないのでしょうか。
 成長神話にとらわれ、身を削る改革といって刹那的な利益を絞りだす政治に疲れてしまったのは、もしかするとわたしだけではないのかも知れません。立ち止まる勇気と助け合う心が壊れてしまった世界を少しずつ修繕していくまでわたしが生きているかどうか心もとないのですが、見果てぬ夢の向こう岸から聴こえる音にならない音、声にならない声、音楽とまだ呼べない新しい音楽がこの街のどこかから聴こえてくる、そんな切ない予感を抱きながら、金森幸介の歌を聴いていました。
 とびっきりの詩人がつぶやくように歌う歌が、こんなに心に奥行があったっけとびっくりするぐらい心の白い闇の中をゆっくりと流れる時、彼の歌は救済の音楽なのだとわたしは思います。実際、金森幸介は誰に歌っているのか、誰のために歌っているのかわからないまま、わたしは歌の迷路に迷い込んでしまうのです。
 「金森幸介はくせになる」。たとえば風の破片、森の秘密、川のつぶやき、海の沈黙、遠い記憶、記述されなかった歴史、取り返せるはずもない青春、語られることがなかった愛の物語、置き忘れてしまった青春の瑞々しい心のふるえ…。そして、過ぎ去ったものへの愛と圧倒的な自己肯定感、だいじょうぶと励ましてくれる静かな勇気…。金森幸介の歌はそんなふうにその場に立ち会った30人の心と同時代の人生にいつのまにか溶け込んでいくのでした。

いいこと悪いことみんな
思い出に変わって良かった
やさしい風が吹いて
いつのまにか日が暮れて
  「いいこと」金森幸介

追伸
 金森幸介さん、宝塚歌劇団はトランスジェンダーをもっとも早く受け入れられるとわたしは思います。歌舞伎の女形がジェンダーによる抑圧から生まれたものとちがい、宝塚の男役は男装の麗人として、何よりも女性ファンの心のよりどころになっているからです。たしかに男役は異性愛のもとで演じるスターであるかのようですが、実は女性が女性を愛し、あこがれる多様な愛の切なくも美しい表層として、男装の麗人に吸い寄せられるのだと思います。
 それが、宝塚歌劇の独自の空気をつくりだしていて、今すでに多様な性を持つ人がいても不思議ではないと思います。