本当の事しか言わない 真のジャーナリスト・金平茂紀 

2022年は歴史の分岐点として長く記憶されることだろう

 10月2日、京都部落解放センターで、パレスチナを支援するオリーブの会が主催した金平茂紀さんの講演会がありました。
 金平茂紀さんはTBS系「報道特集」(土曜午後5時30分)でキャスターとして12年間のレギュラー出演を終えられたところです。
 最近は報道番組さえもバラエティー化してしまい、扇情的で、時には暴力的とさえ感じる報道番組が多い中、「報道特集」は良い意味で古臭く、およそエンターテインメント性のかけらもない番組づくりが貴重で魅力でもあります。
 どんなひともどんな番組も世の中の移り変わりとともに変わっていき、いつかは終わることもまた当然のことなので、金平さんがレギュラーを下りることは残念なこととは思いつつ、一方でよりフリーなジャーナリストとして、混乱と頑迷な時代の証言を丁寧な取材と鋭くやさしいまなざしで伝えてくれることに期待もしています。

本当の事なんか言えない
本当の事なんか言えない
言えば殺される(言えばにらまれる 言えばつぶされる)
(RCサクセション「本当の事なんか言えない」忌野清志郎作詞 )

 これからは、「本当の事しか言わないキャラバン」で話をしていこうと思います…。
 「ロシアによるウクライナ侵攻 世界はどうなる?パレスチナへの影響は?」というテーマで話される前に、忌野清志郎の「本当の事なんか言わない」の動画が流れ、思わずうれしくなりました。そして、2022年は歴史の分岐点、切断点と位置づけし、話されたことは…、

真の冷戦終結の最終段階と、新たな長い戦前の始まり

 ロシアのウクライナ侵攻で、グローバリズムの奔流に隠れていた国家、国民国家がその暴力性とともにわたしたちの前に姿を現した。そこで突き付けられたものは、侵略され、平和な暮らしを踏みにじる理不尽な暴力とたたかうことが正義なのか、いやその正義もまた守るべきひとびとのいのちを奪ってしまうのなら、正義の戦争などはなく武器を持たない平和をあくまでも対話によって実現できるのか。わたしたちは国家の正義と平和という、2つの主張のはざまでまどい、引き裂かれている。
 あらゆる侵略は自衛と平和維持の名目で行われてきた。

 国内では安倍元首相銃撃事件、わたしは七・八事件と呼んでいる。元首相が選挙演説中に手製の銃で殺害されたこの事件は強固な殺意と用意周到さが感じられる。戦前の五・一五事件と二・二六事件に匹敵するこの事件は、戦後民主主義が蓋をしてきたパンドラの箱が開いた極めて重大な事件だ。霊感商法や多額の寄付金を集めるなど、反社会的な組織として90年代後半に問題とされた旧統一教会が今もなお活動を継続し、国会議員だけでなく、全国の地方議員にも触手をのばしていたことと、反共産主義で深くつながった旧統一教会の教えと自民党の憲法改正案がとても類似していることに驚きを感じる。
 岸田首相は国会に諮ることをせず、一週間後に独断で安倍晋三氏の国葬を行うと表明し、安倍氏の死を政治利用し、神格化することをもくろんだ。
 その時の世論は感情的で、国葬に疑問や反対を表明する数少ない人には、一部では「貴様らそれでも日本人か」という言葉を投げつけられた。
 そんな熱病に罹ったような混乱の時に、たとえば高村薫氏や辺見庸氏など作家や小説家はこの事件の本質を深くとらえる発言をしていた。
 2022年という年は、かつての天安門事件、ベルリンの壁崩壊、同時多発テロ、阪神大震災、地下鉄サリン事件、東日本大震災、コロナウィルスに匹敵する歴史の新しい転換点として長く記憶され記録されることだろう。
 ロシアのウクライナ侵攻は、真の意味での冷戦終結の最終段階に世界があることを突き付け、安倍氏襲撃事件は戦後が終わり、新たな長い戦前の始まりを予感している。

民の声と為政者の声 ジャーナリズムの基本と知る権利 

 はじめに、「パレスチナのことを話すためには、今皆さんが関心をもっておられることを話すことを封じなければなりません」と断られたのですが、聞き手のわたしたちの要望に応える形で話された結果、パレスチナのことを話される時間が無くなってしまいました。
 ただ、かつても今もイスラエルがパレスチナの人々に行っている残虐非道な暴力は、ロシアによるウクライナ侵攻や、これまでの歴史が何度も、いつまでも繰り返され、おびただしい血が流され、無数のいのちが奪われてきたこととまったく同じで、少数の被差別者への暴力が繰り返されていると、金平さんは話されました。
 会場からの質問に答える形で、取材を重ねるジャーナリズムの基本は、人々の「知る権利」を保障するものであることを改めて思う。たとえば震災の時、デスクの上でいくら情報を集めても、つい直前まで生活していた命が失われ、がれきの煙が立ち上る現場の生臭いにおいが伝えられないように…。
 そして、金平さんが師匠、先生とよぶ筑紫哲也さんが「NEWS23」の最後の「多事争論」で語られたビデオを流されました。

 「変わらないのは、長い間みなさんの支持によってつくられたこの番組のありようです。それを私たちは「NEWS23のDNA」と呼んできました。力の強いもの、大きな権力に対する監視の役を果たそうとすること。とかく一つの方向に流れやすいこの国で、まあ、この傾向はテレビの影響が大きいんですけれど、少数派であることを恐れないこと。多様な意見や立場を登場させることで、この社会に自由の気風を保つこと。それを、すべてまっとうできたとは言いません。しかし、そういう意思を持つ番組であろうとは努めてまいりました。これからも、その松明(たいまつ)は受け継がれていきます。」

少数者であることを恐れないこと 筑紫哲也の遺言と被災地の水道管の張り紙

 金平さんは筑紫さんの遺言である「ジャーナリズムのたいまつを消さないこと」を、今でもずっと胸に秘めておられることがひしひしと伝わったお話でした。
 わたしは阪神大震災の時に被災障害者支援・ゆめ風基金にかかわり、1999年、在職していた豊能障害者労働センターが運営主催した筑紫哲也さんの講演会に立ち会いました。
 因みにわたしが金平さんをはじめて見たのは、たしか「NEWS23」で、神戸の被災地の現場を取材されている姿だったと思います。
 テレビ画面ではとらえられない一面すべてががれきとなった被災地現場で、一軒ずつ水道管だけが残り、頼りなく水を垂れ流していて、いくつもの水道管に「無事です。○○に居ます」という張り紙が張られていました。
 今回のお話を聞きながら、そのことを思い出していました。震災で崩れ落ちた現場から立ち上るほこりとにおいが、その張り紙のにじんだ文字から伝わってきました。もしかすると何万、何十万、何百万の専門家の解説よりも、あの張り紙の文字こそが「伝えたい」と「知りたい」をまるごと包み込む、真のジャーナリズムなのかも知れないと思いました。

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